第5話 王子なのは顔だけにしなよ


「そうですか? どこらへんが? 具体的に?」

「面倒くさい彼女かよ」

「紘には言いませんよ!」

「なんというか、大宮と富野って、どっちかいうと、あの2人ってサークルで仲が良い組み合わせとか、いつもの飲みメンバーとか、そういう印象なんだよな」

「……それに比べ、私と松隆は」

「あまりにも自然に一緒にいるというか」


 紘と茉莉の関係とどう違うのだろう。紘と茉莉だって、授業を受けるにしても、昼食をとるにしても、サークルに来るにしても、どれをとったって一緒にいる。そこに不自然さなどない。


 首を傾げていると、烏間先輩も、少し困ったように片眉を吊り上げて「まあ、俺もなんとなくそう思うってだけで、その違いは言語化できないよ」と言うだけ。


「ちなみに、松隆から見て大宮と富野はどうなの」

「さあ……生葉先輩の手前、あんまり大宮先輩を擁護ようごするような言い方はしたくないですけど」

「私のことなんだと思ってるの? ヒステリックな先輩?」

「他の女子よりだいぶ仲が良いとは思うんですけど」松隆は再び私の言葉をスルーして「まあ、友達の域を出てない感じはしますよね。それこそ、決定的な浮気があるわけでもないし」

「なに、大宮、浮気疑われてるの?」

「……そういうわけじゃないんですけど」


 私はただ、紘と茉莉があんまりにも仲が良いから──だから、気になるというのは、浮気を疑っているということだろうか。


「そもそも何を浮気と定義するかが問題でして」

「お、偉いな、ちゃんと定義から入って」


 これで一端いっぱしの法学部生だな、なんて茶化されたけど、スルーした。


「先輩にとって浮気の定義とは」

「んー、俺は気持ちが恋人以外の相手に動くことかな」

「つまり先輩は相手の主観的な側面を問題にするというわけですね」

「空木は客観面を問題にするの?」

「……そうですね。気持ちが動いてなくても、恋人以外の相手と恋人らしい行動をとっていたらそれは浮気だと思いますから」

「恋人以外と恋人らしい行動をとるってことは、その別の相手のことを恋人のように思ってるってことですし、結局気持ちが動いていることには変わりないのでは?」


 松隆は経済学部のくせに法学部みたいな指摘をする。


「相手の客観的行動から主観面を推察するって話ですから、烏間先輩と考え方の違いはないように思いますけど」


 確かに、まさしく私が悩んでいるのはそれだ。紘は茉莉と楽しそうに過ごしている、ということは茉莉のことが好きなのではないか? ぐぬ……と押し黙る私の横で、烏間先輩が「さあ、一概には言えないんじゃないかな」と肩を竦める。


「空木は、恋人以外を好きになった場合を浮気って定義するわけじゃないだろ?」

「といいますと」

「極端なたとえをすると、例えば彼氏が他の女と寝たとするだろ。あー、まあ、寝るはいきすぎか、キスくらいにしとくか」


 私がしかめっ面をしたのを見て、烏間先輩は慌てて付け加えた。


「でも彼氏は他の女のことは別に好きじゃなくて、彼女のことが好き。この場合に浮気と呼ぶなら、純粋に主観だけを問題にするとはいいがたいな」

「……じゃあ先輩はキスくらいなら許せます?」

「イヤではあるけど、まあ、浮気とは言わないかもなあ」


 あんまり想像したくないな、と先輩は苦笑いした。ベッドに座った松隆は「うーん」と考え込む。


「でも、烏間先輩の定義は男特有じゃないですかね」

「ん?」

「好きじゃなくてもできるのは男だけでしょう。女でもいるかもしれませんけど、まあ、まれでは」

「確かにな」


 頷き合う2人に自分の顔がひきつるのが分かった。よく聞く話だけれど、男の口から直接聞くと信憑性しんぴょうせいが増す。素面で聞きたい話ではない。


「だから純粋に相手の主観面だけを問題にするのは男だけなんじゃないですかね」

「そうかもな。って考えると、空木の言った定義は俺のとは違うな」

「ええ、僕の指摘は間違ってましたね。空木先輩の定義は、相手の主観面に主眼を置くわけじゃない」

「……そうだね。仮に相手の本心が間違いなく自分に向いてるって分かってても、それでも手をつなぐとかキスをするとか、してたら浮気って言うかもなあ」


 頬杖とともに溜息を吐いた。いま口にした言葉に嘘はない。でも、なんとなく、自分の定義には釈然としないところがあった。気持ちが変わっていなければ、それを浮気と呼ぶことには違和感があるような気もする。


「松隆は? 先輩達にばっか言わせてないで、どうなの。彼女がなにしたら浮気っていう?」

「そうですね……」


 考えたこともないような口ぶりだ。それもそうだ、松隆みたいに綺麗な顔をした男なら、彼女のほうが夢中で手放さないだろう。


「気持ちにかかわらず、キスしたらアウトですかね。僕は結構厳しいほうかもしれません」

「他の男とキスしてたら別れる?」


 烏間先輩がそう畳みかけるけれど「相手の男が無理矢理とかなら話は別ですけど、まあイヤですし、事故以外別れるんじゃないですかね」と意見は変わらない。さっきと同じく、経験があるわけじゃないので想像ですが、といったニュアンスだった。


「そもそも、好きでもない相手とキスするってどんな場面です? なくないですか、そんなこと」

「飲み会でうっかりとかあるんじゃないか?」

「飲み会で何をどうやったらうっかりするんですか? 偶然隣に座った女子と偶然顔の高さが同じで偶然一方が顔を傾けてて偶然唇がぶつかる?」


 立て板に水のごとく、そんなに偶然が重なるなど有り得ないと、つまり事故なんて起こり得ないのだと力説しているように聞こえて、先輩と笑ってしまった。


「なに、元カノにそういうことあったの」

「ないですけど、飲み会だからどうとか、そういうのがよく分からないなと思ってるだけです。まあ、僕が酒を飲めたら話は違うかもしれませんけどね」


 烏間先輩の唱える意見に、松隆は肩をすくめる。その点に関しては私も同意見だけど……。


「松隆って全体的に女子の味方みたいな考え方じゃない? 王子なのは顔だけにしなよ」

「なんで悪口みたいに言うんですか? そうだとしたらいいことでしょ」

「正直、松隆みたいに顔が良いヤツが女癖悪くないなんて信じられない」

「イケメンに騙された過去でもあるんですか?」


 そんな過去はないけど、だって顔も頭も性格も良いのに彼女がいないんだから、なにか欠陥があるか騙してるかのどっちかだと思うじゃん。でも口には出さなかった。


 その後もだらだらと喋り、お見舞いを口実にして後輩の部屋に居座る迷惑な先輩になってしまった。腰を上げたときには19時を過ぎていた。玄関まで歩きながら「先輩、暇なら夜食べましょうよ」「いいよと言いたいところだけど、今日は彼女の家行く約束してるから、ごめんな」「なんだ、残念」なんて遣り取りをする。


 すると背後から「僕でよければ付き合いますけど」なんて声が飛んできた。病み上がりで大学を休んでいる松隆がそんな申出をするはずないと高をくくっていたので、思わず硬直する。


 松隆と2人でご飯を食べているところを、紘に見つかったらどうする。


「……松隆は病み上がりでしょ。外でジャンキーなものは食べないほうがいいんじゃない」

「じゃあ定食にしましょう」

「私はジャンキーなものが食べたい気分で!」

「空木、大宮に言われたこと気にしすぎだろ」


 キッ、と烏間先輩を睨んだけれど、烏間先輩はどこ吹く風だ。いや、確かに他人事なのだが。


「それこそ、大宮に浮気の定義でも聞いてみたら。後輩と夕飯食べてたらアウトなんてことは言わないだろ」

「浮気の定義を彼氏に聞くなんて死ぬほど面倒くさい彼女じゃないですか!」


 プライドにかけてそんなことはできない。……悪いプライドだ。


「じゃ、学食でも行きます? 学食ならさすがになにも言われないでしょう」

「なんだ松隆、空木と夕飯食べたいの」

「冷蔵庫、空っぽなんで」


 答えになっていない答えをして、松隆はパーカーを羽織り、財布を持つ。私と一緒に夕飯を食べる気満々だ。しかもパーカーとスウェットという緩い恰好のまま着替える気配がないということは「学食ならいいんですよね?」と言わんばかり。


 ぐぬ……と唇を引き結ぶ私の隣で烏間先輩だけが楽しそうだ。


「空木先輩、いいのかなあ、先輩と一緒に夕飯を食べようとする幼気いたいけな後輩を無視するなんて」

「松隆に幼気いたいけなんて可愛い形容詞は似合いませんよ!」

「別に子供っぽくないですけど、僕」

「そこじゃなくない?」

「どうでもいいけど、俺、彼女に連絡したからもう出る」

「後輩で遊ぶだけ遊んで収拾しゅうしゅうをつけない最低の先輩!」


 はあ、と額に手をついた。


「わかった、わかったよ。学食行こ」

「そうしましょう」


 烏間先輩の彼女の家は、大学とは真逆方向なので、松隆の部屋を出て早々、烏間先輩とは別れた。去り際に烏間先輩が「大宮に見つかるなよ」とまた茶化すので「見つかって困ることしてませんから!」とだけ言い返した。

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