第2話 松隆と仲良すぎるんじゃない

 そんな甘ったるい妄想は現実のものとなることはなく、それどころか、次の日の私を待っていた彼氏の言葉は「生葉、松隆と仲良すぎるんじゃない」なんて冷ややかなものだった。


「……え?」


 土曜日の昼下がり、家の近くのコーヒーチェーン店で待ち合わせをしたら、開口一番、そんなことを言われ、まるで別れ話のような空気が流れた。


「そう……かな。仲は良いほうだけど、まあ、普通の後輩というか」

「普通の後輩とそんなじゃれる?」


 妙に具体的な指摘に首を傾げると「昨日の夜、松隆と飯食うって言ってたじゃん」と。確かに、私は松隆と飲みに行く前に紘に連絡していた。それは、私自身が紘にそれを求める以上、自分がしないのは許されないダブルスタンダードだと思っているから。


「ああ、うん……いつもの『ひとひら』で」

「その帰り、松隆とじゃれてなかった?」

「じゃれて……」思い返せば、悪ふざけで松隆の頭を撫でようと手を伸ばし、松隆に鬱陶しそうに拒まれた記憶はあって「まあ、ちょっとした冗談というか。ほら、頭に手を伸ばして、いい子だねーってするくらいの。してないんだけど」紘が更に機嫌を悪くしたのに気付いて、慌てて付け加えた。


「松隆、家まで行ってなかった?」

「来たというか、夜だから送ってくれただけ。玄関先までだよ、あがってない」

「そこまでする必要、ある?」


 確かに、大学周辺の治安は全然悪くなくて、他の男はわざわざ私を家まで送ったりはしない。でもそれは、松隆のただの紳士的な一面に過ぎない。


「まあ、別に、断ってはいるけど、それは松隆が気を遣って……」

「気遣いか、どうだかな」紘はコーヒーをすすり「無防備すぎるだろ。何かされたらどうするんだ」

「……松隆はそんなことしないよ。いい後輩だし」

「いや、後輩でも男じゃん」


 お通夜のような空気の中で、少しだけ馬鹿にしたように笑いながら、紘は吐き捨てた。その態度にカチンときてしまったのは、なぜだろう。きっと、自分は茉莉と好き勝手に飲みに行くくせに松隆との関係をとがめる、そんなダブルスタンダードに苛立ったからだ。


「……そうだよね。紘は酔ったら私のところに来るし」

「なんでそういう嫌味な言い方すんの?」

「別にそんな言い方してないじゃん。紘は松隆が男だからあんまり酔うなって言ってるんでしょ。襲われちゃいけないからって。確かに紘は私のところに戻って来ようとするもんねって──」

「いまの生葉の言い方、そんなのじゃなかったじゃん。俺だって──飲み過ぎて迷惑かけたことあるのは悪かったって思ってるけど、それとこれとは別じゃん」

「だからそんな話してないでしょ」

「生葉が言い始めたのに」

「だから私はそんなつもりじゃなかったって……」

「とにかく、あんまり松隆と仲良くするのやめとけば。ああいう人を馬鹿にしたやつ、嫌いなんだよ」


 はぁ、と紘はそこで溜息を吐いた。


 紘が松隆を好きじゃない──どころか嫌いなことは知っている。それは、私と松隆が仲良くなるずっと前から、松隆がサークルに入ってきてすぐの頃からだ。当時は「後輩にそんなこと言っちゃだめだよ」で終わっていたのに、今はどこか腹立たしいような気持ちになる。


「……後輩になんでそんなこと言えるの?」


 でも、言える言葉は今でも変わらない。私と紘にとって、松隆はただの後輩だ。紘は「いや、だって事実じゃん」と苦々し気に答える。


「事実じゃないじゃん。松隆はそんな子じゃない」

「……マジで、イケメンは生きやすくていいよな」

「……なにそれ、松隆がイケメンだから私が贔屓してるって言いたいわけ」

「だってそうだろ。つか、別に松隆の話はいいよ。見られないように気を付けたらって言いたいだけだし」

「……見られないようにって、なにを」

「俺が津川に口止めしてやったって言ってるの」


 ……なんでそこで、その人が出てくる。どうして、沙那さなが出てくる。


 ダブルスタンダードに加えて、弟みたいに可愛がっている後輩を悪く言われて、苛立ちは一層増していた。そんなところに沙那の名前まで出されて、もう、爆発寸前まで負の感情が積もっていた。


「……それ、どういう意味」

「だから、俺が一緒にいなかったら、津川はお前と松隆のことをSNSで拡散してたぞって言いたいの」


 それでも、やっぱり何も言えなかった。それどころか、予想外の台詞に惑ってしまって怒りのやり場を見失った。


 沙那に対する怒りなんてもう湧かない。彼女は「今日もいい天気」と同じ感覚で「生葉が松隆くんと遊んでた、浮気だー!」なんてSNSに呟いてしまう人だと知ってるから、極力関わらないのが最善にして唯一の対策だと分かってる。


 だから、沙那がその噂の発信源とならなかったことは災害を回避したようなもので……、ありがたいといえばありがたいけれど、なぜか欠片も紘に対する感謝の心が湧いてこなかった。


 それは、彼氏としての気遣いをしてやった、という意味なんでしょうか。なんでそもそも沙那と紘が一緒にいたんでしょう。私が紘に、女の子と2人で出かけるときは一言断わってくださいとお願いしたのはなんだったんでしょう。私はそれを沙那にバラされ、酒のさかなにされ、それで終わりですか。それを松隆に愚痴ったら、男相手に危ないときましたか。紘は女の子と2人で出かけるのに、私は男の子と2人で出かけてはいけないんですか。


「つか、今までずっと黙ってたけど……最初も言ったとおり、やっぱ、松隆と仲良すぎるんじゃねーの。学食でも飯一緒に食ってるの見かけるし、飲めないくせに飲みに行くし」


 学食でお互い一人でいる先輩と後輩が顔を合わせて、一緒にご飯も食べないって、感じが悪くないですか。飲めないのに飲みに行くのは、それこそアルコールなんて理性を緩めてくれそうな薬品に頼らないとストレスが溜まって仕方がないからなんですけど、それは許されないんですか。


 紘は私が「女の子と2人で行くときは」とお願いしても一言断わりを入れることさえしてくれないけれど、私が「松隆と飲んでくる」と断わりを入れる度に苦々しく思っていた紘のほうが我慢をしていたんでしょうか。“彼女の我儘に付き合わされていた彼氏”だったんでしょうか。


 まるで問題でも解いているように、次々と疑問が湧き上がり、私の中で渦巻く。紘はちょっとだけ呆れたような、不機嫌なような、拗ねたような横顔をみせていた。


「……ごめん」

「……別に怒ってるわけじゃないからいいけどさ」


 今更、嫉妬ですか。私がどれだけ言っても沙那と出かけるのをやめなかった紘は、私が松隆と出かけることに嫉妬するんですか。


「今後は、気を付けます……」


 そんな文句は嫌というほど心の中で吐けるのに、そのうちの一つでさえ、口に出すことはできなかった。

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