大丈夫、浮気じゃないから。

第1話 先輩を正論で殴るのはやめなさい

「先輩、落ち着いて」


 はっ、と詰めていた息を吐き出した。苦しいのは呼吸のできない2秒間のせいじゃなかった。囁くように私を呼んだ後輩は、理知的な雰囲気を崩すことなく、なんの罪悪感もなさそうな顔つきで私を見ていた。逃れようとしても顔をそむけることは許されなかった。頬に添えられた手から逃げることができなかった。「やめてよ」なんてたった四文字が口にできなかった。


 ぐ、と腰が抱き寄せられる。後輩はやっぱりいつもどおりの平然とした顔つきで──でも顔を近づけた瞬間に、悪魔のように不気味に口角を吊り上げた。


「大丈夫、浮気じゃないから」


 後頭部をホールドした手に促されるがまま、もう一度唇は重なった。






 検索キーワード「浮気」「どこから」。


 羅列される検索結果は「彼氏の浮気」「男女で異なる基準」「どこから許せる?」エトセトラ。「男女で異なる基準」をタップしたページは、広告のバナーで埋め尽くされていて「実は男女でちょっと基準が異なるんです」という文句を最後に次のページへと続いている。少ない情報量に少しだけ苛立ちながらも「次のページへ」をタップせずにはいられない。そして待ち望んだ情報は──「女は心、男は体の浮気に嫉妬する」。


「答えになってないですねえ」

「ぎゃ!」


 隣から聞こえた楽しそうな声に叫んでしまった。幸いにもここはテニスコート、ボールの音も人の声も飛び交っているので、私の叫び声に振り向く人はいなかった。


 とはいえ、隣でニヤニヤなんて擬態語が聞こえてきそうな笑みを浮かべる後輩を睨まずにはいられない。ついでに、時すでに遅しとは分かりつつも、スマホを傾けて画面を隠した。


「……松隆まつたか。先輩のスマホをのぞき見するんじゃありません」

「失礼しました。しかめっ面でスマホを睨んでるんで、また例によって彼氏さんと揉めてるのかなあと心配になりまして」

「またって言うな。例によってって言うな!」

「だってそうでしょ、こんなサイト見て」口には出さないものの、くだらないと思っているのがひしひしと伝わってくる口調で「猫の手も借りたいならぬ、ネットの多数意見にでも頼りたいって感じですかね」


 私の隣に座ると、松隆は指先で私のスマホを傾け、堂々と画面を覗き見る。整った顔が嘲笑を浮かべた。


「男女で基準が違うっていうのは、まあ聞く話ではありますけど。基準が違うから理解し合えなくても我慢しろってことなんですかね」

「……『相手には自分の気持ちをしっかり伝えることが大切です』」

「それをできない人間がこういうサイトを見てるんですよね。ご愁傷様です」

「このっ……!」


 わなわなと震えるけれど、ぐうの音もでない。松隆の指摘は正しい。


「ていうかこれ本当?」


 目の前にいいインタビュー相手がいるじゃないかと勢いづいたけれど「女は心、男は体って部分です? さあ、どうでしょう」松隆は呑気のんきに首を傾げた。


「人によるとしか言いようがないんじゃないですかね」

「……ご参考までに松隆は?」

「心あっての体なのでそもそも文意を理解しかねます」

「イケメンかよ。いや、松隆はイケメンだけど」


 そう、この松隆総二郎、とんでもないイケメンなのである。筆で描いたように綺麗な眉毛、優し気な目と肌に影を落としそうなほど長い睫毛。そして嫌味なく高く、少し鉤鼻気味の鼻と薄く笑みを穿いた唇まで、ごめんなさいと言いたくなるほど完璧に整った顔立ちをしている。


 それでもって頭が切れて人当たりがいい、テニスはインハイレベルなんて完璧超人だ。お陰様で、一目見た時から胡散臭さが溢れていて、コイツは下手に可愛がってはいけない後輩だと警戒していた。


 だが、それも最初の話。実は結構素直で可愛いただの後輩だと分かったので、いまとなってはサークルで随一ずいいちに可愛い後輩である。もしかしたら騙されているのかもしれないけれど。


「少なくとも、どこまではセーフでどこからがアウトだなんて、そんなラインを見極めてる時点でくだらないですよ。彼女がイヤって言うならやめればいい」イケメン発言に勢いよく相槌を打とうとして「そのイヤに納得ができないなら別れればいい。それだけのことでしょ」正論に閉口した。


「……つまりイヤを言えない彼女わたしは」

「別れを切りだしてはいかがでしょうか」

「……先輩を正論で殴るのはやめなさい」


 ニッコリなんて聞こえてきそうな笑顔に拳をめり込ませたくなった。


「で、くだん大宮おおみや先輩は? 今日も富野とみの先輩と仲良くやってくるんですかね」

「よくない! 先輩をそうやっていじめるのはよくない! 教わらなかったのかな!」


 なんて噂をすれば影、テニスコートの入口には連れだって現れる大宮ひろと富野茉莉まり。テニスコートの端からその2人の様子をガン見する私に、松隆は一層、その意地悪な笑みを深くした。


「そういえば、友達に聞かれたんですよね。富野先輩と大宮先輩って付き合ってるのかって。富野先輩と大宮先輩、いつも一緒に授業受けてますから」

「…………」

「僕ら1回生の中でも、富野先輩は有名なんですよ、経済学部の2回生で一番可愛いって。うちの大学でミスコンがあったらぶっちぎりナンバーワンだろうなって」

「…………」

「あ、もちろん、違うって言っておきましたよ。富野先輩と大宮先輩はただの友達ですし。なにより」


 だんまりを決め込む私に、松隆はとどめの一撃を放つべく、一拍溜める。


一応・・大宮先輩は生葉ゆきは先輩の彼氏ですからね」


 すくっと私は立ち上がった。気合を入れるように、黒髪のポニーテールを結び直し、テニスコートの金網を背に、座っている松隆を見下ろす。


「……松隆。今日の夜の予定は」

「すみません、今日は予定が合いません。明後日なら空いてますので、飲みに行くなら明後日はいかがでしょう」

「それで結構です。そのまま空けておいてください」

「いいですけど、僕と飲みに行く暇があったら、大宮先輩を叱ってはいかがですか?」


 松隆が視線を向ける先では、テニスコートに来たというのにジャージに着替えもせず、部室の前でだらだらと駄弁る2人の姿があった。気付いてはいたけど、それをわざわざ指摘する松隆の性格の悪さが憎い。


「いいから行くよ!」


 2日後の夜、大学の近くにある居酒屋とバーの間の子みたいな店にて「で?」と松隆はカクテルジュースのグラス片手に早速愚痴を聞く姿勢をみせてくれた。


「この間は何があったんですか?」

「……何かあったと決めつけるのをやめなさい」

「じゃあ何もないのにあんなサイトを見てたんですか?」

ひろがあんまりにも頻繁に沙那さなと飲みに行くので、ちょっともやもやして『女子と2人で飲みに行くときには一言くらい言ってほしいなー』と言いました。すると後日、沙那に『生葉って束縛とかするタイプなんだね。紘と飲んでるときに、秘密ねって口留めされちゃった』と言われました!」


 すぐに白状した私に、松隆は「くっ……」と声を上げて笑いそうになるのを堪えてみせる。


津川つがわ先輩、別れさせ屋みたいですね」

「別れさせ屋ならせめて被害者面くらいさせてほしいなあ!」


 津川沙那もまた、私達と同じテニスサークルのメンバーで、かつ、私と同じ法学部だ。


「有り得なくない? なんで沙那本人にその話をするの? でもって『秘密ね』ってなに? 秘密にしろなんて言ってないじゃん! 一言断ってくれてもいいじゃんって言ってるんじゃん! そしてそれを私にわざわざご丁寧に伝える沙那! なにこれ!」

「大宮先輩と津川先輩、同じくらい頭おかしいですよね」

「人の彼氏を捕まえて頭おかしいとかいうんじゃありません」

「でも頭おかしいって思ってるでしょ」

「思うけどそんなこと言ったら余計に沙那にあることないこと言いふらされるだけじゃん!」


 沙那を一言で表すならば、“噂好き”。他人の友人関係から色恋沙汰まで、沙那はとにかく情報を集めるのが大好きで、しかもたちの悪いことに、伝えてはいけないことを伝えてはいけない相手に伝えてしまう。紘と2人で飲みに行った際に口留めをされたと私に伝えたのがまさしくそれだ。


「きっと私があそこで怒れば『紘と2人で飲みに行ったら生葉に怒られちゃった』って紘に伝えるんだよ……」

「津川先輩と大宮先輩の仲が良いのが運の尽きですね」


 そのとおりだ。お陰様で、私が紘に話したことは沙那に筒抜け、そこからサークル全体に筒抜け状態。他人に言われたくないことは紘に話してはならないと決めた。


「正直、大宮先輩と津川先輩が仲が良いの、結構謎ですよね」言葉のとおり首を捻りながら「津川先輩と仲が良い男って、めちゃくちゃ性格が良いか、流されやすいかのどっちかですけど、大宮先輩ってどちらでもないですよね」

「ツッコミにくい評価はやめなさい。そのとおりだけど」


 正直、沙那の性格は良いとは言い難い。頑張っても「悪い子じゃないんだよ」がいいところだ。結果、沙那と仲が良い子は、沙那と仲良くできるくらい性格がいいか、沙那の口から聞く噂話を一緒になって楽しんでしまう、朱に交われば赤といったタイプの子のどちらか。ただ、紘はそのどちらでもない。


「でも、噂を好きじゃない人のほうが珍しいからなあ」だし巻き卵をつつきながら頬杖をついて「紘も、沙那と話してて楽しいんじゃないかな」

「あんまりよくない楽しみ方な気がしますけどね」


 なんとなく自分を納得させようとしたのに、松隆にばっさり切って落とされた。ぐうの音も出ない。


「……松隆って沙那のこと嫌いだよね」

「そうですね」

「沙那は松隆のこと好きなのにね」

「津川先輩は僕ではなくて僕の顔が好きなんですよ」


 松隆は自分の顔が良いと自覚しているのだけれど、基本的に開き直っていて、それを鼻にかける様子は微塵みじんもない。私が騙されていなければ、だけれど。


「よくいますよね、顔が良いだけで知りもしないのにキャッキャと騒ぐ女子。高校にもいたんですよ、あの手の女子。もし津川先輩が高校にいたら親衛隊隊長とか務め上げる最高にウザイ勘違い野郎になってると思います」

「松隆、その顔でその性格って本当に詐欺もいいところだよね」


 それどころか、どちらかというと顔の良さが逆コンプレックスのようになっている。私が騙されていなければ以下略。


「さすがにここまで言うのは津川先輩特有です。この間の飲み会だって、酔っぱらったふりかなんなのか知らないですけど、後輩に抱き着いて肩を組むって、男女逆ならセクハラもいいところですからね」

「まあ、それはね、うん。災難だねとしか……」


 松隆が沙那を好いていないという事実は、私達を結託けったくさせている面がある。松隆には悪いけれど、沙那が松隆にうざからみし、それに対して松隆がフラストレーションをつのらせているのは、私ばかりが松隆に愚痴をこぼす図が出来上がらないという意味でいいことだ。


「本当に天災もいいところです。あれでもうざいともなんとも思わないとか、どんな聖人君子ですか、それは」


 特に、酒を飲めない松隆は、飲み会でも常に素面しらふ。一方で沙那は酒好き。酔っ払いの先輩女子に絡まれるのはさぞかし鬱陶しいことだろう。ジュースを飲みながら、松隆は沙那の話題になるといつも柳眉りゅうびを寄せる。


「まあ、津川先輩の話はいいです。いつものことですし。ああでも、大宮先輩の話もいつものことですね?」

「なに? 私のこと嫌いなの?」

「まさか。だったらこうやって飲みに付き合ってません」


 薄暗い店内で笑顔が輝く。内心なにを考えているかは知らないけれど、松隆が嫌いな人間と好き好んでお喋りをするような、裏表のある人間でないことは知っていた。


「先輩も先輩で、なんで大宮先輩と付き合ってるのかよく分かりませんけどね」

「……なんでってなんで」

「だって、話を聞けば聞くほど甘ったれてますよね。先輩がダメ男専門に見えてくる」

「そんなことないです。あと、先輩を捕まえてダメ男と呼ぶのはやめなさい」

「いやあ、僕もサークルにいるだけだったら全然そんなことは思わなかったんですけど」


 松隆はもぐもぐと唐揚げを食べる。そんな姿でさえイケメンになるのだから、美形の力はすごい。


「大宮先輩、わりと典型的なダメ男なんで。それを毎回許してる先輩ってなんなんだろうなあと」

「……別に言うほどダメなわけじゃ」

「あぁ、他の女子と出かけるくらいは言うほどダメなことではないですね」

「……そうだよね。言うほどダメなことじゃないよね。私だって別に『あたし以外の女の子と出かけないで?』なーんて言わないからね。そこまで女の子じゃないからね」


 「でもね」と一息置く。あおるように私の言葉を繰り返した松隆の罠にまんまとはまったことは、松隆が後輩とは思えないほど腹立たしい煽り顔をしているせいでよく分かった。


「残念ながら他のどんな女と何度も出かけられて平気でいるほど男らしくありません! しかも相手は決まって2人、沙那は彼氏が途切れないモテ女だし、もう1人は経済学部で一番の美女と呼ばれる茉莉まり! しかも茉莉は性格まで良いし彼氏もいない! そんな女子と授業もサークルも飲み会の席も一緒! しかも飲みに行った日はそれを秘密にする! あーもうっ、腹立つ!」

「なんで別れないんですか?」

「……好きだから」


 心の叫びを音声にして表せば、松隆の冷ややかでごもっともなご意見がきたし、更に、私の返答に対するこれまた冷ややかな視線も向けられる。


「女の子ですね」

「松隆、私のこと馬鹿にしてるでしょ」

「してませんよ、半分くらいしか」

「半分してるじゃん!」


 ふざけるなよ貴様! と無駄に整った美しいその顔を睨みつけるけれど、松隆はどこ吹く風だ。それどころかグラスを傾けながら「だって典型的なカモじゃないですかそれ」と先輩に向けてとんでもない暴言を吐く。


かも

「カモです。ネギも一緒に調理すればなおのこと美味いことから鴨が葱を背負ってくるなど言われるあの鴨です」

「なにかね、その馬鹿丁寧な説明は。そのくらい知ってます。あれか、私がダメ男を更につけあがらせているとでもいいたいのか」

「だって何やっても許してくれるじゃないですか。僕、わりと引きましたよ、大宮先輩がもう1個のサークルの新歓帰りに死ぬほど酔って、友達の誕生日祝いしてた先輩を電話で呼び出して帰宅させた挙句、先輩の家で寝ゲロしたって話」


 ……この間の4月の話だ。この話をしたとき、松隆はドン引きしていたし「別れました? え? まだ?」と心底不思議そうに聞いてきた。


「そうそう聞かないクズエピソードですよ」

「……松隆、君はお酒で間違いを犯さないように」

「この顔で『飲めないんです』って困った感じで言えば免除されますから」

「この腹黒王子……」

「あるもの使って何が悪いんですか」


 この性格がサークルではバレていないのだから恐ろしい。男を見抜く目に長けた沙那でさえ「松隆くんは顔だけじゃなくて性格も良いよね。ちょっと毒舌なところが逆に胡散臭うさんくさくなくていい」程度に評する始末だ。


 そんな外面良し男くんは「ていうか誤魔化さないでくれません? 結構なクズエピソードですよ、それは」と繰り返す。確かに仲の良い友達の誕生日パーティーを彼氏による「介抱してくれ」という一本の電話で抜ける羽目になったことは恨んだ。


「……でもギャンブル好きでもないし、アル中でもないし、DV男でもないし、決定的な浮気はしてないし」

「いま先輩がしてるの何の話ですか? 人間と猿の区別基準?」

「ギャンブル好きとアル中とDV男と浮気男を迷わず猿呼ばわりする君はイケメンだ! 君は腹黒いけど性格はイケメンだ!」

「ギャンブル好きでなく、アル中でなく、DV男でなく、決定的な浮気をせず、なら文句など言ってはいけないと思ってる先輩、やはり安定の鴨、ご愁傷様です」

「松隆なんてデートの日に眉間にニキビでもできればいいんだ」

「できないんですよね、ニキビ」

「顔面が良い男は肌にまで恵まれてるなんて、世の中は不公平だ」


 つるつるもちもちの松隆の肌を睨みつけながら、大して飲めもしないカクテルをあおった。


 それから暫く、だらだらとサークルの話やら授業の話やらをして、気付けば時刻は22時を回っていた。


「松隆、まだ何か食べる」

「僕は別に」

「そう。すみませーん、カシオレひとつー」

「えぇ……」


 松隆の片手にあるのは、最初から今まで可愛らしいノンアルカクテル。立場が男女逆だ。


「先輩、さっき一杯飲んだでしょ。やめましょうよ」

「飲まずにやってられるか」

「そのセリフ、いつか言ってみたいって言ってましたもんね」


 いかんせん私は、普通の人がジュースだと笑うほどアルコール度数の低い酒であってもほんの一口で顔が真っ赤になる。びっくりするほど酒に弱い。それなのに、顔立ちと出身地(四国)はどう考えても酒豪しゅごうのそれ。普通なら「ギャップ萌え」になっていいのかもしれないが、残念ながらそんなことを言われたことはない。大抵の男子に言われるのは「お前にその設定求めてない」だ。私も求めてない。だってストレス発散方法が人より一つ少ないのだから。


 お陰でほんの3口のカシオレでもアルコールが喉を刺激する。ただでさえグラス1杯分の酒を飲み干した後なので頭痛が酷い。こめかみを押さえながらも、カシオレの入ったグラスに口をつける。松隆は心底呆れ顔だ。冷静に考えると、サークルの飲み会では沙那に絡まれ、プライベートの飲みでは私の世話をさせられ、このイケメン様はなんとも不運な立ち位置だ。不運にさせてる私が言うのもなんだけど。


「結構冗談抜きで顔赤いですよ。やめましょう?」

「やだ」

「送り狼になりますよ」

「松隆に限ってそれはない」

「先輩こそ僕のこと舐めてません?」

「だってー、私だってたまには『飲み過ぎたー』って紘に電話したい」


 はぁー、と重い溜息を吐く。きっとこの息はアルコール臭いんだろう。酒好きな彼氏のお陰でよく知っている。


「でも、そういう女、うざくない? 知ったこっちゃないわ、飲み過ぎたところでお前の体なんだからどうしようもないわ、みたいな」

「ごもっともですね」

「こういうのが、可愛くないんだろうな」


 ぼそりと呟いた。私のプライドは、酔っぱらってもないのに酔っぱらったふりをすることを許さないし、前後不覚になるほど酔っぱらうことさえ許さない。


 正直、我ながら、見た目はそんなに悪くないと思うのだ。いつもポニーテールにしている黒い髪は、地味なのかもしれないけれど、一度も染めたことがないお陰で結構綺麗だと思う。二重の目は友達に「それだけで勝ち組」とうらやましがられるし、鼻筋がとおってて「いいなあ、俺は鼻がコンプレックスだから」と男にさえ言われたことがある。中肉中背だけど、多分「細すぎる女子はちょっと」と言う男もいるし、なんなら胸はやや重たいくらい大きいし……、体型にあまり自信はないけれど、マイナス評価がされるほどではない。


 それでも、どうにも私には可愛げがない。いまどき自サバ・・女なんて蔑称があるけれど、自称でもサバサバを気取れるならいいと思う。私は他サバ女だ。みんなが「サバサバしてる」と言うだけで、本当の私の中身は、女々しさを見せることができないちっぽけなプライドでできている。


 だから、酔っぱらってもないのに酔っぱらったふりをすることなんて、プライドにかけてできない。それでも、たまには、目に見えて酩酊めいていして、理性のないふりして言いたいことをぶちまけたい──。そんな気持ちでグラスを傾ければ、冷たい手に手首を掴んで止められた。


「……なに」

「やめましょ。顔、真っ赤ですよ。ほら脈も速いし」

「彼氏に心配してほしいからいいんだよ!」

「でも彼氏いないですよここに」

「……なんで松隆と飲んでんの私」

「失礼にもほどがある。先輩が連れてきたんでしょ。待ち合わせ場所での最初の一言は『あのクソ野郎』」

「……松隆。松隆に彼女がいなくて本当に良かった」


 グラスをテーブルに置くと松隆の手も離れた。でもその手を両手でガッシリと握りしめる。


「私の愚痴をこんなにもだらだら聞いてくれるのは松隆だけだよ! 松隆がいなかったらとっくに紘とはダメになっちゃってるよ! 今後も彼女は作らないで遊んでてね!」

「僕が特定の彼女作らないで遊んでるみたいな言い方、やめません?」

「違うのか……」

「違います。偏見もいいとこです」

「こんなにイケメンなのに……」

「イケメンなせいで、顔から入られることが多くて損してるんですよね」

「世の中のブサメンが聞いたら刺し殺したくなるようなセリフだね。TPOをわきまえて発言するように気を付けなよ」


 それから、松隆に時々止められながら、カシオレを飲みきった。たった2杯のアルコール度数3パーセント程度のお酒は私を酷い頭痛におとしいれるのに充分だ。可愛げのない性格に可愛げのある体質なんて笑ってしまう。私と松隆でいつも通り6対4の割合でお金を出して、居酒屋を出た。


「ごちそうさまです。半分出しますって言ってるのに」

「いーじゃん、可愛い後輩の前だと見栄はりたいし。あと愚痴代」

「それもそうですね」

「否定してよそこは」


 外は初秋の夜らしい冷たい空気で冷え切っていた。そういえば、今日は10月なのに2月並みの寒さだとニュースで言っていたっけ。松隆は秋用のトレンチコートを羽織っていて、スタイルの良さのお陰でそれだけで絵になる。つくづくお得な見た目だと思うけれど、本人は損をしているというのだから、不思議なものだ。


「うわー、さむ。寒い、酔いが覚める」

「覚めたら大宮先輩に電話できないですよ」

「そうだね、覚める前に帰ろっと」

「送りますよ」

「いーよ、逆方向だし」

「そんな足取りの人、放って帰れるわけないでしょう」


 足元が少しふらつく。こんなに飲んだのは初めてかもしれない。松隆が「そのヒールでふらふら歩くのやめてくれません? 怖いんですけど」と言うから、もしかしたら今の私は千鳥足なのかもしれない。


「先輩、なんで大宮先輩のこと好きなんですか」

「えー、なんでだろ。分からないけど、紘を逃したら、私と付き合ってくれる人、いなさそーじゃない?」

「なんですかその自虐……」

「いやー、松隆はね、イケメン様だから分からないかもしれないですけどね、私みたいな平々凡々な顔だと、自信なんて中々持てないわけですよ」


 ははは、と渇いた笑い声が零れた。


「今まで彼氏がいたことなく、告白されたことももちろんなく。……紘が初めてなの、私と付き合ってくれたのは」

「ふーん」

「……興味ないなら聞かないでよ」

「いえ、思いのほかつまらない惚気話だったもので」

「あーあ、先輩にそんなこと言うなんて、本当に生意気! でも可愛い! 実はちょっと頭撫でたいってずっと思ってた! 撫でてもいい?」

「イヤです。……イヤですってば」手を伸ばしたけれど易々と掴まれてしまったし、そもそも20センチ近い身長差では松隆の頭に手が届くはずもなく「はいどーどー、大人しくしてくださいね」

「本当に私のこと馬鹿にしてるでしょ」

「まあ、半分くらい」

「もう半分は敬ってるのかな」

「憐れんでますかね」

「それは全部馬鹿にしてるって言うんだ!」


 いまは松隆とこんな馬鹿な遣り取りをしてるけど、帰ったら紘に電話をするんだ、酔っぱらっちゃったー、なんて馬鹿な女を演じながら。少しでもいいから、たまには砂を吐きたくなるくらい甘ったるい彼氏彼女になってみるんだ。

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