第17話 背中

 大会の始まりとは違って、終わりには観客が一斉に引き上げる。二人もその流れに入ったものの、普段履き慣れない下駄なので、急いて歩くと無理がかかる。案の定、JR駅に向かう歩道の途中で毬の下駄の鼻緒が切れてしまった。立ち往生する二人を観客たちは避けて歩く。すると後ろで滞留が起こる。交通整理していた警察官はその流れの異常を見逃さなかった。


「もしもーし、どうされました?」


 二人組の警察官が近寄って来て声を掛けた。しゃがみ込む毬の横で、朱里が


「すみません、この子の下駄の鼻緒が切れちゃって」

「あー、鼻緒ですか」


 その声に毬が顔を上げた。


「え?」


 警察官も街灯の明かりで顔を見る。


「あれ、小平さんのお嬢さん? 上原です。やっぱり来てたんですね」


 毬の顔が赤くなった。恥ずかしい…、よりによってこんなところを見られた。


「知り合い?」


もう一人の警察官が尋ねる。上原巡査は、


「ええ。管内の住民さんでね、拾得物の小鳥の世話をお引き受け頂いてたんですよ」


と答えて、毬の方を向き、


「ウチのテントで、鼻緒の修理しますよ」


 と、毬の横にしゃがんで背中を示した。毬は益々赤くなりながら、上原巡査に背負われた。警察のテント迄の200メートル、少し汗の匂いがする背中とPOLICEの文字。永遠にこのままでもいい…。ちらっと思った毬だった。


 テントの下のパイプ椅子に座らされた毬と朱里に、上原巡査は近くの自販機で缶ジュースを二本買って来た。


「暑いから飲んで下さい。で、そのプリングを頂けますか?」

「有難うございます。ぷ、プリングですか?」

「ええ。修理に使うので」


 巡査はどこからか日本手拭いを出して来てびりっと引き裂く。毬が目を丸くして見ていると、それを紙縒こよりのように丸め、下駄の鼻緒に通す。下駄を裏向け、底のゴムの切れ目をポコっと開けると、穴が見えた。


「ね。ここで鼻緒を止めてるんですけどね。丁度プリングが嵌るんですよ。シンデレラフィットって言うのかな」


 紐になった手拭いを穴に通し、その先をプリングに結び付けると上から引っ張る。プリングは底の凹みにぴったりと嵌って手拭い生地の仮鼻緒が完成した。


「履いてみて下さい。手拭いだから指もそんなに痛くならないと思いますよ」


 毬は本当にシンデレラになった気分になった。下駄を履いて足踏みしてみる。凄い、どこまでも歩けそうだ。12時までに帰らなくちゃいけないけど…。


「有難うございました! 全然歩けます。ずっとこのまま使います」

「いや、それは駄目ですよ。ちゃんとお店で治してもらって下さい」


 朱里もすっかり感心した顔つきだ。毬は勢いで言った。


「あの、もう一つ、いいでしょうか?」

「はい?」

「こないだ、ナナが、あ、インコがベランダでヘビに食べられそうになったんです。殺虫剤かけて追い払ったんですけど、二階のベランダになんでヘビがいたのか判らないんです。調べるとかできますか?」


 上原巡査は手を顎に当てた。


「二階のベランダにヘビ。大きいヘビですか? この前逃げた奴みたいな」

「うーん、あんなに大きくないですけど、これ位?」


 毬は両手を広げる。浴衣の袖がぱあっと拡がり、巡査は一瞬の若いあでやかさに目を奪われた。


「ま、まあ犯罪とは関係なさそうですけど、パトロールついでって事で一度お伺いしますよ」


+++


 帰り道、JRの車内で朱里は毬を突っつく。


「収穫のあった花火大会ね。お巡りさんだったらボディガードにもなるし、ちょっと歳上だけど、やるなあ、毬」

「そ、そんなじゃないよ!近所のお巡りさんだよ!大人だよ!」


 毬は真っ赤になって反論する。


「そうかなぁ。どう考えても今日のストーリー、恋の始まりよ」


 恋の始まりって…。朱里と別れて毬は俯きながら思い出した。『8歳違いなんて同世代だ』と父親に啖呵を切ったことを。

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