第18話 ごはん

 約束通り、上原巡査は小平家へパトロールにやって来た。まだ夕方だからお嬢さんだけかも知れない。巡査もいささか不安であったが、任務である。巡査は家の前にスクーターを停めてインターフォンを押した。


♪ ピンポーン


「はい」

「交番の上原です」

「えーー、すみません!」


 バタバタと毬が出て来た。夏休み中の毬はショートパンツにTシャツの部屋着姿だ。全く休日の妹そのものだ。巡査はこっそりと思った。


「それじゃ、ヘビの出た場所にご案内頂けますか」


 巡査は毬の後について二階へと上がる。毬の生足が刺激的である。女子高生の部屋に入るなんて初めての経験だ。ドキドキする…。いや、いかんいかん。任務中なんだ。巡査は自分に言い聞かせた。


「ここでーす」


 案内された部屋は想像よりシンプル。推しメンのポスターもなく、ぬいぐるみが並んでいるわけでもない。壁紙やカーテンの色あいが女の子らしい優しいイエロウ系であるだけだ。ふうん。そう言うものなのか。巡査は妙に感心した。毬はサッシを開けて室外機を指し示す。小ぶりのベランダも室外機があるだけだ。


「ちょっとサンダル、お借りしますね」


 巡査はベランダに出てみた。室外機から伸びるドレンホースが壁に取りつけられた縦ダクトの集水器に入っている。随分太いホースだが、ダクトは地中の雨水用配管に繋がっているのだろう。エアコンの排水をベランダに流したくなかったんだろうな。巡査は推察した。これならヘビも登って来れそうだ。毬もサンダルを履いてベランダに出て来た。


「えっと、小平さん、このエアコンのホース、あるでしょ? ドレンホースって言うんですけど」


 巡査は解説を始めた。毬は神妙な表情だ。


「これが縦のダクトに渡っているのが見えますよね。あれを伝ってヘビが登って来たんですよ」

「えーー! ヘビって登れるんですかぁ? 足ないのに」


 そう言うと思った。巡査は微笑んだ。


「ええ、多分、お向かいの森にいるアオダイショウでしょうね。とっかかりさえあれば、壁だって登るクライマーなんです。ここにインコを出してると、森のヘビから丸見えだし、匂いとかで判るんでしょうね。で、庭を横断して、ダクト沿いに登って、エアコンのドレンホースを伝ってここまでやって来たんだと思います」

「じゃあ、また来るかも、ですか?」


 巡査はちょっと考えた。


「そうですね。一度覚えたからまた来る可能性はありますね。今回は屋外でしたけど、ドレンホースは結構太めのホースだし、中を通ってエアコンの室内の機械から部屋まで入って来ることが出来るので気をつけた方がいいですね」

「えー! どう気をつければいいんですか?」

「まずはドレンホースに侵入防止の網でも被せることですね。お父さんにお願いして下さい。それからドレンホースはダクトから抜いて、ベランダから直接縦に落とした方がいいですね。ダクトに渡すとホースが横になって水が溜まるので衛生上も宜しくないですし、大した量が出る訳じゃないので、ポタポタ落ちても気にならないと思いますけどね。そうするとアオダイショウも簡単にベランダには近づけないですし、その上でヘビ除けの薬をここと、地上のダクトの周りに撒いておけばいいかもですね」


 はーっ。なるほど。覚え切れないけどさすがは大人だ。毬はすっかり感心した。こんなにすらすらと解決できるなんて…どれだけカッコいいんだ。


「わ、解りました! ホースを抜いて網を被せて薬撒くんですね」

「そういう事です」

「ありがとうございました!」


 巡査はサンダルを脱いで、部屋に入る。


「じゃ、私はこれで」

「は、はいっ あの、ナナを見て行って下さい」

「ああ、なるほど。あの子、ナナって名前なんですね」

「そうです。初め、お父さんが七色に見えたからって」

「へぇ、七色…」

 

 毬は名づけの経緯を説明しながら、リビングに巡査を案内した。お茶とか出した方がいいのかな。


「ナナ、お巡りさんが来てくれたよ!」


 ところがナナは巡査が前に現れると急に騒ぎだした。


 ギュギュギュ ギャギャギャ ギュルギュル


「あれ? ナナ、なんて声出すのよ。いつもみたいにお話してみて」


『ゴハン!』


「へ?」

「はははっ」


 毬は目が点になり、巡査は笑い出した。


『ゴハン! ゴハン! ギャギャギャ ゴハン!』

 

 ナナは羽もバタバタして騒ぎ続ける。巡査は言い出せない後悔を噛み締めた。やっぱりインコには恨まれている。


「どうしたのよ! あの、上原さん、いつもはこんなじゃないんです。なんでだろ。ゴハンなんて初めて聞いたし、そもそもちゃんと食べさせてますよ、やだな、恥ずかしい」

「いいですよ、きっと警戒してるんです。ご主人を取られると思ってるのかな」


 取られるって…。それ、いいかも。毬は不意に思った。いや、今は駄目だ。


「では、失礼します。お父さんによろしくお伝え下さい」


 上原巡査は毬に向かってカッコよく敬礼して、そしてスクーターに跨って帰って行った。毬はやや落ち込んで家に戻り、ナナの前に座る。


「ちょっとナナ、どういう事よ。恥ずかしいよ、あたし。食べさせてあげてないみたいじゃん、もう。あんた、焼きもち焼いてるの? ナナには関係ないでしょ? 上原さん、カッコいいけどさ。ナナには関係ないんだから!」


『ゴハン!』


「うるさい。ごはん、たくさん入ってるでしょ、食べてから言いなさい」


 毬はプンプンしながら二階へ戻る。その後ろ姿をナナはじっと見つめていた。

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