第9話 たいへん!

 小平家にナナがやって来て1ヶ月、ナナは相変わらず適当な『タダイマ』を繰り返していたが、一応毬のことは飼主と認識しているようだ。毬もナナの世話のため、早くに帰宅するようになり、徹も満足していた。総じて仮免許とは言え、徹の作戦は成功し、ナナは小平父娘の間に溶け込んでいる。


 その日も毬は帰宅するなり、ナナの世話を始めた。


「ナナ、お水換えるよー、温まってると思うからさ、冷たいお水にするね」


 ナナの水入れは昔からある小さなプラスチック製の容器を外から専用の扉を上げてセットする形だ。毬は新しい水を入れた容器を片手で持ちながら、そっと小さな扉を上げる。その中に容器を入れて…と。


 その時、ナナが突然ケージの中で羽ばたいた。


 あっ!  水の容器がひっくり返る。


「たいへん!」


 毬は慌ててケージの大きな扉から手を入れて水の容器を掴み、ケージの外に出す。底に敷いている新聞紙もびしょびしょだ。


「あーあ。ナナが騒ぐからこぼしちゃったじゃない」


 ピュルピュル


「ご機嫌してるんじゃないわよ。もう一回お水入れて来るからちょっとお預けね」


 毬は容器に再び水を満たすと、今度は慎重にケージ内にセットし、そして底の新聞紙も乾いたものに取り替えた。


「じゃ、あたし宿題して来るからさ、一人で遊んでて」


+++


 夜になり、今度は徹が帰宅する。


「ただいまー」


 二階から毬の「おかえりー」が聞こえる。


『タダイマ タダイマ』


 リビングのケージの中では相変わらずナナが頓珍漢なお喋りをしている。徹が着替えて夕食の支度をしている間、ナナは鈴を突っついていた。ナナの遊び道具として毬が入れたもので、天井から紐でぶら下がっている。ナナがつつくたびに、チリンと言う音がして、ナナが遊んでいることが二階からでも判るのだ。


 毬も降りてきてダイニングで徹の手伝いをする。チリンチリンの音が次第に激しくなってきた。


「ナナ、何してるんだろう」

「はは、鈴がサンドバックみたいになってるな」


 気になった毬が見に行くと、ナナは鈴ではなく鈴をぶら下げている紐を咥えて揺さぶっている。


「ちょっとナナ、切れちゃうよ」


 毬がたしなめるがナナは言う事を聞かない。紐を嘴でしっかり咥えたまま、益々激しく揺さぶる。


「まったくもう…」


 毬が手伝いに戻ろうとしたその時、


 チャリン!


 毬が振り向くと鈴がケージの底に落ちている。


「ほら、言わんこっちゃない。切れちゃったじゃない。駄目でしょ、ナナ」


 ナナは叱られているのが判るのか、止まり木の端までトトトと移動する。そして言った。


『タイヘン!』


「何が大変よ、あんたのせいでしょ。誰がつけ直すと思ってんの」


『タイヘン! タイヘン!』


 ぷっ いつの間に覚えたかな…。毬はケージに手を突っ込むと、落ちた鈴を取り出しダイニングに向かった。


「お父さーん、ナナが『大変!』って騒いでる、自分で鈴、ちょん切ったくせにー」

「ははは、毬と似て来たな」

「うっそー、あたしそんなじゃないよー」


 小平家には笑いも戻って来た。

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