第8話 ただいま

 翌日、徹と毬は交番で待ち合わせた。徹は定時ダッシュで会社を出て速足でやって来たのだが、毬はもう交番の中で先日の警察官と仲良く喋っている。徹は慌てて扉を開けた。


「あ、お父さん」

「うん、すみません、遅くなりました」

「いえいえ、わざわざご足労頂きこちらこそすみません」


 上原巡査が立ち上がった。既にケージがデスクに置かれ毬がへばりついている。


「じゃあお手数ですが、こちらにご記入をお願いします」


 書類には『拾遺物一時保管に関する誓約書』とあった。上原巡査が頭を掻く。


「いや、丁度いい書類様式がなくてね、念書みたいなものだから私が勝手に作ったんです。だからネットに出したりしないで下さいね」

 

 巡査も苦労しているようだ。


 徹が住所や氏名を書き、認め印を押すと、巡査がコピーしてその書類を手渡してくれる。


「一応双方で保管ってことでお願いします。あ、それとそこに書いてますけど、エサ代とかのお金は出ませんので申し訳ないです」

「いいえ、ウチも預かりたいって思ってたんで丁度いいですよ。後から大金持ちの飼主が現れたら倍にして請求しますけどね」

「民民でお願いします」


 巡査も笑った。


「じゃあ、飼主が現れなければ3か月後にもう一度ご連絡します。その時にはまた書類が要りますので」

「判りました。ではお預かりします。毬、ケージ持って」


 毬がケージに紙袋を被せて手で下げ、巡査に頭を下げた。


「有難うございました。飼主さん出て来ませんように…」

「はは。ま、お世話よろしくね」


 巡査が扉を開けてくれ、にこやかに見送ってくれた。

 

+++


「交番って24時間勤務なんだって」


 ケージをそーっと待ちながら毬が話した。


「へぇ。警察24時間とかテレビでやってるもんなあ」

「でも滅多に事件はないんだって。酔っぱらったお父さんが入ってきて、お説教されたりするって」

「ふうん、大変だね」

「そうね。上原さんってまだ24歳なのよ。大学出てたった2年、あたしと8歳違いって凄くない?」

「よく知ってるな、何が凄いのか判らんけど」

「夫婦でも8歳違いってあるでしょ。殆どあたしと同世代みたいなものよ」

「同世代にはとても見えんけどな。大人と子どもだよ」


 毬は一旦ふくれっ面を見せる。


「それでさ、2時間以上喋ってたんだもん、いろいろ聞いちゃった。まだ彼女いないんだよ。ジュースも奢ってもらったし」

「えー? 厚かましい子どもだな」

「いいのいいの。インコのお世話の手間がなくなるんだから。そうそう、それで昔、インコ飼ってたんだって。緑と黄色の普通の子」

「ふうん」

「でもね、自分で扉を開けて逃げちゃったんだって」

「ほう、凄いな。って言うか、ウチも気をつけないとな」


 毬の積極性が少し心配になった徹だったが、まあ良しとしよう。これも父娘の絆の重要なパーツだ。


+++


「ただいまー」


 毬が元気に玄関を開ける。ケージをリビングに置き、紙袋を外した途端、ナナは囀り始めた。


 ピュルピュル ピュピュピュピュ ピュル


 少し遅れて徹が入って来た。すると…、


『タダイマ タダイマ』


 あれ?


 毬がケージを覗き込む。ナナ、また喋った?


『タダイマ タダイマ ピュルピュル』


「お父さん! ナナ、喋るよ! 今、タダイマって何回も言った!」

「本当? 凄いな、ちゃんと躾けられてるんだ」

「うん、そうみたい。あたしも教えてみよう」

「いいね。じゃちょっと晩飯買って来るわ」

「うん。行ってらっしゃい」

「行ってきまーす」


 徹が手を挙げてリビングから出ようとした時、


『タダイマ』

 

 あら。徹も吹き出している。毬がたしなめた。


「ナナ、そこは『行ってらっしゃい』でしょ?」


『タダイマ』


「毬、難しいよ、『行ってらっしゃい』は」


 徹は笑いながら出て行く。毬はそれでも根気よく『ただいま』と『行ってらっしゃい』の違いをナナに教えた。

 

 20分ほど経って、徹が戻って来た。


「ただいまー」


 あ、 毬が玄関の方を振り向く。おかえ… と出かかったその瞬間、


『タダイマ』


 取り敢えず、タイミングは合っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る