第7話 交番ステイ

 翌日の帰宅後、徹は毬と一緒に交番に出掛けた。昨夜は毬がケージを自分の部屋に持ち込み、ずっとナナに話しかけていた。今日も学校からまっすぐ帰って、ずっとケージの前を離れなかった。それを思うとちょっと不憫でもある。いっそ飼主が見つからないことを、徹も願わざるを得ない。


 10分ほどで交番に着き、中を覗き込む。幸い留守ではなさそうだ。


「はい、どうされました?」


 書類を書いていた若い警察官が顔を上げ、徹と毬を見た。


「あの、小鳥が飛んで来てね、逃げて来たんじゃないかと思って届けに来たんですよ」


 毬がケージをデスクの上に載せ、覆っていたタオルを外した。ナナは止まり木を毬の方へトトトと動いた。


「ほう。セキセイインコですね。2,3歳ってとこかな。飛んで来たんですか」

「そうなんです。昨日私の肩にいきなり止まって。でも昨日は入れ物もなかったんで持って来れなかったんですよ」

「ああ、なるほど。それはすみませんでした。取り敢えず書類書いてもらえますか」


 徹が住所氏名や当時の状況を言われるままに書き込む。横で見ている警察官に毬が聞いた。


「飼主が出て来なかったらどうなるんですか?」

「えっと、県の保護センターに引き取ってもらうのが普通ですけど、小平さんが飼うと仰るならそれも可能ですよ」

「そうしたいです。それまではお巡りさんが飼うんですか?」

「いやー、ちょっと書類とか登録のために今日はここで預かりますが、明日以降はやっぱり保護センターにお願いすることになりますね。保管期間が3か月と長いですからね」

「3か月…」

「自分もあまり経験がないのでもう一度調べてご連絡しますよ。カゴ迄買って頂いてるし」


 上原巡査と名乗る警察官は毬を見て微笑んだ。


 結局その日は後ろ髪を引かれる父娘は振り返り振り返り、交番を後にした。


+++


「小鳥か。よりによってセキセイインコとはな…」


 その夜、当直だった上原巡査は、ケージの中のセキセイインコを一人眺め、ぼやいた。彼が中学生の頃、北海道の実家にセキセイインコがいたのだ。父親が衝動買いしてきたものだが、すぐにいなくなった。父親はベランダに出したケージの入口を自分で開けて逃げてしまったと言ったが、実は違う。そういう事があるとは知っていたが、あの時は少年だった巡査が逃がしたのだ。勿論その事実は誰も知らない。


 ずっとケージの中に囚われている小鳥が不憫だった。狭い空間で毎日同じものを食べ、決まった人間しか見られない。友だちも出来ないし恋も出来ない。だから自由にしてやったのだ。父親の溺愛は間違った愛だと思っていた。


 野に放ったペットの小鳥が長らく生き延びられない事を知ったのはそのすぐ後だった。セキセイインコが北海道の厳しい冬を乗り越えるのは難しいと気づいた時、少年だった巡査は唇を噛んだ。以来、セキセイインコは後悔の同義語として巡査の胸の中に仕舞い込まれている。


 このインコは守らねば。巡査は後悔を塗り替えるべく、ケージを休憩室のテーブルに運び、ケージの入口をクリップで挟んで上からバスタオルを掛けた。


 交番での勤務は夜も帰れない。翌朝まではずっと勤務中。上原巡査も書類を作ったり電話に出たりと夜遅くまでバタバタと仕事をしていた。時計の針は夜中の2時を回っている。


「ふーっ。やっと休憩だ。インコは寝たかな」


 巡査は背後の休憩室の扉を開けた。ケージの中の小鳥は巡査が入って来ると、反対方向へトトトと移動した。


「ごめんよ。好かれてないのはよく知ってるよ。でも、キミの事は守るから」


 巡査はインコに目配せすると、カップラーメンの蓋を外し、ポットのお湯を注ぎこんだ。テーブルの横にどっかと座る。


 巡査の頭には『セキセイインコを引き取りたい』と言った毬の顔が浮かんでいた。ケージの端っこでそっとこちらを伺っているインコを見ていると切なくなる。あちらの方が幸せだよな。インコもずっとあの子の顔をチラ見してたし…。巡査は割り箸を持ってカップラーメンの容器を引き寄せながら決めた。


+++


 翌日の朝、徹のスマホが鳴った。


「ん? はい、もしもし」

「小平さんですか? 公園前交番の上原です」

「ああ、昨日はお世話になりました。もしかして見つかったんですか?飼主」


 毬は不安な顔つきで徹を見る。スマホの向こうで上原巡査が告げた。


「いや、それはまだなんですけどね。このインコ、小平さんの所で3か月間預かってもらえないでしょうか?」


 徹は毬の顔を見る。望むところじゃないか。


「いいですよ」


 徹は即答した。


「いや助かります。保護センターでもいいんですけど手続きもあるし、小平さんのお嬢さんと仲良しみたいだったから、もし飼主が見つからなかったらそのままお引き取りできますしね、いや、多分出てこないと思うんですよ。ネットの掲示板とか随分探しましたが迷子の話がちっとも挙がってないんでね」


 巡査はそのための書類も書いてもらう必要があるから、もう一度交番に来て頂きたいと話し、徹は快諾した。電話の後の毬の喜びようは、不安の後だっただけに一層だった。


「まだウチのものじゃないよ、言っとくけど」

「解ってるよー、でも本当に仮免許だよねー、お父さん、明日早く帰って来てね」


 徹は本当に久しぶりに毬から子どもらしい言葉を聞き、ほっこりとした。父娘の絆、復活だ。

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