第二六二話 ポルシェイドBTT989
空は目でその心情が分かる。眠そうなときは余裕、笑っている時は平時、目を吊り上げて笑っている時は楽しくなっている。視点が安定しないときは打つ手なし、逆に真剣な眼で一点を見つめ続ける時は、難しくはあるが不可能ではない奥の手を用意している時だ。長年一緒に戦ってきたからよく分かる。
「これを使う」
空は胸元からペンダントを取り出し、そのつまみを捻る。
「まさか……ポルシェイドの989を飲む気か?」
「もう既に、924の能力であいつに挑んでみた。でも、勝てなかった」
空が既に大きく疲弊している様に見えたのは、それが理由のようだ。
「あいつを止めたければ、艦砲や榴弾砲を直撃させるか、誰かがあいつの首をへし折るしかない。でも前者は、摺鉢山内部へ入り込めば済む話。無反動砲やロケット弾頭みたいな生半可な飛翔体は撃ち落とされる」
Karの先の銃剣についた汚れを布切れでふき取った後、空はペンダントを俺に渡した。
「大丈夫、絶対私は帰って来る。こんな薬には負けない」
「まって、ダメだ、危険すぎる! 何か方法を、方法を考えるから!」
「有馬、もう時間がないんでしょ? 西方艦隊が壊滅したのは、私も無線から他の兵伝いに聞いた。しかもその原因は『紀伊』。海将である有馬は、すぐにでもそっちに行かなきゃいけない……けど、ここを放置するわけにはいかないんでしょ?」
空は全て分かっていると言わんばかりに、そう穏やかに笑った。
「この身は全て、有馬に捧げた。だから私は、戦うよ。有馬が守りたい日本のために、そして、有馬自身のために」
瓶の栓を抜き、一気に空は液体を飲み干す。
「空!」
直後、ドクンと私の心臓は大きく跳ね上がる。924の時とは比べ物にもならないぐらいの勢いで、血液が全身を周る。
「熱い、熱い!」
その負荷に耐えられず、思わず私はその場に膝をつく。
「空! 空! しっかりしろ!」
そんな私の身体に、有馬の手が触れた。
燃え盛りそうなほど熱く、眩暈もする。視界は赤く染まり、少しずつ前が見えなくなってくる。しかしそんな中で、肩に触れた有馬の手が、私の意識を繋ぎとめる。
有馬の手を頼りに私は呼吸を落ち着け、意識を取り戻す。
薬なんかに呑まれるな、私は私のまま、雨衣空のままで、目の前の敵を打ち倒す!
「有馬。帰ってきたら、抱きしめてね」
それだけ言い残して、私は岩陰から飛び出した。
直後、敵機械歩兵もこちらに気づき、銃口を向ける。刹那、発砲炎が銃口に踊る。
「見える!」
しかし、924の時はただ躱すことで精いっぱいだった撃ちだされる無数の機銃弾はやけに遅く、はっきりと見えた。私は咄嗟に腰からナイフを抜く。これまで何度もお世話になっている、世界で一番硬い物質を使ったナイフだ。
飛翔してくる機銃弾の射線にナイフを合わせ、少しずつ軌道をずらし、全ての弾丸を私の身体から逸らす。
「貰ったぁ!」
ほぼゼロ距離まで近づくと、そのままナイフを突き出すが、敵機械歩兵は驚異的な脚力で横へとジャンプ、私の攻撃を躱した。
「ダメ、足りない! この機械に勝つためには、この速度じゃ足りない!」
再び距離が出来た機械歩兵目掛けて、私は左手にナイフを、右手にkarを握りしめて走り出す。
「もっと! もっと早く!」
全力で地面を蹴る。その直後、鋭い痛みが全身を襲い、生ぬるい液体が体中を濡らした。おそらく、もう二度とこんな踏み込みは出来ない。この一撃で決める。
視界は真っ赤、流れ出る液体で気分も悪い。でも、それでも。
「とどけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!」
最後に大きく地面を蹴り、左手のナイフで機銃弾を弾くのも止め、機械歩兵の首元目掛けて小銃を突き出す。
銃剣の先が首へと刺さろうとするその一瞬、敵の機銃が、私の左腕を貫いた。おそらく四発。
私の細い腕を吹き飛ばすには十分だった。
「ああああああああ!」
痛い。痛い。痛い。
でも、負けない。
「アぁあああああああああああああああ!」
残った腕に全体重を掛けて、残った全ての力を込めて、銃剣を機械歩兵の首へとねじ込んでいく。
数秒後私の腹へ向けられようとした銃口は力なくその場へと倒れ込んだ。
銃剣は機械歩兵の首を貫通し、全機械歩兵共通の、指示ケーブルを切断していた。
それを確認した私は、karをそこへ刺したまま立ちあがり、よろよろと歩き出す。もはや本能だけで動いていると言ってもいいだろう。無意識のうちに、私は歩き出した。
「空!」
まだ前が見えないが、ゆっくりと私の身体を、誰かが包む。
「空! 生きてるな!」
どうやら有馬は約束通り抱きしめてくれている。
さっすが私の彼氏、ちゃんと約束は果たしてくれる。
私が生きていると言うことを有馬に伝えるために、安心させるために、私も腕を動かそうとするが、左腕が言うことを聞かない。
そうだった、もう、私の左腕は、二の腕から先がない。
「……ごめんね、こんな左腕じゃ、有馬のこと、抱きしめ返してあげられないや」
前が見えず、感触も朧な私だが、そんな私を包んでくれている温もりだけは、はっきりと伝わっていた。
温もりを返してあげられないことを悔やみながら、「ごめんね」を繰り返す。
だが、そのたびに有馬は私の頭を優しく撫で、「いいんだ」と返してくれる。
「もういいんだ、空、ありがとう。お疲れ様」
「うん……有馬も、お疲れ……でも、まだやることが残ってる、よ。がんばって――」
私の意識は、そこで限界を迎えたのだった。
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