第二四八話 約束

 その言葉に、誰も反対はしない。


 しかし言った本人である私自身が、その言葉を嫌がっていた。


「ごめんなさい。私の、考えが甘かった……私の、せいで……」


 上に立つ者として、見せてはいけない。こんな戦場のど真ん中で、到底晒していいものではない。こんな弱音を吐き、泣く姿など見せてはいけない。それは重々承知していた。だが、溢れて来る言葉は、止まらなかった。


「私が未熟なばかりに……皆さんを――」

「艦長」


 私の隣に立っていた副長が、私の肩に手を乗せる。


「誰も、貴女を責めてなどいません。誰も、貴女のせいで死ぬなんて考えてはいません」


 私は思わず顔を上げ、CIC全員の顔を見渡す。

 誰もが、私に笑顔を向けてくれていた。


「艦長、泣かないでくださいよ、折角の美人が台無しです?」

「そうそう、俺たちは最後まで、貴女について行きますよ」


 そう言葉を掛けてくれる。


「皆さん……」

「さあ、明野沙織艦長。最後の一暴れ、指揮をお願いします」


 副長が私の外した士官帽を差し出す。CIC一同も、真っすぐ私の目を見つめる。

 これだけ皆が言ってくれているのに、指揮官として、艦長として、いつまでもこうしてはいられない。私は、涙を拭った。


「我々艦隊の壊滅によって、陸上部隊に迷惑が掛かってしまう。せめて負担を減らすために、輸送艦を狙います! 全主砲塔、目標、輸送艦!」

「了解、火器レーダー、輸送艦へ向けます」


 その声は返るが、一向に主砲は動こうとしない。


「火器レーダーから主砲塔への回路に異常発生、レーダー射撃不能!」


 どうやら先ほどの爆発で、回路にもダメージが入っていたようだ。


「なら、直接照準射撃に切り替えます」

「了解、手動射撃に切り替えます」


 火器担当の乗員が、机の下からトリガーを取り出す。


「主砲塔カメラ正常、目標照準可能」


 モニターには、火器担当員の左手のスティックに合わせて、主砲塔が動く様子が映った。


「照準が完了次第、撃ち方始め!」

「了解、砲撃始め」


 トリガーが引かれる。すると、甲板でまだ生き残っている砲が、輸送艦へと発砲を開始する。


「敵艦隊、照準こちらに向きます!」

「構うな! 輸送艦を狙え!」

「了解、続けます」


 再び発砲。

 確実に輸送艦たちへダメージを与えていく一方、『あめ』にも被弾が蓄積していく。


「左舷VLSに被弾!」

「後部甲板に被弾、火災発生!」

「艦橋側へ被弾! 艦橋要員応答なし!」


 もうじき、『あめ』にも限界が来る。


「左舷に被雷! 大規模な浸水発生!」


 凄まじい衝撃の後、そんな報告も上がった。


「現在の雷撃で、左舷単装砲も使用不能、正面連装砲はまだ撃てますが、旋回機構にダメージ。左80度で固定されています」


 ここまでか。心の中で、そう呟く。


「艦長、最後の一暴れ、お付き合いいただきありがとうございました」


 CICにも被害が出始め、各所で処置の人たちが行きかう中、副長はそう私に頭を下げる。


「そんな、皆さんこそ、最期までこんな私の指揮に従ってくださり、ありがとうございました」


 慌てて、私も副長へ頭を下げ返した。


「……あの世へ行ってからも、皆さんと会えることを祈っています」


 私がそう呟くと、CIC一同が起立し、私のほうへ向く。


「艦長、最期に、私たちからお願いがあります」

「なんでしょう、改まって。今の私にできることであれば、なんでも聞きましょう」


 少し戸惑いながらそう返すと、副長は笑って、言った。


「まだ明野沙織艦長は、あの世に来ないで頂きたい」

「……え?」

「あの世での最初ぐらい、野郎たちだけで船旅がしたいのです。ですから明野艦長、貴女はまだ、こちら側には来ないでいただきたい」


 返す言葉が思い浮かばず、私は「え? え?」と繰り返してしまう。


「それに、もし貴女まで連れて行ってしまったら。あの世にいる明野艦長のお父様、明野登大将殿に、ど突き回されてしまいます。『お前ら俺の娘を連れてきやがって! ぶっ殺してやる!』とね」


 私は息を飲む。


「ダメです! 私は、貴方たちの上官です! 貴方達だけを逝かせて、私一人のうのうと生きるなんて、そんなことできません! 私も一緒に!」


 副長にそう迫るが、首を振った。


「明野艦長……いえ、沙織ちゃん。俺たちは君を守ると、お父さんと約束したんだ。だから、その約束を、最期まで果たさせてくれ」


 副長は私の頭をそっと撫でる。その姿は、小さい頃お父さんの艦に乗せてもらった時出会った、水雷長の手だった。


「ヘリの準備は出来てるな?」

「はい、後部甲板ですでに離艦準備が出来てます」

「いや! 行かない! 私は、貴方達を置いては行きません!」


 艦長席のひじ掛けをしっかりと掴む。私一人だけ生き残るなど、そんなの自分で自分を許せない。


「ダメ、もう艦を降りる時間だ」


 あの時も、私はお父さんの艦を降りたくなくて、こうして駄々をこねた。それを制止したのが、水雷長。今の副長だった。


「いや!」

「まったく、聞き分けのない子だ」


 副長は優しい笑みのまま、私をまるで俵のように担ぎ上げた。


「副長! 下ろして! 下ろしなさい!」

「その命令だけは、聞けませんね」


 見るも無残な状態になりつつある艦内をゆっくりと歩きながら、副長は私を、後部甲板に待機しているヘリのもとへと運んでいく。ヘリへとつくと、私を中に下ろそうとする。


「沙織ちゃん、離してくれるかな? 俺は仕事に戻らなきゃいけないんだ」


 離さない。ここで離してしまえば、もう二度とつかむことが出来ないのが分かっているから、私は全身の力を持ってしがみつく。


「まったく、強情なお嬢ちゃんだ」


 しかし、男性の全力に勝てる訳もなく、私は副長から引き離され、『SH60J』へと乗せられる。それでも腕は離さない。

 副長は私の動きを見て、一瞬ため息をついた。


 ようやく諦めてくれたかと思った矢先のことだった。副長の男らしい顔が私の顔に急接近し、瞬きする間に、私の唇を奪っていた。


「ッ!」


 あまりの出来事に、驚いて腕を離してしまった。


「冥土の土産に美人さんのキス、貰いましたよ」


 私がヘリの中に引っ込んだのを見て、副長は扉を閉めた。


「ま、まって!」


 扉を開けようにも、閉まると同時にロックが掛かり、空へと機体は舞い上がってしまった。


 コックピットに行って止めさせようとしたが、そこにパイロットの姿はみえず、画面にはオート操縦の文字が浮かんでいる。その航路は、横須賀海軍基地を目指していた。

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