第十七話 空の秘密

 明石は本来艦の修理を本業としているが、現代になって、医療艦としての役割の方が大きくなっているため、病室は小さな個室でいくつも用意されている、そんな中、偶然吹雪と空の病室は近かった。


「入るぞ」


 空は外を眺めていた、その体には包帯が巻かれ、吹雪と同じパジャマを着ている。


「有馬、戦線の調子は?」


 まったく、重症人にも戦況を心配されるとは。


「順調だ、何も問題はない」


 そう言うと空は満足げにうなずき、また外を見る。


 俺の頭の中では、トーチカの中での出来事がフラッシュバックしていた。

 真っ赤に染まった空の瞳と髪、握りしめられた『kar』の銃剣と首、あたりに転がる死体の山。

 そして何よりあの顔、何も見えない、感じない、恐怖も絶望も希望も、息すらしていないような、ただ決められた、任されたことだけを行う自動人形の用な顔に、俺は恐怖すら覚えた。


「……なあ空、お前は一体何者なんだ?」


 俺が空に聞くと少しの間黙りこみ、そっと自分の首にかかっているペンダントを外し、俺に差し出した。

 空と同じ瞳の色をした宝石で、ふちには銀色で細かい装飾が施されている。


「これは?」


 俺が聞くと、空は窓の外を見たまま言う。


「お母さんが私に唯一くれたもの……開けてみて」


 俺はペンダントを眺め開ける口を探す、くるりと後ろに回し、つまみを見つけたのでそれをひねると、ふちの部分がパカリと開き、中身が見える。


「なんだこれ……紙と殻薬莢と……薬品?」


 空はこちらに向かい、出会って一番真剣な表情をして自分の過去を語り始めた。


「私は親がロシア人って話したけど、私はそもそも日本生まれじゃないの」


 まず空は、自身の生まれについて話し始めた。


「ロシアの小さな村で生まれた、私の家族は私が小さいときに空襲で死んじゃった、まだ私が二歳の時かな? その時にお母さんがね、死ぬ直前に私にそれをくれたの」


 そう言って空は、ペンダントを指さす。


「家は貧乏で、満足に私を育てることはできなかった、そんな中唯一お母さんが私にくれたのがこれだった」


 俺は、何も言わずに黙って聞く。


「そして、親元がいなくなった私を引き取ったのが軍だった、三歳の時から最低限の読み書きを教えられ、五歳の時から訓練に参加した」


 五歳……あまりにも幼い……。


「そのうち私は戦争の才能、人を殺す才能を見出され、ある試験薬を打たれたの」

「試験薬?」


 子供に試験薬だなんて……いや、そもそも五歳の、しかも女の子を軍に無理やり入れ育て上げるという事自体、褒められたことではない。


「ポルシェイドBTT924って言う活性剤、いわゆる合法麻薬に近いね」


 麻薬ねぇ……ただの麻薬で、ああゆう風にはならないと思うけどな。


「ポルシェイドはね、あまりにも活性作用が強すぎて並みの人じゃ発狂して死んじゃうの、でも私は何か耐性があったのか、それを受け入れ制御できるようになった」


 空は、自身の腕をさする、さすられた腕にはいくつもの薄い傷跡が残っている、弾丸が擦れたような痕、やけどのような痕、ナイフで切られたような痕、そして、注射針の痕。


「私はそれからすぐに戦地に送られた、北極の奪還作戦に」


 北極奪還作戦、全世界で同時に行われたホープ作戦の後ロシアが独自に行った作戦で、ロシアの歴史史上最大の敗北となった作戦だ。

 死者60万人をだし、北極を奪還できず、敵の勢力範囲を狭めることすらできない大失態、そのせいでロシアの市街地にも爆撃が届くようになり、それに激怒した国民は、作戦を指示したロシアの大統領を暗殺するまでとなった。


「私はそこで戦った、国から渡されたボロボロのAKをもって、走って、隠れて、撃って、殺して、逃げて」


 空は銃を構えるふりをして、口でAKの発砲音をまねる。


「でもね、急に本国からの補給が途絶えたの、途絶えてから一気に形成は均衡からロシア敗勢に傾いた」


 2036年モスクワ大空襲、ロシアの首都が集中爆撃され、多大な被害が出た、工場や市街地も被害を受け、政府や軍の本拠地も大打撃を受けた。


「敵に包囲され、撤退も進軍もできず、周りはどんどん死んでいく、撃ち殺される人、寒さに凍え死ぬ人、飢えで朽ちていく人、あまりの辛さに発狂する人……私は限界だった、こんな国の為に死にたくない、こんな死に方は嫌だ、ってね」


 空は笑いながら話を進めるが、その顔にプラスな感情は微塵もない、ただ空気を重くしないようにと、乾いた笑いを作る。


「そう思った時ね、自然と力が湧いてきたの、脳が何かに侵食される感覚、体中が熱くなり心臓から血が逆流する感覚、私がちゃんと意識を取り戻した時は、戦闘機の中だった……いつだか、ロシアから戦闘機で亡命してきたロシア兵の事件って、私の事だよ」


 俺は目を閉じ、上を見上げる、そんな大物が俺の部隊にいたのか……。


 というか、何故急に空が軍に現れたのか、これで納得だ、軍が何らかのことで日本に空を置き、素性を隠し匿う代わりに軍にいてもらったのか……これだけの力を持つ歩兵だ、軍としては、是が非でも欲しいはずだからな……。


 そう言えば、ロシアから日本に亡命してきた軍人は、空で二人目だな……。


「ああ、今さらだけどポルシェイドの効果って知ってる?」


 俺は首を横に振る。


「いや、知らないな」


 空は「だよね」と言わんばかりの顔で息を吐き、口を開いた。


「ポルシェイドの効果を簡単に言うとね、脳の活動領域を広げる薬なんだよ」


 通常人間は脳の領域の10%しか使うことができない、だがその薬は一気に80%まで使えるようになるらしい、しかし領域を超えすぎると肉体が……。


「脳の限界領域を超えたら肉体が持たないんじゃ……」


 俺が今考えたことを口にすると、空は頷く。


「普通はね、でも私はそれを必要な時だけ80%にすることで肉体が拒絶、崩壊するのを防ぐことができたの……最初の頃こそ急に体が痛くなったりで大変で、苦しい思いもしたけど今はもう完全に制御できるようになったから」


 俺は言葉が出ない、何も知らないところで一人の少女が苦しんでいた、戦っていた、そんな面影を一切見せずに……。

 怒りと呆れが俺の頭の中で渦を巻く、どうしてそんなことを平気でできるのか、俺には理解できない。


「そしてこれがポルシェイドのBTT924の強化型、989、これは80%にとどまらず、100%まで使えるようになる」

 

 そう言って、空はペンダントにしまい直し首にかける。

 100%まで脳を使うと、科学的に言うと肉体の細胞が限界を迎え、体中の穴と言う穴から出血し、死んでしまうと言われている。


「それをお前は持ち歩いて……一体何がしたい? 何のためにそれを持ち歩く?」


 空は何も言わない、ただじっとペンダントを眺めている、しばらくの沈黙の後やっと空は口を開いた、しかしその口からこぼれた言葉を俺は理解できなかった。


「守るためだよ」


 空はそれっきりしゃべらず布団にくるまった、結局最後までその言葉の意味を教えてはくれず、一人で時間いっぱい考えてみたが、結論にいたることはなかった。

 空は俺が部屋から出ようとした時、すでに寝息を立てていた。



「はぁ……ほんと、戦争はいいことないな」

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