第一三九話 『伊―403』


 ヨミは体を震わせ、色の抜け落ちた目からはとめどなく水滴が流れ続ける。


「いかないで、死なないで……私から離れないで……」


 そんな言葉がヨミから零れ続ける。


「どうしてそんな物積ませるの、私はそんなもの無くても戦える、戦えるのに……」


 言葉が強くなる、悲しそうな声から、恨むような、怒るような声に変っていく。


「お前たちのような、無能な長官じゃなければ! あの人たちは、あんな死に方をしなくて済んだのに! 決死の覚悟で戦うのと、必死は違うの!」


 そう叫んで、ヨミは俺の首に掴みかかった、細く華奢な腕と体からは想像できないほど強い力で、俺の上にまたがり、首を絞め始めた。


「ック! ヨミ……」

 

 ヨミの目に、光は無かったが、水滴だけは溢れている。


「お前たちみたいな、上から偉そうに指示を出す無能さえいなければ!」


 一層、首を絞める力は強くなる。

 遠のき始める意識の中、俺は、ヨミの言っている言葉を噛みしめる。


「ごめんな……ヨミ……」


 正確には、ヨミではない、俺の指示で死んだ、多くの兵たちに向けてだ。


 大戦中、潜水艦は過酷な任務をこなし続けた。

 ドイツとの技術輸送、輸送船狩り、泊地の哨戒、海戦で生き残った敵艦を狩ったりもした。

 だが、大戦が進むと、潜水艦の殆どの仕事は、作戦が失敗した故の、後始末のような仕事に変わっていった。

 数々の島に、制海、制空権が取れていないから、何度も潜水艦だけで行き来し、『PBYカタリナ』飛行艇や、駆逐艦の爆雷に怯えながら輸送を敢行した。

 味方の艦体が勝つために、敵艦体の捜索、攪乱も行った。

 でも、戦況は良くならなかった。


「皆、辛い思いしながら、任された仕事を遂行した、何隻も何隻も姉妹が水底に沈んでいくのを目の当たりにしながら、任務をこなした……それが、祖国を守ることにつながるって、水上で戦う人たちや、私達を使って戦う人たちを、守ることになると思って……なのに!」

 

 ……遂には、守るはずだった人を、武器として戦うようになった。

 俺の意識が限界に近づいたころ、後ろから二人の声が聞えてきた。


「有馬!」

「指揮官!」


 明石と三笠の声だ。


「離れるにゃ!」


 明石がヨミにタックルし、俺の上からどかす。

 俺の肺に、空気が流れ込んで来る。


「邪魔しないで! 明石!」

「うにゃ!」


 ヨミが叫ぶと同時に、明石が青い衝撃波に飛ばされる。


「なんだ、今の……」

「三笠! 頼むにゃ」

「承知した!」


 俺の頭が追い付かないうちに、三笠が駆け出し、ヨミの体を抑えつける。


「落ち着け! 『403』! 指揮官殿は、お前に指示を出した長官ではない!」

「うるさい! 太平洋戦争を知らない、旧式の戦艦が口を出さないで!」

「知っている! 戦ってこそいないが、ずっと見ていた!」


 三笠の体からは、茶色いオーラ―があふれ、ヨミの青い衝撃波を打ち消していく。


「有馬! メモリアルスターラーを、『403』の体に触れさせるのにゃ!」

「どこに!」

「どこでもいいにゃ! 早く『403』が求めている言葉を探すのにゃ!」

 

 俺はポッケから、コインの形をした、メモリアルスターラーを取り出し、ヨミに近づく。


「ヨミ! お前の過去を、見せてくれ!」


 ヨミのでこに触れた瞬間、俺の頭の中に、大量の情報が流れ込んで来る、赤城や加賀たちの時と似たように、単語や言葉で俺の中に入って来る。


 しかし、その情報量の多さは、一隻の記憶ではなかった、何十、いや、何百隻の、日本の潜水艦たちの記憶が入って来る。

 だめだ! 俺の頭では、処理しきれない!

 そう思った時、ヨミの一言で、視界が晴れた。


「ごめんね、皆、助けてあげられなくて」





 ここは……どこだ?


「ごめんね、パパ」


 後ろからヨミの声が聞え、振り返ると、確かにヨミが、そこに立っていた。


「ここは、どこなんだ?」


 俺が聞くと、ヨミははにかみながら答える。


「ここは私の部屋、私の意識の中、科学的な言葉で言うなら、仮想空間……みたいなものです」


 仮想空間って……。


「私は、パパみたいな立場の人が嫌い」


 ヨミは、静かに口を開いた。


「上から偉そうに指示を出すだけで、戦場を見にも来ない長官が嫌い、味方を切り捨てて、死者を出すことを躊躇わない作戦を作る長官が嫌い」


 それは、おそらく心の底から思ったことなのだろう、言葉の一つ一つが、俺の心に重くのしかかる。


「パパは、どんな長官? 私が好きな長官? 嫌いな長官?」


 ……俺には、分からないよ。


「……返答に困りますよね、こんな質問では」


 ヨミは、苦しそうに笑いながら、俺に言った。


「俺は……」


 君の好きな長官だと、ここで嘘を言ってもしょうがないのだろうと思い、口を閉ざした。

 それに、自身の親友までをも、自身の作戦で殺してしまっている以上、自分の口からとてもじゃないが、良い長官だ、とは言いたくなかった。


「知ってるよ、パパ……有馬勇儀大佐」


 ヨミは顔を崩さないまま、俺の本名を読み上げ、俺の記録を読み上げ始めた。


「戦線副長官として指揮したハワイ奪還作戦、死者3843名、重傷者219名、当事の戦線長官であった、咲間晴啓樹長官が死亡、その後、戦線長官の役職を引き継ぐ」


 俺は、顔を伏せて、ヨミの読み上げる言葉を聞く。


「そして、亜細亜電撃作戦、詳細な人員不明、しかし、戦車隊中隊長であり、親友である坪井航大が死亡」

「ヨミは、やっぱり俺みたいな長官は嫌い、だよな……」


 俺の言葉に、間髪入れずにヨミが言う。


「でも、パパは、いつでも最前線にいた、そして、味方の死に、心を痛めていた……だから、嫌いじゃないです」


 ヨミは、俺の頬を撫でながら言葉を続ける。


「戦争は、どんなに頑張っても、必ず人は死にます、人は脆いですから」


 諭すような口調で、ヨミは語り掛ける。


「ヨミも、ヨミの言葉で暴走しかけちゃいましたけど、こうしてパパに、ヨミの本心を伝えられたから、よかったのかな」


 俺は、ヨミの言葉に反応しようと、口を動かそうとするが、急激な眠気が俺を襲ってきた。


「ヨミはずっと見ていました、パパが『大和』に乗り込んだ時からずっと、だから言ってあげたかった、パパは悪い人じゃないって」


 俺は立っているのも辛くなってきて、その場に倒れ込む、それを見て、ヨミはこちらに顔を寄せる。


「もう、目が覚める時間みたいだね」


 再び俺の頬を撫でながらヨミは言う。


「ずっと見ているから、ずっと側にいるから、頑張ってねパパ、大好きだよ」


 その瞬間、俺の視界は一度真っ暗になった。

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