第六三話 君は欠陥戦艦なんかじゃない


 視界が晴れると、さっきとはうって変わり真っ暗、艦橋の空気は、びりびりと張りつめている。


 俺は嫌な予感を覚え、艦橋の外を見るのと、その声は同時だった。


「右舷被雷!」


 敵の放った魚雷が、『扶桑』の右舷中心部に突き刺さった。


「アァ! どこから!」


 扶桑の悲鳴が聞え、艦橋や副砲員があたりを見渡すが、魚雷艇は見つからない。

 

 それもそのはず、この魚雷は、先ほど倒したはずの魚雷艇が、戦場を離脱する前に放っていたものだからだ。

 しかし、それに気付かなかった西村艦隊は回避行動をとらず、こうして『扶桑』に魚雷が命中してしまった。

 対水雷防御が貧弱であった『扶桑』にとって、中央部の被雷は致命的だった。


「いやあ! こんなところで沈みたくない、まだ、まだ戦えてすらいないのに!」


 その声も空しく、『扶桑』は浸水が進み、傾斜が傾いていく。


「いや……助けて、助けて山城……助けて、西村さん……」


 だが、誰も振り返らない、止まるどころか反応すらしない。


 この時スコールなどの影響もあって『扶桑』の被雷に誰も気づかず、『扶桑』自身も電源系統が全て落ちてしまったため、発光信号も電信も送ることができなかった。

 

 『扶桑』はそうして、一人静かに、スリガオ海峡に消えて行った。




 視線が移動する、今度は『山城』の艦橋だった。


「扶桑?」


 西村さんが、不意に振り返る。


 しかし、真っ暗なこの中、艦橋からは『扶桑』を見ることはできない。


「どうしました中将? 『扶桑』ならしっかり後ろからついてきていますよ?」

「ああ、それならいいのだが……」


 西村さん最後まで『扶桑』が脱落したことに気付かず、指示を出し続けた。



 落伍した『扶桑』、それに気づかず進む西村艦隊。

 その後、待ち伏せされていた、おびただしいほどの駆逐艦と魚雷艇によって放たれた魚雷が、艦隊を襲った。


 『満潮』『朝雲』『山雲』と被雷し、次々と艦隊から落伍、轟沈していく中、ついに『山城』にも魚雷が命中、そして弱った『山城』めがけて、六隻の米戦艦が無慈悲に砲弾を撃ちつけた。

 山城も反撃するが、レーダー照準で撃つアメリカ戦艦六隻対、測距儀照準で撃つ日本戦艦一隻では、戦いにならなかった。

 

 一方的に、ただ一方的に『山城』は砲弾を浴び続ける、負け時と撃ち返した『山城』の砲弾が敵に命中するが、装甲版に弾かれ、空しい音を立てるだけに終わる。


 その光景は、まさに、艦隊戦の地獄だった。


 勝機をなくしたと悟った西村さんは、『各艦ハ我二顧ミヅ前進シ敵ヲ撃滅スベシ』と、生き残っている艦に打電したのち、西村さんを乗せた『山城』も、弾薬庫を貫かれ轟沈した。



 歴史上、この海戦が、戦艦同士の砲撃戦の最後となった。


 日本が戦艦二隻、重巡一隻、駆逐艦三隻を失ったのに対し、敵の損失は魚雷艇一隻だけ、さらに西村艦隊の生存者は、最終的に10人に満たなかった。


 一時期は戦いの花であった艦隊決戦の歴史は、このスリガオ海峡海戦にて、海戦最大の地獄として、終止符を打たれることとなった。





「……こんなところで、よろしいでしょうか」


 扶桑は、脱力したように床に座り込み、嗚咽をこぼしていた。

 その声で、俺の意識は現在に引き戻される。


 俺は考える、どう言葉をかければいいのか……。


 しばらく悩んだ後、決心し、扶桑に声をかけた。


「扶桑、君は自分のことが好きか?」


 扶桑は、フルフルと首を振る。


「そんなわけないでしょう、たった一本の魚雷で落伍し、それを教える間もなく沈没、そのせいで山城たちは私がいる前提で作戦を進め、壊滅してしまった……」


 扶桑の声は辛そうだ。

 扶桑は、自身が沈んだことより、その後のことを気にしている、自身の失態によって、仲間を沈ませてしまったことを悔いている。

 そんなところに俺は、扶桑の中にある、日本人の心を感じ取っていた。


「私は……私が大嫌いです……」


 俺はしゃがみ、扶桑の頭を撫でる、しっとりとした感触を手のひらに感じた。


「指令官?」


 扶桑は顔を上げ、俺の目を見つめる。

 

 死んだような目をしていると思っていたが、綺麗な瞳をしてるじゃないか。


「君はまず、自分を好きになることから始めないとだな」


 扶桑は首を横に振る。


「無理です」

「無理じゃない」

「無理です」

「無理じゃない」

「嫌なんです! 私がっ! 自分を好きになったら、自分に自信を持ったら! また失敗して、艦隊を壊滅させてしまうかもしれない……もうそんなの嫌、嫌なんです……」


 俺は膝を付いて、扶桑の体を抱き寄せる。


「しれい、かん? これは……」


 扶桑は座り込んだまま顔を上げる。


「お前が辛い過去を持ってるのは分かった、自分を好きになりたくない気持ちも分かった、だが、君を大切に思ってくれた人の気持ちまで、裏切ってはダメだ」


 扶桑は、何も言わずに顔を伏せている。


「君は、自分を戦場に連れて行ってくれた、西村さんに感謝しているのだろう?」


 胸のところで、すすり泣く声が聞こえ始めた。


「認めてくれる人がいるなら、君は弱くない、君は欠陥戦艦なんかじゃない、君は、日本が誇る十二戦艦のうちの一隻、超弩級戦艦、扶桑型一番艦『扶桑』だ」


 その瞬間、扶桑は俺の胸にしがみつき泣き出した、全ての鬱憤を晴らすかのように泣いた。


「うああああああああ、あああああああああみんなごめんね、私、皆の分まで頑張るから、今度こそ、戦艦として戦って見せるから……見ていてね、皆、西村さん……」


 扶桑はそう誓い、もうしばらく泣き続けた後、すくっと立ちあがった。


「司令官、ありがとうございます……西村艦隊の皆の分まで、私は戦って見せます、なのでこの大戦では、私を存分にお使いください、この身が真っ二つに折れるまで戦い抜きます」


 扶桑は美しい笑みを浮かべていた、その笑みは、最初の細い笑みではなく、心からの笑顔だった。


「ああ、頼りにしているよ、扶桑」


 俺の言葉を聞いて、扶桑は消えていた。


「ちゃんと笑えるみたいだな」


 俺は満足して、艦から降りた。




 戦艦『扶桑』、初の日本独自の設計による超弩級戦艦。

 しかし、改装を重ねるごとに肥大化する艦橋などのせいで、艦の重心が不安定になり、さらには水雷防御に不安があることから、最後の最後まで、実戦に投入されることはなった。


 しかしこの大戦では違う、欠陥戦艦と言われたこの戦艦を、俺は活躍させて見せる、この艦を作った人々の遺志を継ぎ、この艦がどれだけ強いかを証明して見せる。


              

               ――――俺は自分勝手に、そう、心に誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る