第三七話 グレイゴースト
「エンタープライズ……」
真っ白な士官服の上に黒い上着を羽織っている。
膝下までのミドルスカートの下は黒いタイツ、頭の士官帽には鷲のマークが刺繍されていて、まぶしいほどの銀髪は膝裏まで延びる。
「……あなたが、コルトの言っていた人物か」
エンタープライズの目は黄色く光りとても鋭い、獲物を見定める鷲のような瞳。
だが俺は、それに臆することなく手を差し出す。
「俺は有馬勇儀、大和戦線長官でWSの管理を任されている、よろしくな」
その手をエンタープライズはじっと見つめ、一瞬舌打ちしたかと思えば、今度は俺の瞳を覗き込んできた。
「お前に、私の過去を背負う覚悟があるのか?」
その言葉と同時に、俺の頭に記憶が流れ込む。
大和の時と同じだ、目の前が真っ暗になり、意識が途切れる。
「リメンバーパールハーバー……この日のことを、我々は忘れないぞ」
俺はその一声で目を開ける。
そこは『エンタープライズ』の甲板の上だった、飛び立っていく航空機、真珠湾の様子を偵察に行く『SBDドーントレス』だ。
「日本人……いつかこの恨み、必ずや晴らして見せるぞ!」
そう言いながら拳を握りしめ、空を見上げる、エンタープライズの姿があった。
真珠湾攻撃時、彼女は少し離れた海にいたため全く被害を受けなかった。
そして空襲を受けた港と、いつもは自身がいるドッグに、標的艦である艦が横たわっているのを見てある人は、
『日本語は地獄だけで話されるようになるだろう』
と言い残した、それだけエンタープライズの乗組員たちは、日本への怒りを貯めていたのだ。
視線が途切れ、また視界が晴れると、空は黒い爆炎で覆いつくされていた。
「当たれ当たれ当たれ!」
甲板の傍らには、必死の形相で空へ対空機銃を撃ちだす兵士で溢れていた。
「来るぞ! ヴァルだ!」
誰かがそう叫ぶと、甲板の上に立つエンタープライズは、空に目を向ける。
視線の先には、急降下で突っ込んで来る『九九艦爆』。
「やめろ、来るな! 今爆弾を食らったら!」
その顔には絶望が覗いていた。
よく見ると後部甲板から煙があがり、必死に消火活動が行われている。
「いやあああああ!」
その悲鳴も空しく『九九艦爆』、アメリカに『ヴァル』と呼ばれていた日本の急降下爆撃機から250キロ爆弾が切り離され、再び後部甲板に命中する。
「後部甲板に三発命中! 機関損傷! 火災発生!」
「出しえる全速13ノット!」
「取り舵60度で舵固定! 動きません!」
「後部甲板、消化開始!」
艦内では慌ただしく、被害とその対処の報告が飛び交う。
その頃甲板では、エンタープライズが空を睨んでいた。
「まだだジャップ! 簡単に帰れると思うなよ!」
その声に感化されたように、輪形陣の外で待機していた『F4Fワイルドキャット』四機が『九九艦爆』に襲い掛かり、一機が火を噴き落伍していく。
「よくやった!」
「まだだ! 全機落としてやれ!」
その光景に興奮したのか、甲板の兵たちが『F4F』に歓声を上げる。
「そうだ! ジャップにアメリカの強さを見せてやれ!」
それに便乗して、エンタープライズも声援を送る。
『九九艦爆』を襲った『F4F』のボディーには、いくつかの旭日旗のマーク、日本機を撃墜した証拠、それなりの手練れの証拠だ。
しかし、次の瞬間。
「ああ! そんな!」
背後から襲ってきた『零戦二一型』二機に、瞬く間に二機撃墜された。
「ああ……私の艦載機が……」
エンタープライズが、膝から崩れ落ちる。
そうしている間にも、残った二機の『F4F』が『零戦』を撃墜するために、エンジンを全開に咆哮させ、機体を翻し『零戦』の背後を取る。
「そうだ! 仇を取れ!」
またもや甲板から声援が上げられ、それに応えんと『F4F』の両翼に、発射炎が煌めく。
しかし、『零戦』はそれをひらりと躱し、再び『F4F』の背後を取る。
だが『F4F』のパイロットも負けじと機体を回し、もう一度背後を取ろうとするが。
「ダメだ! 『ジーク』相手に旋回したら死ぬぞ!」
エンタープライズがそう叫ぶが、その声は届かなかった。
急旋回した『F4F』が『零戦』の背後に回り込む前に、『零戦』が機体を横滑りさせ、機体を垂直にして旋回する『F4F』に、20ミリ機関銃を発射する。
その瞬間、『F4F』はバラバラに砕け散った。
それを見届けたもう一機が、仇と言わんばかりに急降下しながら『零戦』に向かって機銃を発射するが、やはり『零戦』は機体を翻し、その攻撃をかわす。
急降下から復活しようと引き起こしをかけた『F4F』に、もう一機の『零戦』が容赦なく20ミリ機銃を叩き込み、さっきと同じ光景を作り出した。
「ああああ! どうして! なぜ勝てない⁉ 極東の日本に、我々USAがなぜ太刀打ちできない!」
エンタープライズは甲板で喚く。
戦争初期、エンタープライズは数少ないアメリカの空母として、日本の機動部隊と戦い続けた。
だが初期は機体性能、パイロットの腕の差が歴然であり、誰もが日本の強さを思い知らされた。
また視線は切り替わる、今度は通信室の様だ。
「コードシャーク、状況を話せ」
「どうもこうも、こいつら弱すぎるぞ」
そして、笑い声も聞こえる。
「これじゃあ俺たちはカモを撃っているだけだ、ズイカク? だったか? 敵の空母は、俺たちにおいしい七面鳥を飛ばしてくれているみたいだぞ」
そう言って、通信室にどっと笑いが起きる。
「……圧勝していく、あんなに苦しめられたジャップどもが簡単に死んでいく……嬉しいはずなのに……なぜ、こんなにも心が痛いんだ……」
マリアナ沖海戦か……マリアナ七面鳥撃ちは有名な話だろう、小沢司令官が編み出したアウトレンジ戦法。
しかし、それは搭乗員の疲労を誘い、結果的には疲れ果てたところを戦闘機に撃墜されるか、目標にすらたどり着けずに終わるかで、無数の航空機と命が海の中へと消えて行ったのだ。
「畜生! まだ沈まないのか!」
その怒鳴り声で、俺の視線は再び変わる。
「もう三回も空襲を行っているのだぞ!」
それの隣で彼女は震えていた。
その瞳は、最初の頃見た彼女の瞳と瓜二つだった。
「これが日本人の恐ろしさか……」
「第三次攻撃隊帰ってきました!」
そう聞くと、艦橋にいた者たちは一斉に甲板に目を向ける、しかしそこに入ってきたのは……。
「なぜ皆、そんな顔をしているんだ……」
彼女は、航空機を眺めて絶句する。
甲板に無傷の航空機は無く、ほとんどがボロボロになり使い物にならないほどだ。
還ってきた航空機は十二機、その内無傷なのは四機。
機体から降りた搭乗員たちも皆下を向き、一部の搭乗員は恐怖で顔を歪め、舷側に駆け寄り胃の中の物を吐き出す。
「二十機近く発艦させたはずなのに……」
「整備班! 急いで第四次攻撃隊の準備にかかれ! このままいくと、マッカーサー将軍のいるレイテ沖までジャップどもの艦が突入する!」
しかし、整備班はおろおろと動き回り、やがて口を開く。
「搭乗員が、出撃を拒んでいます……」
「なん、だと……」
レイテ沖海戦、何時間も耐え続ける『武蔵』や『瑞鶴』にトラウマを植え付けられた航空機乗りは多かった。
死に物狂いで抵抗する日本人を同じ人と見れなくなると言うほど、この戦いが終わった後のアメリカ海軍航空隊は、皆表情が恐怖に歪んでいたそうだ。
この時アメリカ軍の人間は思いだした、日本人が窮地の時に発揮する、恐ろしいほどの意地を。
どこかアメリカは日本を舐めていた、初戦で大きく敗れても簡単に挽回できると思っていた―――
――――だが、そうではないことを思い知ったのだ。
また視線が変わると、そこはまたもや甲板の上だった。
「一機突っ込んで来るぞ!」
そんな声と同時に機銃群が動き出し、両用砲が砲撃を行う。
敵の『零戦』は、雲の中から『エンタープライズ』に近づき暖降下をかけて向かって来る。
『零戦』は絶妙なローリングと横回転で猛烈な対空砲火を躱していく、『エンタープライズ』も、『零戦』に背を向ける形で航行しているため火力を全力投射できていない。
「まずい、火力が足りない!」
彼女はそう言って取り舵を取る、対空砲と機銃の数を増やし対空火力を上げるためだ、しかしそれがいけなかった。
「しまった!」
回頭することによって艦のスピードが下がった、それを狙ったかのように敵機は機銃の網をかいくぐり、横回転をかけながらもう一度上昇し、背後から甲板の昇降盤を狙う。
「突っ込まれるぞ!」
甲板上に居る兵が一目散に逃げだす、『零戦』はエンジンの音を響かせながら一直線に甲板へと吸い込まれていった
「うわああああああああ!」
爆発が甲板上の兵を吹き飛ばし、昇降盤付近に火の手が上がり、爆発と同時に『エンタープライズ』の後部昇降盤が空高く吹き飛んだ。
「応急班急げ!」
飛び散るジュラルミンと人間の破片を見ながら、彼女は呟く。
「なんで、人が空母に体当たりなんて……」
自身の拳を握りしめ、悔しそうに顔を歪める。
「どうして、どうしてそんな選択になってしまったんだ、日本よ……」
沖縄戦、日本近海にいた米空母のほとんどは、日本が行う神風特攻を目の当たりにしている、人間を兵器の部品にした神風特攻を……『エンタープライズ』とて、例外ではなかった。
その光景を最後に俺の視線は、現実の甲板の上に戻っていた。
現実に戻って最初に見えたのは、怪訝そうな顔をした彼女の表情だった。
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