第三〇話 死ねない理由


 俺は吹雪に言われた言葉と桜花のことがずっとぐるぐると頭の中で回ったまま、一階にある自分の部屋に戻った。


 俺はひとまず資料を仕舞い、座布団に腰を下ろす。

 机の上には、士官帽と『大和』の長官であることを示す、錨に桜のマークの襟章が置いてある。


「寝るか」


 俺は立ち上がり、布団に入ろうと掛布団をめくる――――


    ――――そして静かに布団を戻す、今日は座布団の上で、寝るとしよう。


「なんで戻すの!」


 空が掛布団をがばっと跳ね除け、出てくる。


「完全に忘れてた……」


 そう言えば、部屋に酔っ払った空を寝かしていたんだった……。


「それで、お前の顔を見る限り、酔いは醒めたように見えるけど」


 空は布団の上に座り、少し乱れた和服を整える。


「うん、てかそもそも私、ウォッカ一本じゃ酔わないし」


 俺は絶句する。

 つまりあれは演技だと……いや、でも確かに顔が赤かったし、目元もとろんとしていたように見えたのだが……。


「ロシアに居る時散々飲まされたから、もうウォッカに慣れちゃって、普通に飲むくらいじゃ酔わないよ」

 

 今、派手にすさまじいことを言ったな? ウォッカで酒になれた? お前、本当に俺と同い年か?


「で、なんでお前は酔ってもいないのに、俺の部屋に居座ってるんだ?」


 俺も畳の上に腰を下ろし、空に聞く。


「……少し、まじめな話をしようと思ってね」


 空はいつもより少し硬い表情で言う、俺はその表情を見て、本当に真剣なんだと思い、黙って話を聞くことにした。






「私、元ロシア兵だって話したでしょ? 実は、結構前に吹雪にはもう話してたんだ、正確にはばれちゃったんだけどね」


 有馬は何も言わずに私の話を聞く、表情からこのことは知っていたように見える。


 吹雪は訓練の時から、私の異端さに気付いていた。

 

 私は傷を見られないように、一人で時間をずらしてお風呂に入っていたけど、偶然吹雪と時間が合ってしまった、その時の吹雪の質問攻めで、私は全てを話した。


「その後、吹雪とすごい仲良くなって、何も隠さず話せる中になったの……そんな時、吹雪に言われたんだ……」


 有馬は静かに聞いてきた。


「なんて言われたんだ?」


 その問いに、私はまっすぐ有馬の目を見て行った。


「『死ねない理由を探して』」


 その答えを聞いて、有馬が息を飲んだのがよくわかった。


「吹雪は私にそう言ったけど、私にはずっとその意味が分からなった、でもつい最近、上陸作戦の時に、その意味がやっと分かった気がするんだ」


 私はあの時、始めて気付いた。


「あの時、腹に銃弾を食らったあの瞬間、何度目かの『死の覚悟』をした、でもその時初めて、急に死への恐怖が湧いてきた、ロシア時代には一度も感じたことのない恐怖、死ぬことへの恐怖」


 自分の中で、どうして戦場で張り切ろうとする気持ちが湧くのか、その理由を。


「私が日本に亡命したのは、ロシアのために戦うのが嫌になったからであって、別に死ぬのが怖かった訳ではないんだ……」


 日本に来て貴方と会ったあの日からずっと、私の心の中には貴方が居た。


「私はなんで恐怖を感じたのかずっと考えてたの、そんな時有馬が私の病室に入ってきた、その時私は凄く嬉しかった、安心した、生きていてよかったってそう思えた」


 有馬は、目線を合わせないで口を開く。


「つまり……どういうことだ?」


 本当に分かっていないのか、それとも確認のために聞いているのか分からないけど、きちんと有馬に分かってもらうために、私は言う。

 私が生きている中で、最初で最後になるであろう一言を、有馬以外に言うことはないであろう一言を、有馬に向けて放つ。



  「私は……私は、有馬のことが好き」



 初めて会ったのは、私が亡命してから五年後、私が十五の時、有馬が十六で軍に入った。

 私はその時ちょうど、上等兵のところで訓練を行っていた、そしていじめられていた……正確には、先輩に嫌われていた。

 急に入ってきて、意味も分からないまま一緒に訓練しているのが、自分たちより圧倒的に若い少女、しかもその子に訓練で負けていたら、嫌いになるのも分からなくない。


 それでも、私はちょっとショックだった。

 私の日本のイメージは、ロシアの数倍平和で皆仲がいい、差別なんて全くないと思っていた、だけどそれはまやかしに過ぎなかった、でもそんな時、私のイメージにピッタリな人が目の前に現れた、それが有馬だった。

 私がいつも通り先輩たちにいじめられ、文句を言われていた、その日はいつも以上に激しく殴られた、でも殴られるのはロシアで慣れていたから何とも思わなかった、でもそれ以上に私は、そんな姿を見ても無視してその場を立ち去る人たちに悲しさを覚えた。


 でも有馬だけは違った、殴られる私を見て、血相変えて私の前に立った、その事を先輩たちは面白く思ったのか、今度は私ではなく有馬を殴りだした、先輩の邪魔をする後輩を正すって言いながら、有馬を殴った。

 有馬は体中痣だらけになっていたけど、私にはその傷がかっこよく見えた。

 困っている人を見て、自分のことを省みずに守ろうとする精神、決して自分からは手を出さない、日本の良いところであり悪いところでもあることを擬人化したような性格の有馬に、私はいつしか目を引かれるようになった。


「……さあ、私は告白したよ、あとは、有馬の返事を聞くだけ」


 私は、恥ずかしさを覚えながらも告白を完了した。


 今の私の顔、今まで見たことのないぐらい赤いかも……。


「………俺は……」


 有馬は、さっきから下を向いて目を合わせようとしない。

 全く、はっきりしないんだから。


「こっち見て」


 そんな有馬の顔を挟みこちらに向かせる、その顔はリンゴのように真っ赤だった。


「有馬、顔真っ赤だよ?」


 そう私が言うと、さらに顔を赤くして。


「しょうがないだろ……告白なんてされたの、人生で初めてだし……」


 私はそれが可笑しくて腹を抱えて笑った。

 しばらく時間が流れる、有馬がやっと落ち着いて、私の話に応えてくれる状態になったと思い、私は答えを催促した。


「さて、そろそろ返事を聞かせてもらいたいんだけど」


 私はできる限り真剣な目でもう一度、有馬に向き合う。

 今度はちゃんと、頭を上げてくれているからしっかり目が合う。


「私は有馬のことが好き……私の、死ねない理由になってください」


 私はもう一度有馬にお願いする、有馬は私の言葉を聞いて口を開く。


「……すまない、今は答えられない」


 有馬は複雑な顔をしていた。


「どうして?」


 正直、私はこの返答には不服だった。


「大切な作戦前に、そんなことを受け入れることはできない、だが俺は、その申し出を断れる勇気もない……それに俺たちは軍人だ、いつ死ぬかわからない……」


 そんな言葉を聞いて、私は機嫌を直す。


 やっぱり有馬は優しいよ。


「じゃあさ、次の作戦に成功したら、答えを聞かせてよ」


 有馬は大きくため息をつく。


「思いっきり死亡フラグ立てるのやめてくれないか?」


 私はにやにやと笑う。

 確かに死亡フラグだ、でもそれすら跳ね除けるぐらいの実力を、私達348部隊は持っていると思っている、そしてその部隊のリーダーが有馬なのだ。


「絶対死なないし、死なせないよ」


 私はそう言って有馬を抱き寄せる。


「うわっぷ!」


 有馬は慌てて離れようとするけど、それを私は許さない。


「今日は一緒に寝るよ!」

 

 私はそう言って布団をかける、もちろん有馬を抱いたまま。


「あの~空さん? ものすごく寝にくいのですが……」


 有馬は、もぞもぞと私から離れようと試みる。


「そんなに嫌? 私に抱き着かれるの」


 有馬は押し黙り、もがくのをやめる。

 ただ、私と目を合わせようとはしない。


「有馬はこういう言葉を、女の子に言われるの弱いもんね?」


 私はよく知っている。

 大和たちにこう言い寄られると、無下にできない性格なことを。


「頼むから、俺の弱点を探るのはやめてくれ」


 有馬の抵抗がなくなったのを確認して、私は目を閉じた。

 温かい有馬の肌と落ち着く有馬の匂いに包まれながら、私は眠りに落ちる。



「約束、守ってね」



 意識が完全に暗転する前に、私はそう、有馬に囁いた。




現在、8月29日、09時00分、呉港。




「各部乗員確認終了、物資積み込み問題無し、艦隊出港準備完了しました」


 俺は、艦橋の長官方に向かって、そう報告する。


「うむ、ご苦労」


 そう艦長は言うと、艦長席から立ち上がる。


「それでは、出港するとしよう」

「『大和』以下、輸送船団、抜錨!」

 

 艦長の一言の後、浅間副艦長がそう下令する。

 それと同時に『大和』の甲板で、何トンもの重さがある錨が巻き上がり始める、他の艦たちも同じように錨を持ち上げる。


「両弦前進半速!」


 錨が持ち上がるのを確認すると、次の指示を出す。

 すると大きく汽笛が鳴り響き、煙突から煙が上がり、基準排水量六万四千トンの戦艦がゆっくりと動き始めた。


「全艦、面舵九十度!」

「オモーカージ、九〇!」


 艦長の声を聴いて、三浦長官は操舵室に連絡を入れる。

 それから数十秒後、艦隊は右方向に艦首を向け、『大和』を筆頭に単縦陣で進んだ。


 まずは瀬戸内海を抜ける。

 その後、豊後水道を抜ければそこはすでに警戒範囲、敵が来ることを想定された場所だ。


「そう気張るな、まだ領海だ」

「ははは、そうですね……」


 俺は艦長の言葉で少しだけ肩の力を抜く。

 

 だが、俺の視点はずっと、窓の外から動かなかった。

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