機械人間の手記

幻典 尋貴

機械人間の手記

 二〇五〇年三月八日

 今日、ようやく私の夢が叶った。脳以外の機械化が成功し、これで私も完璧超人だ。老いることも無くなり、永遠に私は生き続けるのだ。よく考えてみれば、人間の脳と機械の体、つまりは知能と力の二刀流と言えないだろうか。そういえば、

 今、テレビの取材が入った。これからの人生が楽しみだ。


 二〇五一年三月八日

 全身の機械化から一年が経った。未だに私のような“機械人間”は他には誕生していないようだ。機械という普遍的な物でありながら、それがアイデンティティとなっているのだから面白い。最近、隣の部屋の奥さんにロボ夫と呼ばれていることを知った。本名が小保夫だからって、安易すぎないか?


 二〇五四年三月八日

 五〇歳になった。誕生日だけに付けているこの日記だが、これで五回目だ。未だに機械人間はいない。最近は取材も減り、去年出した本の印税も減ってきた。さて、今後どうやって稼ごうか。


 二〇五五年七月二日

 誕生日ではないが、これは日記に留めておかなければならないと思った。ついに二人目の機械人間が誕生した。◾️◾️の金持ちで、私に憧れて(!)機械人間になったと言う。わざわざメールまで送ってきた。機械人間どうし、仲良く出来そうだ。


 二〇六〇年三月八日

 機械人間が大量発生している。どうやら体を機械化することの良さにやっと気付いたらしい。これで人類皆二刀流マンだ。どうやら第二機械人間の難君は納得が行っていないらしい。


 二〇八二年三月八日

 最近は機械人間が減っている。どうやら去年、百年前のアニメが流行ったからだとかなんとか。銀河特急とか宇宙鉄道とかそう言う名前だった筈だ。数字が付いていた気もする。流行りの物は嫌いだ。調べる気にもならない。


 二〇八三年三月八日

 難君が人間に戻ると言い出した。こんな時のために、元の体を冷凍保存していたらしい。当時では無理だった人間退工たいこう手術は、今では容易に出来るらしい。

一人、友を失った。


 二〇九〇年三月八日

 つまらない一年だった。


 二〇九一年三月八日

 特に書くことのない一年だった。


 二一〇二年三月八日

 たまたまテレビでやっていたので、『銀河鉄道999』を観た。三十年前に流行ったアニメだ。「限りある命の美しさ」というのは、私の考えとは正反対だ。死なないことは素晴らしくないのか?


 二一〇五年三月八日

 ちょうど昨日、私をロボ夫と呼んでいた奥さんの息子が亡くなった。三十年ほど前に「母に機械化の良さをレクチャーしてほしい」と彼に呼ばれたのを思い出した。彼の母は新種の癌でかなり弱ってきていて、それをどうしても助けたかったらしい。彼自身も当時は全身の機械化を望んでいたが、母に死の直前に何か言われたらしく、辞めたらしい。

知人の死を知って、(これはあまり良い思考とは思えないが)やはり死があることの良さが分からなくなった。


 二一十六年三月八日

 日記を最初から読み返していたら、最初の日記で“知能と力の二刀流”などと書いていた。だいぶ若かったらしい。どちらも普通以上に使う機会は無かった。


 二一二四年三月八日

 百二十歳になった。

 ちょうどいい。

 ここで止めるか。

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