第10話
「現場には自転車が残されていて、錠はなくなっていた──笠井満も、浜中さんの友人も、そう証言しています。犯人の狙いは自転車本体ではなく、錠のほうだった」
奥野さんは困惑した様子だったが、わたしは続けた。
「犯人は錠を壊したあと、現場から持ち去っていました。満は現場に〈青いビニールの破片しか残っていなかった〉と言ってましたよね。ただ、錠だけを壊して盗むと、そちらが目的だと悟られかねない。だから、自転車を移動させたり、パンクさせたりしていたんです。事件の出っ張りは、真の目的を隠すための、カモフラージュだった」
「錠を持ち帰る? 何のために?」
「使い回しですよ」
わたしは続けた。
「奥野さんが講演したときのことを思いだして、
「ええ。私も、そういう統計は見たことがあります」
「あれはネットのパスワードの話でしたが、ほかの番号も同じでしょう。人間は覚えやすい番号や文字列を使い回してしまうものです。例えば、四
わたしは切断されたダイヤル錠を、指先でつつく。
「日常生活で四桁の暗証番号が求められる場面って、結構ありますよね。わたしも、ケータイを契約するときに四桁の数字を設定しましたし、ログインのパスワードが四桁というサービスもあります。実はわたしも、同じ番号をいくつかで使い回してます。犯人は、満が普段使っている番号を知りたかったんですよ」
「そのために、ダイヤル錠を盗んだ?」
「そうです。ダイヤルの組み合わせをすべて試すには、最大で五十分くらいかかります。駐輪場でそんな時間を使うわけにはいきません。だから犯人は、錠を壊して持ち帰り、家で解錠して番号を調べたんです。じゃあ、犯人はその番号を何に使ったのか? ここまできたら、自明ですよね。スキミングですよ」
奥野さんの目が、闇の奥で見開かれた。
「笠井満は、スキミング被害にあっていたんです。保釈された彼に電話をして〈あなたのキャッシュカードやクレジットカードが不正利用されたんじゃないか?〉と聞いたら、〈預金口座から身に覚えのない出金があった〉と教えてくれました。満はそれを真美の仕業だと思い、うちのオフィスに怒鳴り込んできたんです」
「スキミング……どういうことですか。犯人は、誰なんですか」
「恐らく、プロの空き巣です」
「空き巣?」
「はい。空き巣は笠井満の家に忍び込むために、彼の周囲を調査していたんです。自宅の様子、出退勤の時刻、交友関係……満が〈道端から僕の部屋をじっと見つめていた〉〈郵便物を物色されたことが何度かあった〉と言っていたのは、空き巣の仕業だったんです。自転車の錠を盗み、満が使っている四桁の番号を得るのも、準備の一環です。空き巣は綿密に満のことを調べてから、家に忍び込んだ。そこで家にあったカード類を見つけ、スキミングをしたんです」
「なるほど。スキマーがあれば、スキミング自体は誰でもできる……」
「はい。たぶん空き巣にとってはものを盗るのが主目的で、スキミングはカード類があったらやる、程度のものなんだと思います。侵入した家にカードがない場合も多いでしょうしね。ただ、上手くいけば大きいです。クレジットカードのキャッシング枠や、銀行の預金を自由にできますから」
ただし、とわたしは言った。
「スキマーで複製できるのはカードの情報だけで、それを使うには暗証番号が必要になります。去年このあたりで起きたスキミング事件では、犯行グループは暗証番号を得るために、手元を撮影するカメラをATMに設置していました。自転車の錠は、その代わりだったんです。キャッシュカードやクレジットカードの番号も、普通は四桁ですからね」
「確かに。そう言われると私も、自転車のダイヤル番号とカードの番号を、使い回していますね……」
「笠井満に関しては、空き巣の作戦は
「それを満は、真美の仕業だと勘違いしたのか……」
「はい。空き巣に入られたのではないかと聞いてみたら、バッグや時計などの小物類がなくなっていることに、ようやく気づいたそうです。一方、同じ自転車の悪戯にあった人ひとりに話を聞けましたが、彼はスキミングこそされなかったものの、悪戯があったあとに空き巣に入られ、大量にものを盗られています。入ったあとの状況に応じて、空き巣も手口を変えているんでしょうね」
「これが真相、か……」
奥野さんが感心したようにため息をつく。一気に話したので、喉が砂を詰めたようになっている。麦茶が美味しい。
「警察には、このことは?」
「何もなければ、浜中さんと一緒に行こうと思ってます。あとは、
「よかった。実は、少し心配してたんですよ」
奥野さんはウィスキーを飲み、ほっとしたように笑った。
「ひとりで調査を続けるあなたを見て、また悪い虫が騒ぎだしたんじゃないかと不安だったんです。仕事でもない調査をプライベートでやってるなんて、普通じゃない。無事に終わってよかったです」
「わたしもよかったと思います」
「みどりさん、あなたには能力がある。これからはあまり心配させないでください。あなたなら、多くの依頼人に利益をもたらす、優れた探偵になれます。もう、危険地帯に足を突っ込むようなことは、やめてください」
その問いかけに、わたしは答えなかった。
真剣に心配してくれる人に対して、噓はつきたくない。
「奥野さん、ごめんなさい」
「何がですか」
「ひとつ、謝らないといけないことがあって」
わたしは、周囲を見回した。
「ここ、父の家じゃないんです」
「は?」
目が暗闇に慣れてきて、部屋にあるものの輪郭がくっきりと見えている。広いリビング。壁にかけられた大きな絵。巨大な水槽の中を彩る、熱帯魚や水草。ワインセラーに並ぶ滑らかなボトルたち。
「ここは、
「小野寺……表札に名前が出ていた人ですか?」
「そうです。小野寺さんは、浜中さんのお友達です。会社を経営されているかたで……一週間前、自転車に悪戯をされたと言っていた人です」
闇の中で、奥野さんの目が怪しく光った。
「オフィスで奥野さんと一緒に錠を壊していたとき、浜中さんから電話がありました。彼の友人の小野寺さんが、笠井満と全く同じ悪戯をされたという内容です。小野寺さんは独身で、今日から一泊二日の旅行に行かれています。その間は、この家を自由に使っていいと言われています」
「自由に? なぜですか」
「浜中さんたちは、高齢者をターゲットにする犯罪者たちに怒っていました。定期的にセミナーを開いていたのもそのためです。相談したところ、使っていいよと言ってくれました」
「相談? 何をですか」
奥野さんが不安そうに言う。
「あなたは、何を相談したんですか」
「ひとり暮らしの男性が、旅行に出かけた。下調べを欠かさない空き巣が忍び込むには、絶好の日ですよね」
「空き巣?」奥野さんは少し考えてから、呆然としたように呟いた。
「みどりさん、あなたは、まさか……」
「ごめんなさい、奥野さん。わたし、どうしても見てみたかったんです」
この機会を逃したら、二度とは見られないだろう。
プロの空き巣が、忍び込んでくるときの顔なんて。
「奥野さん、助けてくださいね」
わたしは微笑んで、デジカメを取りだした。ウィスキーを飲んでリラックスしていた奥野さんに、獣のような緊張感がみなぎった。
静寂の中──不意に、玄関のほうからカチャカチャと音が聞こえだした。
カチャリ。
解錠の音が、響いた。
「解錠の音が」 了
(書籍『五つの季節に探偵は』でぜひ他の短編もお楽しみください)
解錠の音が 逸木裕/小説 野性時代 @yasei-jidai
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