第9話



 暗がりの中、わたしと奥野さんは、テーブルを挟んで向かい合っていた。

 家中のカーテンを閉じ、すべての電灯を落としている。リビングの隅にある巨大な熱帯魚の水槽が、暗闇の中に赤や青などの、多彩な色を描きだしている。

「しかし、広いんですね、お父様の家は」

 奥野さんはウィスキーを傾けながら、感心したようにリビングを見回す。

「広いですよね。買ったのは最近なんですよ。表札が別人のものだったでしょう?」

「ああ、そういえばそうでしたね。こんな戸建てを買えるなんて、儲かってるんだなあ」

「奥野さんも、いずれは独立して起業ですか?」

「はは、私は別に、いまくらいの生活で充分です」

 父の別宅で熱帯魚でも見ながら、飲みませんか。セミナーのお礼もしたいですし。

 すべての謎が判ったと伝えたら、さすがに奥野さんも食いついてきた。そこでわたしは、ここに彼を誘ったのだ。冷蔵庫にあるものは好きに飲み食いしていいと言われていて、ワインセラーには高級ワインも並んでいるが、お酒の味はよく判らない。結局わたしは、冷蔵庫にあった麦茶を飲んでいる。

「そろそろ説明してくださいよ、みどりさん」

 ねだるような口調だった。お酒が入っていることもあるのだろうが、彼もやはり、探偵なのだ。未知のことを知りたいという本能を、ちゃんと抱えている。

「判らなかったことが、ふたつあったんです」

 あまりらすつもりはない。わたしは口を開いた。

「ひとつは、笠井満のことでした。調査を終えたあと、彼はなぜか〈赤田真美はストーカーだ〉と言って怒鳴り込んできた。あれは、なぜなんでしょう」

「満はプライドの高い性格だった。真美に相手にすらされていないという調査報告を、受け入れたくなかったのでは?」

「ただ、満がきた日は、調査を終えてから一週間が経っていました。調査報告を聞いたときの彼は、どちらかというとがっかりしたような、神妙な顔つきをしていましたよね」

「まあ、それは確かに」

「一週間の間に、何かがあった。そう考えるのが自然です」

「確か、〈また金がられた〉とか言ってましたね」

「ええ。財布でも落としたのかと思っていたんですが」

「違うんですか」

 話の先を聞きたそうな奥野さんを一旦制止し、わたしはお茶でのどを湿らせる。

「同棲中、満と真美の間でトラブルになっていたことが、いくつかありましたよね」

「仕事を勝手にやめてしまった、でしたっけ?」

「それもあります。あとは、財布の中身を見られる、キャッシュカードや通帳を触られる──要するに、お金のトラブルです。笠井満はあまり自分に自信がないのか、真美が付き合ってくれているのは、自分にお金があるからだと思っていました。でも、口ではそう言っていますが、本当はそう信じたくなかったのでしょう。だから、お金周りの揉めごとがあったときに異様に攻撃的になった。今回も同じなんじゃないですか。何か、もっとはっきりとしたお金の問題が起きたから、あそこまで激高したんです」

 奥野さんはまだ理解できていないようだった。悠長にしている時間は、あまりない。

「そこで、もうひとつの謎、自転車の話が出てきます。この半年、越谷周辺で四件ほど、おかしな自転車への悪戯が起きていました。一連の犯罪には共通点があります。錠が破壊されていること、自転車が別のスタンドに移動させられていること、前輪と後輪がパンクさせられていることです。錠を壊したのに、自転車は盗まない──犯人はなぜ、そんなことをしたのか」

「理由が判ったんですか?」

 わたしはうなずき、鞄からあるものを取りだした。

 以前、サカキ・エージェンシーで切断したダイヤル錠だった。

「この錠、ダイヤルを回して開けるまで、何分かかると思いますか?」

「さあ。見当もつかない」

「三十五分です。この錠のナンバーは〈7554〉で、〈0000〉からひとつずつ合わせていくとそのくらいかかりました。つまり、五十分くらいあれば、〈0000〉から〈9999〉まで、すべての組み合わせを試して確実に開けることができます」

「みどりさん、何が言いたいんですか?」

「犯人の目的は、こっちだったんじゃないでしょうか」

 つまり、とわたしは言った。

「犯人は自転車などどうでもよかった。が、目的だったんですよ」

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