第26話 守りたい人達。
「やぁ、史郎。丁度良いや。一緒に回ろうよ」
「あぁ」
教室を出たところで声をかけられたところを見るに、待っていたと解釈できなくもない。
志保のシフトまで一時間か。
「なんか食うか?」
「良いね。あと二年生のブース行けばコンプリートだよ」
「あぁ、既に巡ってるのね」
「よし、そうと決まれば!」
二人で、どこを見ても人、人、人という、そこに立っているだけで、げんなりするような廊下を歩き出した。
二年生は、地元の企業と交渉し、商品を仕入れて売るという、俺は来年、奏に誘われない限り絶対にクラス委員にならないと誓った。
「へぇ、きゅうりか」
「夏祭りとかにある奴だよね」
「あぁ、そういえば見たことあったな」
屋台が立ち並ぶ体育館。丁度、軽音部がライブをしているようで、結構盛り上がっている。熱気が凄い。
「こっちはシューアイスだって」
「どれを食べるんだ?」
「勿論全部」
「はいよ」
「わかってたよね?」
「勿論」
「もう」
「ほら、さっさと買うぞ」
「はーい」
手を引こうとした。
こんな人混みだ、はぐれないようにとか、適当な言い訳はいくらでも浮かぶ。
でも、やめた。指先がもう少しで触れ合う、そんなタイミングで、臆病な声に、従っていた。
俺はまだ志保のことが好きなのだろうか。そんな疑問が湧いた。頭を振って打ち消した。
考えたって、仕方のないことだ。
キュウリにシューアイス。鈴カステラ。ワッフルにプチケーキ。ポテト餅。タピオカドリンクは昨日飲んだな。結構色々あった。
「流石仕入れた物、結構美味いな」
「やはは。だね。三年生のところ、結構味の差はあったよ」
「俺らが三年になったら、まぁ、奏とお前と結愛を、うまい具合に配置できればどうにかなりそうだな」
「私、戦力外だよ」
「えっ?」
「ん?」
「志保の家に行った時食った料理、美味かったぞ」
「あー、あれ、私作った奴じゃないし。作り置きしてもらってた、私の晩御飯をレンチンして出してた」
「……マジで?」
「マジマジ」
冷静に考えて、気づかない方がおかしい、のか……。そうだな、恋人の家訪問で、テンションが上がって、勝手に脳内変換していたのは、否めない。
しかし、だ。
いや、落ち着け、九重史郎。平静を保て。
「やはは、なんか、がっかりさせちゃった?」
「あーいや。俺が勝手に勘違いしていただけだ。それで怒るのは間違っているからな。食べさせてもらった料理にケチ付けるのもおかしい。美味しかったのは確かだし」
「史郎、大人だね。……うん、でも、練習してみようと思ったよ」
「なんで?」
「史郎、久遠ちゃんの作ったご飯食べる時、幸せそうだったから」
儚げな微笑み。志保が見せる、初めての表情。
どんな意味が込められているのか、俺にはわからない。
「ちょっと、悔しかったかも。史郎のあんな顔、私、引き出せなかったから。もし、上手に作れるようになったら、食べてくれる?」
「あぁ。勿論」
「ありがと。さて、そろそろだね。それじゃ」
スマホの画面をちらりと確認して、志保は立ち上がる。
「あっ、送ってく」
「優しいね、史郎」
「お前が危なっかしいだけだ」
「そう……ねぇ、史郎」
「なんだ?」
綺麗と可愛いが同時に感じられるそんな笑顔。心臓が跳ねた。
「ありがとね、嫌いにならないでくれて。助けてくれて。戦ってくれて。その、かっこよかった。嬉しかった」
「……おう」
「やはは。それじゃ」
悪戯に成功した子どものような笑みを浮かべて、そのまま駆けていく。人混みの中へ。
慌てて追いかけるが、結果的には杞憂で。教室に着くと、志保はちゃんと働いていた。
はっきりとは、聞いてこなかったな。俺が何者なのか。
クラス委員として、シフト時間外に顔を出すのは決して不自然なことではない。初めてこの地位で良かったと思った。
けれど、職場におけるリーダーのように、その都度トラブルについて相談されるわけでは無い。何ともリーダー感の無いリーダーだな。
さてさて、あまり張り付いていると、怪しまれるな。と言っても、プロの気配を感じさせる奴なんて、うちの組織の人間しかいないわけで、本当に平和だ。
護衛だと特定されないよう、四六時中張り付くようなことはするなというのは、室長指示だ。
そういえば、室長に、志保に見られたこと、言ってないな。結愛も報告書には書いていない。
別に何か不都合があるわけではない。もうしばらく、様子を見ても良いだろう。
そう判断したのは、志保に「ありがとね」と言われて、嬉しい。そう思ってしまった自分を隠したかったから。そんな身勝手な都合だけど。
「史郎さん」
後ろからの声に振り返ると、感情が乏しい顔でこちらを見上げてくる結愛がいた。
「あぁ。どうした?」
「いえ、何か用事があるわけでは無いのですが」
クイっと眼鏡の位置を直して、結愛はニッと人懐っこい笑みを浮かべた。
「ちょっとだけ、抜け出しませんか?」
ゆっくりと眼鏡を外す。少しだけ、幼さが強調される。三つ編みの先を解いて、ただのツインテールになる。見慣れた結愛になる。
俺は頷いた。この状況で事を起こす奴がいたら同情する。秒で制圧されるだろうから。
抜け出すと言っても、一般の人が入場禁止の特別教室棟に設置されている自販機に行くだけ。
そこでそれぞれ、結愛はオレンジジュース。俺はコーラを買った。缶と缶をぶつけ合って、クイっと呷る。流れ込んでくる甘味で喉を潤した。
「護衛任務は継続。より警戒せよと、先程、指示されました」
「あぁ」
「これからも、よろしくお願いしますね。先輩」
結愛が缶を掲げる。改めて、ぶつけ合う。
「お前も、もう少し楽しめたら良いんだけど」
「これで良いんですよ。私はそういう立場です」
結愛は、自嘲気に笑う。
それからは、何事も無く文化祭は終了、閉会式をやって解散。
打ち上げをしに行くというクラスメイトの横を通り抜けて、家路についた。
「じゃあ、また」
「あぁ」
駅前で、志保と結愛と、手を振って別れる。
打ち上げしようとか、そういう話題も無く。俺達はいつも通りだった。
文化祭だからとか、そういうことを理由に盛り上がるような柄じゃない。
達成感とかよりも、疲れた、という感想の方が強い。
「買い物は?」
「今日は無いかな。夕飯はあっさりにしたいね」
「同感だな。文化祭の屋台は味が濃すぎる」
自然と、二人で並んで歩く形になる。
特に何か話すことなく歩いているだけなのに、落ち着くんだ。
「ん? どうした」
チラチラと、こちらを見上げる視線を感じる。
何か、言いたそうにしているように見えた。
「ねぇ、史郎君」
「んー?」
「もう平気なんだね」
「何が?」
「朝倉さんと一緒にいて」
「あー」
影が長く伸びる。
何度も歩いた道。何度も隣を歩いた幼馴染。
落ち着くな。やっぱり。
俺達の間に流れる関係は変わらなくて、揺るがなくて、だから奏は、俺にとって帰ってくる場所。安心できる場所。だから、何が何でも、守りたかった。
「史郎君。あの、ね」
「あぁ」
「私さ、弱いじゃん。あー、ごめん。困るよね、返答」
「そりゃまぁ。強さにも色々あるとか、そういうの求めてないだろ」
「うん。ねぇ、もっと困らせて良い?」
「良いよ」
「安請け合い、しちゃって良いの?」
「奏なら良い」
「また、助けてくれる?」
「何度でも」
「そう」
悪戯っ子な笑みを浮かべる奏が、妙に色っぽく見えて、心が震える。
もし、関係が変わるかもしれない。そんな状況が訪れたら。今の俺は、選べるのか。
家の前。奏は立ち止まる。
十分程度の道のり。そのゴール。
いつもなら、「後でね」とか「また明日」って言いながら、手を振って中に入っていくところなのに。
「どうした?」
「史郎君。今から、私、悪い子になるね」
「あぁ。良いよ」
「言ったね。もう飲み込めないから」
「あぁ。良い」
表情は伺い知れない。けれど声には、確かな決意が感じられて。それに気づいておいて逃げるなんてこと、出来るわけが無かった。
「ありがと。私さ」
思わず息を飲んだ。
振り返った奏が。あまりにも綺麗で。見惚れた。
手が、後ろ髪に伸びて、毛先を弄んで。
「……うん。はっきり言うね。回りくどい言葉、浮かばないや」
「あぁ。どうぞ」
覚悟を決めた瞳が、真っ直ぐに俺に向けた。
「……よし。私、史郎君のこと、好きなんだよね。……大好きなんだよね。恋人として」
奏でられた言葉に、心臓が跳ねた。
「あー、えっと。それって」
「LIKEじゃないよ。LOVEだよ」
「あ、あぁ」
聞こうとしたことが、先回りで答えられる。
真っ直ぐに好意を、ぶつけられていることは、理解できる。
けれど、今、目の前にいる奏。ずっと面倒を見てくれていた人に言われている。その状況に、理解が追いつかなかった。
好意をぶつけられる温かさに、頭がぼんやりとした。
「ずっともやもやしてた」
「う、うん」
「朝倉さんのことが気になっていると相談された時も
史郎君が振られた時も、同じ学校に朝倉さんがいた時も、
萩野さんが史郎君に接触してきた時も、朝倉さんを守らなきゃいけないってなった時も、
史郎君が二人を助けに夜中飛び出していった時も。ずっとずっと、もやもやしてた」
「理由はわからんけど。すまん」
「わからない? 史郎君の中で、一番になりたいからに決まってるじゃん」
「あっ。えっと。ごめんなさい。えっと、その」
考える。どうする。
叫びだしたい衝動をぐっと堪える。
溶け出していく脳を必死にかき集めて考える。
奏のことが好きか嫌いかと聞かれたら迷わず好きだと言える。
目の前にいる奏はとても可愛い女の子で。傍に居てくれるのが、日常で……。
「今答え出さなくて良い。これは宣戦布告だから」
俺の思考を断ち切るように、きっぱりと。ごちゃごちゃしていた頭の中が、真っ白になった。
一歩、奏は距離を詰める。二歩、視界は奏で埋まる。
茜色に照らされる。道行く人の視線を感じる。
でも今確かに、ここに俺と奏だけの世界があった。
花音ちゃんや音葉ちゃんがここに来たら、絶対にからかわれるって、ぼんやりと思った。
「史郎君。まだ朝倉さんのこと、好きでしょ」
「……わからない」
否定しきれない。でも、肯定もしきれない。
「史郎君、怖がってる。まだ、恋が怖い」
「お見通しのようで」
「だからね、史郎君。私、悪い子になる。史郎君のこと、きっと落として見せるから。朝倉さんが座りっぱなしの席、奪って見せるから。怖いとか忘れちゃうくらい、私に夢中にさせちゃうから」
どうしてだろう。
心が、温かい。
それは、結愛に「付き合ってみませんか?」と言われた時とは違う。
じんわりと、沁み渡るような温もりが、広がっていく。
パッと元の距離に戻った奏が、いつも通りの、安心できる笑顔を見せる。
「史郎君、ご飯一緒に食べるでしょ。着替えたら来てね」
「あぁ、ありがとう」
胸の前で手を握る。
俺に恋ができるかは、わからない。でも、確かに感じてる嬉しさは。奏に対して感じる愛おしさは、本物だ。
失恋から始まる守りたい人が多い高校生活。 神無桂花 @kanna1017
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