秘密を持って夜を待つ

南雲 皋

◆◇◆

 夕焼けが教室に差し込む放課後。

 もうほとんどの生徒は帰ってしまって、部活動の声だけが遠くから聞こえてくる。

 美術室や理科室、図書室なんかにはまだ生徒はいるのだろうけれど、教室にはあたしだけしかいなかった。


 カラオケに誘ってくれた友人たちについて行かなかったのはどうしてだろう。

 気分が乗らなかったからといえばそれまでで、だけど自分の感情を上手く説明できなかった。


 数日前に彼氏に振られたとか、今日戻ってきた小テストの点が思ってたより低かったとか、まつ毛の上がり方がいつもより綺麗にじゃなかったとか、そーゆーことの積み重ね。

 何だか無性にイライラして、何かで発散したいのにその方法すら分からない。


 スマホをいじりながら机に突っ伏していたら、誰かの足音がした。

 顔を上げると、そこにはカエデがいた。

 クラスの、ううん、学年の有名人。

 学校のって言ってもいいかもしれない。

 いろんな部活の助っ人として試合に出ては結果を残し、全国模試でも上位に入る、そのくせ人当たりが良くて美人で、かっこいい彼氏もいて、あたしなんかとは大違いの、クラスメイト。


「何してんの?」

「べつに。アンタこそ、なに」

「忘れもの取りにきただけ」

「あっそ」


 机の中から手帳を取り出してカバンにしまう仕草すら、綺麗だと思ってしまうからムカつく。

 あぁ、本当に、ムカつく。


「アンタってさ、あたしらみたいなののことどう思ってんの?」

「なに、突然」

「スポーツも勉強も私生活も? 完璧で、隙なし!って感じでさ、それってどんな気分なわけ?」

「別に……完璧ってわけじゃ」

「それで完璧じゃないって言えるのがまずヤバいわ、持ってないものないじゃん」

「…………あるよ」

「え?」

「持ってないもの、ある」


 カエデの背中に、もうほとんど沈みかけの夕陽が当たって表情はよく見えない。

 あたしを見つめていることだけが、かろうじて分かった。

 長く伸ばしたサラサラの黒い髪が、普段は一つに結ばれている黒い髪が、今は解かれて風に揺れる。

 セーラー服の濃紺の袖から伸びる白い手があたしの方に向かってきて、あたしはそれをぼうっとしたまま見ていた。


 少しひんやりして、滑らかなカエデの手のひらが、あたしの頬を撫でる。

 親指がゆっくりと横に動き、あたしの唇にそっと触れた。

 リップを塗り忘れてカサついたあたしの唇に、カエデの細い指が。


「私、サクラのこと、好きなの」

「……あ、たし?」

「男の人も、嫌いじゃないけど、でも一番はサクラ」

「か、彼氏は?」

「あの人は、利害が一致してるだけ。ねぇ、私、完璧じゃないよ。いつこのことがバレるか分からないから、その時のために必死にいろんなもので武装してるだけ」

「…………カエデが、二刀流だって噂、聞いたことある」

「男も、女もいけるってこと。その噂が流れて、ただの噂なんだって思わせるために彼を利用させてもらったの」

「…………」

「気持ち悪い? ごめん、言うつもりなんてなかったんだけど」


 自嘲気味に漏らされた笑いに胸が苦しくなる。

 未だ触れられたままの唇は、頬は、カエデの熱を拒んではいない。

 カエデの親指の腹を、軽く、む。

 反射的に離れて行ったカエデの手を、視線が追った。


「サクラ、やめて、そんな顔しないで」

「どんな顔、してる?」

「私がほしいみたいな、そんな顔……やめてよ」


 あんなにザワついていた心が、凪いでいるのを感じていた。

 イライラも、ムシャクシャも、ムカムカも消えていて。


 ゆっくりと近付いてくるカエデの顔。

 私の脱色して明るい髪に混じる黒。

 長いまつ毛、きめ細やかな肌、熱い吐息。


 しっとりとした唇を、あたしは自分の意志で受け入れた。

 重なる影が夕陽に溶けて、夜の訪れを告げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

秘密を持って夜を待つ 南雲 皋 @nagumo-satsuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ