anticrepuscular rays ー二刀流―

MACK

医師と暗殺者


 他人の事を気にもせず、テーブルの上の食事と酒と、誰しも己の会話に夢中になる賑やかな酒場の中で、銀縁の眼鏡の男のエールジョッキの横にジャラリと音を立てる革袋が置かれる。


「今回の報酬だ。相変わらず良い仕事だった。どうだいダグラス、正義の味方になった気分は?」


 薄い金髪の男の言葉に対して眼鏡の男は何の感慨を受けた様子も見せず、置かれた革袋ではなくジョッキを手にした。

 無言で酒を煽る姿に「相変わらずだな」という一言を発して、肩をすくめながら男は出て行く。目の端でそれを見送ってから革袋を懐にしまい込む。


 暗殺の対価としては廉価。だが貧しい人々が僅かな蓄財をかき集めた血と汗にまみれた硬貨たち。銀や青銅の小銭は、それらが染み込んでいる分なのか懐で重かった。


 ”鉱山主の男を殺して欲しい”


 拉致するように強制的に連れ出され、奴隷のごとく鉱山で働かされる村の男達。残された妻子は鉱山から流れ出した鉱物混じりの水のせいでどんどん体を損なった。

 病人だらけのその村に、医師として入り込むのは容易で。


 ジョッキを再び傾けようとしたところ、酒場の扉を音高く開けて、少年が転がり込んで来た。視線が一気に幼い彼に集まる。


「先生、先生、母ちゃんが! 母ちゃんが!」

「すぐに行こう」


 革袋から硬貨を一枚取り出して机に置き、泣きながら喘ぐ少年の背中をさすりながら酒場を出る。村から必死に走ってきたのであろう。何度も転んだのか膝は傷まみれだったが、今は治療をしてやる暇はなさそうだった。

 

 少年と共に馬に乗り、デコボコの細道を駆ける。夜も更けて僅かな月明かりを頼りにとにかく村に向かい、到着するやいなや少年は馬から飛び降りて自宅に向かって走っていく。


「母ちゃん! 先生を呼んで来たよ!」


 医師は馬の鞍に備え付けておいた医療用の鞄を手に、後を追いかける。

 小さな家の粗末なベッドの上で、息絶えようとする女性の姿。


「マリーさん、マリーさん」


 細い腕を取り脈を確認しながら声をかけてみるが、呼吸は浅く弱々しく。彼がこの村に医師として訪れた時にはすでに衰弱しており、現在の医療で何かができる範疇では最早なかったが、母一人子一人のこの家庭。彼女が亡くなって取り残される少年を想うと、回復をさせられるならさせてやりたかったが。



 医師となったとき、親友が誇らしげに言ってくれた。


――これからお前の右手は、多くの命を救っていくのだな。


 手を取りながらそのように言ってくれた彼の訃報が届いたのは、つい先日の事だ。

 遠い異国に身を置いていたことを、これほどまでに悔やんだ事があっただろうか。城で働く彼と、同じ場所で働いていれば救えたのではないかという”もしも”が脳裏を何度も過ぎる。

 だけどもきっと実際は、親友の傍らにあっても救う事は出来なかっただろうとも思う。

 どんなに努力をしても、尽くせる全てを尽くしても、命はぽろりとこぼれ落ちていく。死なせる事は簡単なのに生かす事は難しい。

 その度に、お前は無能で無力であると突き付けられて来た。

 どうしても、耐えられなかった。「才能を生かすためには国外に出るしかない」と言って出て来てしまったのにと。

 そうして命を救うべく培った知識を、死なせる方向に使う事にしてしまったのだ。殺す事は簡単だ。いつでも成果が出せ、優秀だと評価される。

 それでも罪悪感か罪滅ぼしなのか、右手は常に人を救おうと足掻く。左手は暗殺者として血にまみれてしまっているというのに、それでも医師である事をやめる事は出来なかった。


 空が白み始め、窓の外の風景が鮮明になってきた頃。

 再び、医師の右手から命がこぼれおちる。


「母ちゃん! 母ちゃん!?」

「……力になれかった、すまないジェシ」

「うぇ……ぐすっ、ううん。いいんだ、ダグラス先生だけだもん、こんな貧乏な村まで往診に来てくれたお医者さんは」


 袖でごしごしと涙を拭きとって、少年は十歳にも満たない幼さで強い視線を医師に向ける。


「そうだ先生、外を見よう!」


 少年はダグラスの返事を待たずに外に飛び出して行く。何を、と思いながらも後に続くと、夜明けの光線が雲の隙間を切り裂くように放たれ、天に繋がる柱と化していた。


「良かった出てる! 母ちゃんは、あの光の道を通って天国に行くんだ」


 鼻をすすりながら目を細める少年こそが眩しく見えて、医師もまた目を細める。


「ああ、そうだね」


 そう答えるのが精いっぱいだった。

 少年が輝きと刻々と変化する空の色に夢中になっている隙に、玄関横の小さな郵便受けに懐の革袋を差し入れる。


 そして踵を返し、後ろを向くと改めて……西に向かって収束し、消える光の束を見つめる。


 自分に相応しいのはこちら側であろうと。


 医師でありながら暗殺者。

 標的は誰からも恨まれる悪人とは限らない。正義などないのだ。


 もう、光の柱は登れない。

 暗い世界に消えていく。


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