喫茶グレイビー へようこそ series 1

あん彩句

KAC20221 [ 第1回 お題:二刀流 ]


 その店で占うと、全てがうまくいくらしい。



 そんなバカスカ当たる占いがそう簡単にあってたまるか。そう思いながら、藁にもすがる思いで店を探した。


 何もやってもダメだった。やっとの思いで卒業したのに就活は撃沈、頼りのバイトもクビで飯さえ食えない。親に泣きついて当面はなんとかなったが、地元に戻れ、親戚のつてで就職しろと散々ぐちぐちやられた。


 地元になんか帰りたくない。コンビニまで車で行かなきゃいけないなんて、そんなド田舎耐えられない。



 どこをどう歩いたのか、入り組んだ路地と同じような建物ばかりを見て途方に暮れる。電波状況が悪くてスマホの画面が動かなくなるので役に立たなかった。


 これはド田舎へ帰れという暗示か、なんて空を仰いだら——見つけた。小さな看板だ。『珈琲と占い』と書いてある。



 汚い古ぼけたビルの三階。見るからにアンティークな喫茶店だなんて情報をネットに流したやつは誰だと呪いたくなる。

 雑居ビル、しかも蔦が這う廃墟のような建物で、入口は隙間につけたような錆びた鉄のドア。その先には辛気臭い階段が続き、電気は切れて暗い。隙間から差し込む光でなんとか進むことができた。


 急な階段を三階まで上り切る。上り切ったそこにあったのは黒々としたドアで、ドアノブと郵便物の差し込み口が真鍮だった。その真っ黒なドアの横に、いたずら書きみたいな文字で『OPEN』とマジックで書かれた木のプレートがぶら下がっている。



(……胡散臭い)



 そんな思いを飲み込んでドアを開けた。開けたとたん、カレーのいい匂いがした。それだけで気が緩んでしまった。


 中は驚くほど小洒落ていた。左側には木のカウンターがずっと続いていて、壁にはバーみたいにずらりと酒の瓶とグラスが並んでいる。そこには背の高い椅子が置かれ、反対側の壁は一面深い赤、たくさんの小さな写真が不規則に飾られていた。


 あとは丸や四角の低いテーブルがいくつかあって、そのテーブルにはなんの脈絡もなく様々な形や色、素材の椅子が置いてあった。天井からはペンダントライトと観葉植物が吊り下げられている。

 そして、「いらっしゃいませ」のような声はない。



 店内には、三人の人がいた。


 一番奥の深緑色のベロアのソファには、一般の男の太ももより太い二の腕の男。くりんくりんのパーマをかけていて、耳が見えない黒髪。ノートパソコンを睨み、一撃でキーボードをぶち壊しそうだった。


 カウンターの真ん中には細いジーンズ姿の女性。襟を短く刈り込んでいて、耳にかけられる長さの髪はブルーだ。そしてカレーライスを食器をガチャガチャと鳴らしてかき込んでいた。


 その様子をカウンターの中から眺める女性が一人。茶色の髪を頭のてっぺんでお団子にしていて、エプロンをつけているところを見ると店の人らしい。よかった、一番まともそうだ、と歩み寄る。


「あの」


 声をかけると、カレーを食べていた人が顔を上げた。めちゃくちゃ目つきが悪いので、スルーしてお団子の人から視線を逸らさずに続ける。


「占いをしていると聞いて……」


「ああ、ごめんなさいね。私は店員じゃないの」


「え?」


 にこにこと答える割に、声はそっけない。カレーの人が後ろを振り返って大声を出した。


「おい! 占いだってよ!」


 一番仲間に入れて欲しくない人にそう呼びかけている。極太な腕の男が顔を上げて舌打ちをした。


「あァ?」


 バチンとノートパソコンを閉じた男が、腕を組んでこちらを向いた。


「あっちいけ、あっち」


 カレーの人が親指で男の方を示す。それだけでもう帰りたくなった。パンパンの二の腕は、Tシャツの袖すら破いてしまいそうだ。


「いや、あの……コーヒー飲んでからにします」


 苦し紛れにそう言ったら、カレーの人がまた男を振り返った。


「ほら、注文だってよ。働けよ、木偶の棒!」


「てめぇ、口の利き方教えてやろうか?」


「うるっせーよ! 今カレー食ってんだよ! ミサキのカレーだぞ!」


「やだぁ。あやちゃん、もう三杯目じゃない」


 なぜか照れながらお団子の人がカレーの人にコップを差し出した。並々と水と氷が入っている。


「黙ってろ。どんな理由をつけてもこんな店の仕事したくねぇんだよ!」


「綾ちゃん、いつもそうね。ねえ、お客さん帰っちゃうわよ」



 いや、帰りたくても動けない。呼吸すら憚られるその空気に身震いする。占いどころではなかった。今までのダメな生活をこれからも続けたほうが身のためかもしれないと、そんな考えが頭をよぎる。


 バンッと、男がテーブルを叩いた。飛び上がったオレが恐る恐るそちらを向くと、男がオレを見て顎をしゃくった。血の気が引く、でも、抗えるほどの勇気と実力がオレにはない。


 できるだけ素早く移動した。それで、男の前のどんなものよりも固そうな椅子に腰掛けた。ピンと背を伸ばして息を止める。



「何を占いたい?」


 意外にも穏やかにそう聞かれた。でも気は緩まない。震える声で「これからを」と小さく呟いた。


「何をやってもダメで、それで——」


「ハルマキ!」


 男が急にそう叫んだので、死ぬほど驚いた。ガンガンと足を踏み鳴らして、男がまた叫ぶ。


「ちょっと来い!」


 その後、しんとはならなかった。ガチャガチャと食器を鳴らしてカレーを食べる音が響く。しばらくして——。


 ガチャリと入口の扉が開いた。振り返ることもできないでいると、男の隣に女性が腰掛けた。胸の辺りまである髪はオレンジ色で、小さなリボンを付けたピンク色のセーターに細かくプリーツの入ったロングスカートを履いている。


「やだあ!」


 その人は甲高い声で笑うと男の腕をビシビシ叩いた。


「トムくん、欲求不満じゃない!」


「いいから仕事しろ」


 男がうんざりしたように言った。ピンクの女性がテーブルの上にトランプより大きなカードを束ねたものをぽんと乗せた。


 一瞬、その目が鋭くなった。でもそれからはふわふわと甲高い声で笑ってそのカードを混ぜる。何やらブツブツいう声の詳細は聞こえて来なかった。しばらくそうした後でピタリと手を止めた。次々とめくるカードは全て真っ白。胡散臭さは倍増だ。



「最低だわねぇ」


 甲高い独特な笑い声を上げてピンクの人が言う。


「能力もないくせに自分は正解だと思ってる。気が多い上に世の中の軸が自分だと勘違い、人を見下すことに関しては超一流。友達すらいない碌でなし。できれば布団の中でゴロゴロしてお金が降ってくればいいと願ってる、親の脛かじりな半端者よ」


 さらりと言われたので、嫌味にすら聞こえなかった。それを反芻しなかったのは、全部が正解だったからだ。


 胃がキリキリした。確かそれをどうにかしたくてここへ来たはずだった。それなのに隠したいことをこうも簡単に見抜かれたら、もう反論の言葉も出なかった。


「なるほど、クズか」


 男が言う。さらに地面へと叩きつけられた思いだった。


「どうしようもない役立たずが、これからをどうしようって藁にもすがるのか。クソだな。てめぇのようなクズは死んだ方がマシだろう」


 パンパンに弾けそうな腕に青筋が立っている。


 この人殺し屋かもしれないな、それでオレは東京湾に沈むかもしれない。理由は、そうだ、クズだからだ。ゴミよりも下、まとまった邪魔者にもなれず、綿埃みたいにふうっと吹き飛んで、終わり。



「採用」


 男が言った。


 その言葉の意味がわからなくてあんぐりと口を開けた。オレは確か占いをしてもらうためにここへ来た。これからどうするべきか、ド田舎へ帰るべきか、それともまだもがくべきか。


 だけど、ええっと——ピンクの人がまた甲高い声で笑った。


「正解よ、トムくん。さすがねぇ!」 


「ウチは気の利く連中で成り立ってる。そこにクズがいねぇとバランスが取れねぇんだよ。今すぐ契約しろ。住み込みだ、お前には好都合だろう」


 冗談ではないようだ。こんな暇そうな喫茶店で、オレが生活できるだけの金を稼げるのだろうか。


「あの、ここで、ですか?」


 オレが聞くと、男が笑った。ピンクの女性はカードを束ねるのに全神経を傾けていた。


「ここは本業じゃない」


 男が言った。オレは随分な不安を抱きながら、おずおずと尋ねた。


「えっと、本業って——」


「誘拐」


 男がニヤリとした。


「と、公文書偽造。まあ、簡単にはそんなところだ」



 声が出ない。誘拐に公文書偽造——それが本当なら、オレはクズ以下に成り下がるじゃないか。


「クズなんだろ、ちゃんと使えんのか?」


 カレーの人が、新たなカレーを山盛りにした皿を持って横に立った。オレを品定めするように眺めている。


「綾だ。コイツがガキを誘拐してくる」


 男がそう言って、カウンターの中のお団子の人を顎で示した。


「アイツはミサキ、情報屋だ。ハルマキは占いで金を稼ぐ、取れるところからごっそりな」


 ピンクの女性がせっかく束ねたカードをテーブルの上にぶちまけた。


「一枚、お取りなさい」


 ビリッとする低い声で促され、手を伸ばした。手近のカードを選んで手に取る。最初から裏返っていたカードだ。もちろん、真っ白。


「悪くないわ。トイレ掃除でもするのね」


 ピンクの人はそう言ってまたカードを集めた。カレーの人が皿を空にしてテーブルへ置く。


「よし、お前はこれから便所掃除が仕事だ。で、名前はあくた。せいぜい成り上がれ」


「あの、でもオレは!」


「オレはなんだ? 何者でもねぇんだろ。悪いようにはしない。知ってるよな、ここで占うと全てがうまくいく」


 それを信じて探し当てた場所だと思い出した。男がまたニヤリとした。


「オレはトム。ハッカーで、ゲイだ。心配すんな、お前みてぇなクズは喰わない」


 男が立ち上がった。カレーの人もピンクの人も男へ続く。お団子の人が皿を取りに来て、ポンとオレの肩を叩いた。


「喫茶グレイビーへようこそ。ここは珈琲と占いの店。そして、生きるのが困難な子供を誘拐する犯罪組織よ」



 呆然とその言葉を聞いた。どうやらオレはド田舎に帰る必要がないらしい——就職先は犯罪組織、勝手に採用された。

 でもそれに抗えるような勇気も実力も、オレにはない。




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