記憶の中の冷蔵庫と私

闇谷 紅

「異世界転移なんて読み物ならありふれた話」


「腹減ったなぁ」


 そんなことを呟きながら冷蔵庫を漁ったことはないだろうか。小腹を満たすために深夜、開けた冷蔵庫の中に手を伸ばしたことは。私が、特別な力に目覚めた時もそんな時のことを思い出していた。


◇◆◇


「腹減ったなぁ」


 これに喉が渇いた、と続く。西暦で二千と二十うん年。日本にある某県某市、ごく普通の民家で親と暮らしていたはずの私は着の身着のまま見たことのない世界に迷い込んでいた。


「異世界転移だ、これ」


 現状を理解して短い間に動揺し、不安を覚え、打ち消すように期待に縋り、絶望した上で当てもなく彷徨って今に至る。


「異世界にトリップするっていうなら救済措置的なサムシングがついてきても良いだろうに……」


 自力でなんとかする主人公も居はしたが、記憶にある半分くらいの同じ状況の主人公はチートだのなんだのとまさに反則級の特殊能力をもってこういった状況を生き抜いていた。だが、私にはそれらしい能力が発現した様子はいっこうになかったのだ。


「ステータス」


 とか、叫んでみた。何も起きなかった。周りに人っ子一人居なかったのが不幸中の幸いだ。


「炎よ、出ろ!」


 出なかった。過去に遊んだファンタジー系のゲーム、読んだ小説に出てきた魔法関係の詠唱も片っ端から試した。ただ喉が渇いたのと空しくなっただけだった。


「なら、アイテムとかクリエイト出来ちゃうのでは?」


 石ころを拾ってどうにか加工できないとかと念を送って見た。石は石のままだった。何をしてもうまくいかないことに腹が立って持っていた石を地面にたたきつけたら露出していた石にあたって石ころが割れたが、だからどうだという話。


「『打製石器が出来ました』って? 違うだろ……」


 ただ石ころが割れただけだ。


「拙い、非常にまずい……」


 衣食住が確保できないまま時間だけが流れれば、私だって焦る。見知らぬ植生の場所だ。危険な生き物がいるかもしれないし、そうでなくてもその内夜がやってくる。明かりもない状況で現代っ子が夜の闇に取り残されたらどうなるか。


「サバイバル? それとも一縷の望みにかけて人里でも探すか……」


 悩んだ私が選んだのは、とりあえず高所を目指すことだった。小高い丘だの山なら周辺が見渡せると思ってのことだ。


「マジか……」


 登山の経験もなくひいひい言いながら何とか一番近くに見えた山の中腹辺りまで登った私が知ったのは、周辺に人工物らしい人工物は何も見当たらないと言った絶望だった。


「更に上を目指すのはなぁ」


 体力的にも無理だと身体が訴える。ついでにただ山を登るだけでは日が沈んで闇の中に取り残されてしまう。


「火を熾そう」


 服から糸を取って、木の枝と組み合わせ弓もどきを作って、それで木の棒を回転させれば火が付くとかそんな仕組みをどこかで見た気がする。うろ覚えであったが、それでも絶対に火は必要になる。


◇◆◇


「腹減ったなぁ」


 呟きが口をついて出たのは、そうして火を熾すために必要な木の枝やら何やらを集めに出た後のこと。危険な生き物がいるかもしれないという不安から警戒しつつの探索は私の神経を思った以上にすり減らし、ヘロヘロになって尻もちをついた私はぼやくように口にしたのだ。


「食べるもの、冷蔵庫になにかなかったかなぁ」


 冷蔵庫どころか元の我が家に戻る術もないのにぼんやりと冷蔵庫の中身を思い出せば、幻覚か目の前に昨晩最後に見た我が家の冷蔵庫があって。


「えっ」


 自分でしたことなのに目を疑った。手の中にはプラスチック容器に入った総菜のポテトサラダが握られていたのだ。


「夢……じゃないよな?」


 ふたを開け、蓋を匙のかわりにして中身を掬って食べる。


「ポテトサラダだ」


 スーパーの総菜売り場で買ったそれは私の好みではなく、両親が好きで購入したものの筈だったが、気が付けば容器は空で。


「……どういうことなんだ? 冷蔵庫を呼び出す能力?」


 首を傾げつつ先ほどの再現をしてみた結果、私は再び目を疑った。冷蔵庫から取り出したはずのポテトサラダが中に入っていたのだ。


「つまり、最後に見た冷蔵庫を呼び出す能力と言うことか」


 二つ目のポテチサラダを食べ終え、三つ目を出した時点でいったん検証を終えた私はそう結論を出す。


「とりあえず、飢え死にだけはせずに済みそうだ……あぁ」


 他の問題は何も解決していなかったがお腹が膨れ、疲れていたのもあって瞼の重くなった私の意識は闇に呑まれ。


◇◆◇


「やっぱりファンタジーだった件について」


 壁が煤で汚れているこじんまりとしたキッチンで私はどこか遠くを見ながら呟いていた。


「何をブツブツ言っておる? はようメシを作らぬか!」

「は、はい」


 隣の部屋から聞こえてきた催促に答えながら私は冷蔵庫を呼び出す。あの日山の中腹で眠ってしまった私はその山に隠れ住んでいた一人の老人に拾われたのだ。これが読み物ならご都合主義が過ぎると文句でもつけるところだが、現実なら話は別だ。


「焼きそばか、ラーメンか、それともうどんにするか……」


 冷蔵庫に入っていたものと言う縛りがあるために乾麺のパスタは取り出せず、あれにしようと私は冷凍庫部分から冷凍保存していた麻婆豆腐を取り出す。両親が出かけているのを忘れて三人分作って持て余し、フリーザーパックに入れておいたものだ。


「加熱して戻したこれに焼きそばの麺を絡める……」


 ぶっちゃけ両者を加熱し合わせるだけで出来るずぼら料理だが、調理の手間暇を惜しむ時にはありがたく、料理の腕の方も良いと言えない私にとってありがたい味方だった。


「本当に冷蔵庫様様だよな」


 前日買い物に行ったばかりだったので冷蔵庫にはスイーツまで入っている。飯時でお腹の減っていた私はシュークリームを想像して生唾を呑み込んだのだった。

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