死んだ犬、白と黄色の能力者。
猿川西瓜
お題 二刀流
「おい、居候! 起きい!」と七〇歳になる父が激しく自室のドアを叩いた。
ドンドンドン ドンドンドン ドンドンドンドン ドンドンドン!
父はわざと三三七拍子に叩く。分厚い布団をかぶっても、それがものすごく耳にうざく聞こえる。
30にもなって実家暮らしの僕はスマホのアラームが鳴る前に叩き起こされ、とても不機嫌だった。
仕事の腹いせに飲んだ昨日の寝酒のハイボールのおかげで身体が重い……。外の冷えた空気が窓から伝わって、一晩かけて顔を冷たくしていた。いつまでも眠り続けたい。けれども、今日も行かなければ。寝坊してやろうかとも考えたが、何時だろうと朝は眠いのだ。
布団を押し入れにしまい込んで、まだドアを叩き続ける父に向かって「いつまで叩いてるねん!」と言って部屋から出た。
と、目の前が真っ白になった。
白、しかないのだ。
白髪、美しくない色白、綺麗に剃っていない白いヒゲ、だるんだるんの白いももひきの上下。
父だ。ホワイトファーザーとでも呼べばいいのか。全身白で固めた父がそこにいた。
どこまでも白いものが続いている。上から下まですべてがホワイト。リビングから合成写真のように浮かび上がっているように見える。
「おい!」といったのは父のほうだった。
「返事せえや」
「したわ」
僕は顔を洗いに洗面所に向かった。
「おい、いるんかいらんのか」
白い影が僕の後ろに浮かび上がった。
鏡越しの父だ。父が洗面所まで追いかけてきたのだ。
「なんなんや!」
「いるんかきいとんじゃ」
「なにが」
僕は顔を冷水のまま激しく洗った。眼を開けながら洗うとすっきりする。
「弁当や」
「今日は弁当ありで」
母は毎日弁当を作ってくれる。弁当がいらないときは、その弁当を昼食代わりに母が食べる。
髪に水をぶかっけて寝癖を直す。朝食をいただくためにリビングに戻った。
父はいつの間にか席についていて、味噌汁を啜って、お茶を飲み、「んぱあ~」と舌鼓を打っていた。
白い。また更に白い。味噌汁の隣にある白いご飯。目玉焼きの白身の白。
父は、『白』を自在に操ることのできる能力者ではないのか。父の下着の長袖Tシャツの襟元は、深くえぐられたようにだらりと垂れ下がり、すでにTシャツを超えて、別のデザインになりつつあった。
「今日、寝坊しちゃったの」と言ったのは母だった。
僕は「味噌汁とご飯でいいよ。親父のとおなじの」と言うと、「あら、フレンチトーストつくりはじめちゃったわよ」と、母は激しく動き始めた。
何か、母の動きがおかしい。
狭い台所で、まるでダンスを踊るかのような動きを朝からおっぱじめたのだ。
激しくものがぶつかる音がする。コンロの炎が瞬く。
母は、右手に卵焼き用のフライパン、左手に普通のフライパンを持ち、同時に動かしていたのだ。
ガタガタガタガターーー!!
前後左右に動く、長方形と丸いフライパンの中には、どちらも黄色いものが入っている。
「今日ね、遅かったの。起きるの、年ねえ。いま急いで卵焼き焼いてるから」
「いや、お母さん、ガタガタめっちゃいってるよ!」
「そお?」
「もう、右手に卵焼き、左手にフレンチトースト。もうどっちも卵。ものすごい卵の消費量だよ! それが両方動き続けてるよ! 全部黄色や。このコンロぜんぶ黄色やん!」
右手の動きで卵は次第に丸まり卵焼きへと仕上がっていき、左手のフレンチトーストは水面のような焦げを浮かべてふんわりとできていた。
「バター、はちみつ、机の上にあるわよ。お皿持ってきて」
僕が母のそばへお皿を持っていくと、フレンチトーストがフライパンから滑り込むように乗せられた。卵焼きはまな板の上でトントンと切られていく。
「お母さん、宮本武蔵みたいになってた」
「おかあたんおかあたんいうて! ええ歳して、居候の身でおかあたん言うな!」
父が突然説教をしはじめた。
父は昔僕と喧嘩し、家出をしたことがある。しかし、コンビニ飯に耐えられず、翌朝には帰宅した男だ。そんな男に母への依存を言われたくない。
僕は大量のバターとはちみつをかけ、1分も経たずに平らげた。
リビングの机の上には、いつのまにか父と僕の弁当が出来上がっていて、お弁当包みがキュッとしめられていた。
僕は職場で弁当を食べていると、上司からいじられることがある。後ろから食べているところを覗かれて、上司はわざわざおかずを食べる順番がおかしいとか、箸の使い方が変だ、お母さんから教育されていないとか。一段目がのり弁であることも笑われたことがある。「のり弁で一段目真っ黒だね。塩分多くない?」と。
「いやでも、めちゃくちゃ美味しいんで」というと上司も他の社員も黙る。
「すべてが美味しいので。もう寸分の隙もないんです」
そう言われてしまえば、誰も何も言えない。集中して食べることができる。
へとへとになって、帰宅した。気疲れもあったかもしれない。耳が冷たくて痛い。
玄関を開けると、父がトイレから出て来た。
「はよ、ドアしめ! 凍えて死ぬがな!」
父は、朝と寸分違わぬ姿だった。
髪から股引まですべて白。能力名は『ホワイトファーザー』。そう勝手に名付けることにした。と、なると母の能力は『ダブルフライパン』か、それとも『ランチボックス』か。
「今日の夜ごはんは?」
と言いながら、リビングのテーブルを見ると、骨付きの鶏肉が並んでいた。
「やった!」と言いながら、スーツを脱いで、シャツ姿のまま食べる。
鶏肉の骨までバリバリと噛み砕いて食していると、父は「グオロやな」と言った。
「誰がや」
「犬のグオロそっくりや。机の下にいるグオロに、食べた骨をやると、わうわうわう言うて、お前そっくりに食べとった」
父は熱燗のトックリを傾けながら呟いた。
「仕事、結構長いこと続いとるな」
「ああ」
会話はそれで終わりだったが、父なりの僕への心配だろうか。
夕食は朝の騒々しさと違い、淡々と進む。母は能力を発動させていない。テレビ番組はどれもつまらないので、いつも動物のドキュメンタリー番組に落ち着く。
ちなみにグオロとは、田舎に住んでいた頃の父が飼っていた犬であり、ある日父が誤ってみずから車をぶつけて死なせてしまった、悲劇の犬の名である。我が家ではいつも鶏肉が出る度にその話題になる。
僕は大事にされている息子だが、死んだ犬でもある。
了
死んだ犬、白と黄色の能力者。 猿川西瓜 @cube3d
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