酔いも甘いも

とは

第1話 すいもあまいも。

 皆様こんにちは!

 冬野つぐみです。

 本日は、昼の木津きづ家からお送りしております。


 今日は、ある方をゲストにお呼びしております。

 その方とは……、じゃじゃん!

 井出いで明日人あすとさんです。

 この方は、私がお世話になっている組織『白日はくじつ』内において上級じょうきゅう発動者はつどうしゃという立場にある、かなりの実力者でもあります。

 そんな彼は今、リビングにて満面の笑みを浮かべ、台所にいる私に手を振ってくれていますね。


 どうして彼が木津家にいるのか?

 実は同じく大変にお世話になっている、うつぼ惟之これゆきさんのお誕生日がもうすぐなのです。

 少し前にそれを聞いた私は、誕生日プレゼントを贈ろうと計画を立てました。

 

 靭さんは今年、三十歳になる大人の男性です。

 それをふまえ私が考えたのは、お酒の入ったお菓子。

 チョコパウンドケーキに、ラム酒を入れたものを作ることにしました。


 ですが、私は未成年なので試食が出来ません。

 そこで井出さんに味見をしてもらい、合格を貰ったら靭さんに贈ろうと考えたのです。

 

 本当は、チョコが大好きな人出先生にお願いしようと思っていました。

 ところが、先生の所属先である三条さんじょうはこの夏休み期間中に、泊まり込みで研修が行われているのです。

 三条の所属であるヒイラギ君、シヤちゃん兄妹も今日から二日間は先生と一緒に白日が準備した施設にいます。

 靭さんの誕生日は八月十四日。

 諸々の準備もあり、三日前となる今日までに試食は完成しておきたかったのです。


 困った私の救世主となったのが、井出さんでした。

 彼はもう成人済み。

 事情を話すと、喜んで協力すると返事を貰えました。


 今日は、試食で汚れてもいい服装が必要である。

 その為に、ブラウンの半袖カットソーに黒のデニムパンツ姿で来たのだと、玄関先で得意げに彼は話してくれました。

 まず試食で、汚れるほどに食べるということはあり得ないのでは。

 そういったツッコミをする力すら、奪ってしまう可愛らしい行動と笑顔。

 なにせこのほわほわとしたタヌキ顔と雰囲気に加え、愛嬌のある整った顔立ちです。

 さぞかし仕事の所属先の四条しじょうでは、女性陣をキュンキュンとさせていることでしょう。


 試食のケーキですが、一応レシピ通りに作ってあるので問題はないはずです。

 焼きたては苦めになるということで、昨日のうちにケーキは作っておきました。

 食べやすくカットしたものを二つお皿に載せ、生クリームを添えれば完成です。


「わぁ。クリームも付いてるんだぁ! 豪華だね、幸せになれるね!」


 いつもの穏やかな口調と、こちらに向けてくれるその笑顔。

 二十歳を超えているとは思えない、少年と呼んでいい眩しさが今日もあふれています。


 彼の正面に座り、そっとお皿を差し出すとその目はきらきらと輝きだします。

 嬉しそうな姿に、私にもおもわず笑みがうかびますね。

 二人でしばし笑顔で見つめ合った後、彼はぱちんと両手を合わせました。


「いたーだきます! ねぇ、おかわりしてもいい? いっぱい食べたいんだぁ!」

「もちろんですよ。でもお酒が入っているので、程々にしておいた方がいいかもしれません」

「大丈夫っ! 僕ね、お酒も甘いのもどっちも大好きな二刀流だよ」

「そうでしたか、よかったです。では遠慮なく食べ……」


 私の言葉をさえぎるように、玄関のチャイムが鳴ります。


「すみません。ちょっと席を外しますね」


 着ていたエプロンを、部屋の隅にあるハンガーラックにかけると玄関へと向かいます。

 来客は、宅急便の方でした。

 荷物を受け取り、リビングに向かう私の耳に、井出さんの声が聞こえてきます。

 ですが、この家には私と彼の二人しかいません。

 電話でもしているのかな。

 そう考えながら入ったリビングでは、井出さんが一生懸命に話しかけていました。


 ……私のエプロンに。


「とても美味しいんだね! 苦みがある分はクリームがほわってさせてくれるんだぁ。さすがつぐみさんだよ! どうしたの? 返事してくれないけど、具合が悪いのかい?」


 心配そうに首をかしげていますが、むしろかしげたいのは私の方です。

 しばしその様子を確認し、私は結論を出しました。


『酔っぱらっている。しかも、かなり』


 確かに彼は、お酒も甘いものも好きなのかもしれません。

 ですが酔いに強いかと言われたら、そうではなかったようです。


「井出さん、大丈夫ですか?」


 私の問いかけに、不思議そうに彼は振り返ってきました。

 予想はしていましたが、その顔はほんのりと赤く染まっています。

 そして彼は、ただでさえ大きな目をさらに見開くと、こちらを指差し叫びました。


「つぐみさん、双子だったんだぁ! じゃあ二人目のきみは『つぐに』さんかい?」

「ちがいます。井出さん、とりあえずお水を飲みましょうか。それから……」

「うわぁ、すごいね。じゃあこれから三人でごはん食べに行こうよ! ね、ね、いいでしょ?」

 

 嬉しそうにへらりと笑顔を浮かべ、井出さんはこちらへとやって来ます。

 そうして、がばりと私を抱きしめてくるではないですか。


「ちょ、い、井出さん! 落ち着いて下さいっ!」

「んふふ~、つぐみさんと一緒の匂いがする。やっぱり双子だねぇ」

「いや。その理論、全く分かりませんから! どどどっ、どうしよう……」


 空いた両手をバタバタとさせながら困っていると、再びチャイムが鳴り響きます。


『冬野っ! あれぇ、いないのかー?』


 玄関からは、さとみちゃんの声が聞こえてきます。


「あ、さとみちゃんが帰ってきました! 井出さん、ちょっとごめんなさいっ!」


 ぐいっと彼を押し返すと、私は玄関へと駆け出しました。

 鍵を開けると、さとみちゃんが飛び込むように入ってきて鼻をくんくんとさせます。


『甘いがあるな! 食べたい!』

「いいですよ。お酒なしの私達用のケーキがありますから。一緒に食べましょうね」

「おかえり、さとみちゃん。僕は帰るね」


 後ろから、井出さんの声が聞こえてきました。

 振り返ると鞄を持った彼が、玄関へとやって来るのが見えます。


「あら、井出さん?」

「ごめんね。ちょっと本部に戻らなきゃいけなくなっちゃった……」


 スマホを掲げ、彼は私達を見つめてきました。

 いつもと違い、ずいぶんと低い声です。

 白日で何か、良くないことが起こったのでしょうか。


「ケーキ、とっても美味しかったよ。惟之さんはきっと喜ぶと思う。……それじゃあ、僕はここで失礼するね。皆によろしく」


 慌ただしく靴を履いて、彼は嵐のように去って行きました。

 玄関のピシャリと閉まる音。

 それと同時に私の頭に浮かぶのは、先程の出来事。


『あれぇ、冬野。どうしたんだ? そこでお休みはいけないぞ』


 さとみちゃんの声が聞こえる中、私は飲んでもいないお酒に酔ったかのように。

 顔を赤く染め、玄関先でしばらくの間、ぺたりと座り込んでしまったのでした。



◇◇◇◇◇



「……ちょっとやりすぎちゃったね」


 口元についていたクリームをぺろりと舐め、僕は木津家の玄関を振り返る。

 今頃、つぐみさんはさぞ慌てていることだろう。


 だってさ、惟之さんはずるいと思っちゃったんだもん。

 彼女にプレゼントを作ってあげようって思ってもらえたり、試食のケーキを僕に渡す時の『美味しいといいなぁ』って思っているちょっぴり心配している顔。

 僕にではない他の人に向けられたもの。

 どうしてもそれが気に入らなくって。


 思いをごまかすために、見上げた空の眩しさに目を閉じる。

 それなのに心に浮かぶのは、同じくらいの眩しさを持った彼女の笑顔。


 ――これは多分、恋とか愛という感情から来るものではない。


 そう、きっと僕はただ欲しいんだ。

 自分のことを思い、自分にだけ笑顔を向けてくれる存在が。


 最後にその感情を向けてもらえていたのは、いつだっただろう。

 ……もう、十年以上も前になるのか。


 それからの僕に与えられたのは。

 道具として、歯車としての役割を果たすことを義務付けられる使命だけ。

 それ以外は何も手にしない、手に出来ない自分。

 そんな寂しさが悲しさが。

 僕に酔った『ふり』をさせてしまった。


 緊急招集という文字が点滅しているスマホを眺め、鞄へとしまい込む。

 治療班である僕が呼ばれるということは、白日で誰かが傷ついたということ。

 ましてや上級治療発動者である自分が呼ばれるとなると、相当な案件なのだろう。

 誰も傷ついてほしくない。

 僕が動く場面なんて、ないほうがいいのに。


 でも、いつもならば歓迎せざるこの招集の電話も、今回だけは感謝すべきかもしれない。

 そうでなければ。

 あのまま家にいたら、僕は彼女に何をしていたか分からないから。


 じわりとせり上がってくるのは、うんざりする夏の暑さ。

 そして卑怯な行動に出た、自分に対する嫌悪感。

 それらを全部、心の奥に押し込むと僕は足早に木津家を後にするのだった。

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