20

 女は語った。

 はじまりの歴史は千年ほど前に遡る。

 この地は蝦夷と呼ばれる人々の暮らす土地だった。蝦夷は、山間のこの場所である植物を見つける。それはアサと呼ばれる植物で、衣服の繊維など多様に利用された。そのなかでも蝦夷たちが特に重視したのが、痛みを消す効用があること。彼らはこの植物から万病に効く霊薬を作り出し、神聖な植物として崇める。この薬はときに幻覚をみせ、蝦夷の人々に霊的な信仰をもたらすことにも成功した。霊薬を用いて神と繋がる原始的な宗教だ。純粋な信仰心。彼らは原始的な暮らしを送る、純真無垢で素朴な人間だった。

 そこへやってきたのが阿弥陀如来を信仰する浄土教徒たち。

 田澤の話で彼らは、元々いた蝦夷たちを滅ぼしたとあったが、女は違うと話す。浄土教徒らは、蝦夷らをみて、阿弥陀如来がこの地に遣わした化身だと考えたのだ。素朴で悪意を知らない純粋な人間性に仏の真髄をみたのだと。

 浄土教徒らは、阿弥陀如来の化身である蝦夷たちの住まう村を極楽浄土とし、極楽浄土を西方に置く、大空洞を修行と信仰の場として開拓していった。大空洞の内部に生活感がない作りなのは、本来宗教施設であり、生活の場は空洞の外に置かれていたことが原因らしい。

 蝦夷と浄土教徒らは、隣人として良好な関係を築いていたという。

 そして、この山奥にやってくる人間は他にもいた。それはならずものたちだ。社会で生きていけなくなった人間達が、この山奥まで逃げ延びて来ることが時折あったという。浄土教徒たちはそんな犯罪者たちを仏法によって導いた。犯罪者たちに罪を贖うための手段を示した。

 阿弥陀如来の化身である蝦夷たちに奉仕することで、自らの罪を償い、死後は極楽浄土へと生まれ変わる。その教えは時代とともにわずかに変化していき、外からやってきた犯罪者らのもたらした本地垂迹の考え方と交わる。

 蝦夷たち阿弥陀如来の化身はいつしか人間たちの本来の姿――本地であるとされ、下界で生きてきた罪を背負った犯罪者たちはあくまで仮の姿――権現であると考えられた。仮の姿である自分たちが幾ら罪に塗れ、汚れようとも、自分たちの本性である本地が清らかである限り、極楽浄土に生まれ変わることができる。犯罪者たちはこの信仰に基づき、蝦夷たちを崇め奉り、よりいっそう世話を行うようになった。

 その信仰はやがて過激になり、産まれたばかりの蝦夷の赤子を閉じ込め、外の知識を一切与えず、生まれたままの無垢を維持しようという考え方へ変わっていく。より深く、より清く。犯罪者たちの罪が深ければ深いほど、阿弥陀如来は清くあらねばならなかった。下界の知識、言葉や生きる為の習慣さえも穢れとみなされ、徹底的に排除された。

 ぼくがいたあの繭は、その蝦夷の赤子を閉じ込めておくためのもの。

 これが生き仏信仰の真実だ、と女は語った。しかし、話はそこで終わらない。

 十年前、この地に犯罪者の一団が訪れた。彼らは決してひとつの集団だったわけではなく、逃げるうちに偶然出会ってこの地に辿り着いた。

 暴力団幹部で抗争に負けて命を狙われていた西家都。

 議事堂爆破テロを主導した日本新生会の本田トモヨ。

 同じく日本新生会の思想的中核を担っていた山内キショウ。

 連続通り魔で指名手配されていたにも関わらず、顔も名前も割れていなかった斉藤カズキ。

 他にも数名の犯罪者たちが同時期にやってきた。このうち、本田トモヨは弓場祥子という偽名を名乗り、山内キショウは松丸聖と名乗っていた。素性も罪状もばらばらな彼らに共通していたのは、あくまでも一時的な隠れ家であり、いずれ戻ることを考えていたこと。ほとぼりが冷めたころに出て行こうとは誰もが考えていた。西家都が霊薬を見つけてしまうまでは。

 これまで誰もが原始的な生薬だとして気にも留めていなかった霊薬を、西家都はよく知っていた。彼女の所属していた暴力団は麻薬の違法な取引も行っていた。その葉を煙として吸引したり、樹脂を食べ物に練り込んだりして体内にいれると、幻覚を引き起こしや脳内で快楽物質を作り出す。麻薬とよばれる悪夢の薬。使用したときの強い快楽と、使用後の身体的苦痛により依存し、麻薬の仕様を壊れるまで繰り返す。アサは大麻と呼ばれる麻薬の原料だったのだ。

 西家都は自分が暴力団を乗っ取り返り咲くために、この地を麻薬の一大生産地とすることを考え、それに成功した。その結果が現在の状況だ。ぼくが畑でみた植物は見渡す限り、すべてがアサ。

 西家は自分の言うことを聞き、手足として動く従順な手下を求めた。アサの次に彼女が目を向けたのはこの地に根差す生き仏信仰だった。彼女はこれまでの信仰をまったく逆転させた。

 自分たちこそ生き仏の本地であり、生き仏を含む蝦夷の人間達は、自分たちに救いを与えるために存在する。西家のいう救い。これまで生き仏に対して行ってきた奉仕を、今度は生き仏が自分たちに奉仕を行うのだと説いた。生き仏は名前をそのままに、奴隷へと落とされた。

 奴隷とはなにか、というぼくの問いに彼女はこう答えた。

「人間としての誇りを取り上げられた、家畜以下の心ある道具よ」

 立場の差を産み出し、従わないものは麻薬漬けにして奴隷に落とす。反抗的な態度をとったものは片っ端から奴隷にされた。住人達も人間を支配する快感を覚えていったことも、生き仏の奴隷化に拍車をかけていった。彼女は自らを阿弥陀如来と称し、この地を極楽浄土として君臨した。

 彼女がここまで好き勝手出来たのには、もうひとつの理由がある。それは彼女と同じ時期に逃げ込んだ犯罪者、斉藤カズキが西家都側についてしまったことだ。彼は自他ともに認める殺人の天才で、人並み外れた感覚と運動神経を持っていた。例え銃を持っていたとしても、この山深くの森のなか。野生動物並みの鋭さと殺人の狂気を持ち合わせる彼に敵う人間はいなかった。

 彼女らがこの地にきて三年。大麻畑は広がり、西家の支配も盤石になった頃。

 西家は自分以外の支配者層を消しにかかった。西家都についた犯罪者や浄土教徒らにさらに階級差をいつけ、不要な者から次々に奴隷に落としていった。秘密を知る者は少ない方がいい。権力を握るのは自分ひとりでいい。

 西家は大麻より強力な麻薬を使って、支配を強めていった。西家は逃げ込んだときに芥子と呼ばれる植物を持ち込んでいた。それから造られる高純度のアヘンという麻薬は、一度で人間を破壊することができた。西家は芥子の栽培と製法を独占することで、神にも等しい存在へと変わって行ったのだ。

 そんな中、危機感を持つ人間もいた。表面的には西家都に従いつつも、水面下で反抗計画を練っていたのが、松丸聖を筆頭とする一派である。

 麻薬を嫌っていた松丸は、弓場の持ち込んだ爆薬で麻薬の製造拠点を西家ごと吹き飛ばす予定だった。西家の生活拠点であった阿弥陀堂を、彼女とその配下ごと。

 松丸はテロリストであったけれども、あくまで政治の腐敗を正すことを目的としていた。西家の行った人間を隷属するやり方も、麻薬を広げることも認めていなかった。むしろ彼の思想とは正反対にあったといってもいい。守るべき人民に苦痛をあたえる文明の病魔。彼の奴隷と麻薬への認識はそのようなものだった。

 松丸は阿弥陀堂で彼女に隷属させられている奴隷たちを解放するために、いくつかの脱出経路を作った。そのひとつがぼくの通ってきた水路。あれは空洞内の排水施設を利用したものであるらしい。

 女はその作戦で脱出した唯一の生き残り。西家都の権現として、虐げられてきた蝦夷の子供らのひとり。彼女以外は皆死んだ。この反抗作戦は西家側に漏れていたのだ。

 一緒に脱出するはずだった松丸は、後から追ってきた斉藤に殺された。松丸が斉藤を命がけで止めてくれたおかげで、なんとか生き延びることができたのだという。その後何日も森を彷徨った彼女は、麓に辿り着くことができ、偶然調査にやってきていた田澤の養子になった。

 反抗作戦は失敗したが、同時に麻薬の栽培地も大きく被害を受けることになる。それに加え、反抗勢力を排除したことで西家都は多くの奴隷を失うことになった。その結果、再び麻薬農園を安定させるまでに長い時間がかかることになった。

 こんな山中では衣食住を維持することにも労力がいる。西家が自ら労働したり、生活水準を落としたりすることに堪えられるはずがない。麻薬で奴隷に落としたものが使い物にならないことも問題だった。麻薬中毒者は重度になるほど、まともな判断や行動ができなくなる。西家が麻薬農園を復興させるのに七年かかった。

「黒江はねぇ、私より先に田澤の養子だったの。彼女は暴力団の抗争に巻き込まれて、両親を失い孤児になった。私と似ているなと思った。共感した。まるで生き写しじゃないかしら……彼女はきっと、私の外の世界における仮の姿なんだわ。私は自分が知っている方法を使って、彼女と私を、私と彼女を、私たちにした」

 彼女らと出会う前、田澤は大病を患った。そのとき、体の痛みに耐えかねて麻薬に手を出した。以来、彼は積極的に麻薬を利用するばかりか、自ら売りさばくようになった。田澤が異人郷伝説を追い掛け、この地に目を付けたのは、霊薬――麻薬が自生し、密かに国内で栽培できる安全な場所があるかもしれないと考えたからだ。

 黒江が言っていた『手立て』とは、この田澤の持っていた麻薬の密売経路のことだ。田澤のもつ裏社会との繋がりを餌とすることで、西家を釣り、同時に村へと潜入した自分たちを保護していたのだ。西家は麻薬農園を確立した今、返り咲くための足掛かりを必要としていた。それは長い耐乏を強いられた西家にとって喉から手が出る程欲しいものだったに違いない。

 そして、彼女が黒江に施した方法。田澤のもっている麻薬を使って、記憶と精神を支配した。彼女は自分の記憶を黒江に刷り込んだという。より完全に自分の権現とするために。

「私は西家都とは違うわ。だから、虐待なんてしていない。暴力なんて振るったこともない。私はね、黒江の憎悪に灯火を付けてあげた。私と黒江は繋がっている。私の望みが黒江のものなら、黒江の憎悪もまた私のもの。彼女は私の望みを叶え、私は彼女の望みを叶える。そういう風に、私は私たちになった。本地と権現も、本来そういう風な関係であるべきだったのよ」

 そして、最後に彼女が話し始めたのはぼくのこと。

「きみは松丸聖の権現とされた。村の支配者たちには、それぞれ本地に対する権現が決められていた。個別に奴隷がいたのよ。権現をどう扱うかは本地次第。あなたは暴力を受けることも、奉仕させられることもなかった。あなたひとりが無垢なまま、清いままでいられた」

「ぼくもこの土地で崇められていた生き仏のひとり……蝦夷の生き残りの子供だった、と」

「そうだ。きみはこの地に残る、最後の信仰の証。私たちが西家都から隠し通し、そこの女が引き継ぎ守った。きみこそが本物の、穢れなき無垢人。私たちの阿弥陀如来さま」

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