(16)

 悪夢を見ているようだ。余計なことを話し過ぎた。

 今後のことも考えて情報共有したツケがこんなにも早く回ってくるとは。私の方がまだ信用しきれていない段階だった。水面下で推理を進め、安全を確保するつもりだったのに。もうここまで来てしまったら、彼の暴走を止める手立てはない。ここで口を塞いでしまうことほど、不自然なこともない。自ら犯人だと名乗り出るようなもの。本物の犯人から冤罪を逆手に殺されかねない。

「田澤さんを殺した裏切り者はあなただ、国見さん」

 松丸聖が自信たっぷりに糾弾する。私の警告は徒労に終わったらしい。

「動かぬ証拠があなたの部屋にある。いや、あったんだ。田澤さんの皮膚にやけどを負わせられるものが。切り抜かれた床……白い石でできた隠し扉だ。その素材は水を加えると熱を出す。

 村と通じていたあなたは、宴のあとでも動くことができた。ぼくらは皆、毒入りの肉を食べさせられた。けれど、あなただけは西家都の指示で毒の入っていない肉を口にした。選択権はぼくらになく、村人たちが自由に毒入りか否かを選んで食べさせることができた。あなたは昨晩、ひとりだけ先に阿弥陀堂へ行っていた。その時に田澤さんを殺すことを示し合わせた。ぼくらを騙すことも、自分だけ毒を食べないことも。

 あなたは昏倒した田澤さんを外に運び出して撃ち殺したあと、石を使って上半身を火傷させた。火傷は水ぶくれとなって膨らみ、気温が下がったことで凍り付き破裂した。水ぶくれの中に入っていた体液が氷ったことでさらに膨らみ、皮膚が持ちこたえられなくなったんだ。結果、皮膚がめくれて、田澤さんの遺体はあの有様になった。あとは部屋に戻って穴を隠し、体調が悪いふりでもしていればいい。穴さえみつからなければ、犯人にされることはない」

 聖は勢いに任せて、田澤殺害の経緯を喋る。なによりも決定的な証拠、酸化カルシウム――生石灰を使った隠し扉の存在。その隠し扉がなくなっていることが判明したおかげで、国見が田澤殺しの犯人であることは間違いなくなった。隠し扉が生石灰なのは、この土地が石灰質で豊富に採掘できること。加えて、風景に溶け込ませることができること、水さえあれば簡単に破壊できることが挙げられる。

 遺体の損壊の方法と実行犯は明らかになった。しかし、まだ全てを解き明かすにはいくつもの穴がある。彼はそのことに気が付いていないどころか、誤解をしている。

「その話は本当なのか?」

「ええ、今ぼくの部屋で隠し扉が見つかりました。下には水路が繋がっていて、国見さんの部屋に開いた穴から光が漏れているところも確認しました。おそらく、ほかの部屋にも同じものが」

 那智が大慌てで自分の部屋に引き返し、扉を探し始めた。

「ほ、ほんとうにあったぞ」

 その声を聞き、山素が顔を赤くして体を震わせる。おそらく怒りを感じているのだろう。被害者の会でもっとも恨みが深かったのが山素だ。彼はとある殺人鬼に妻子を奪われている。もちろん、演技でなければの話だが。

「なんでじゃ、なんで田澤先生を殺す必要がある? あんたと田澤先生は昔からの知り合いで、恩師のはずだろうがッ……恩を仇で返すどころか、あんたわしら全員を殺すつもりかッ! わしらを騙しとったんかッ」

「……そりゃ罪悪感はありますよ。田澤先生は知り合いだし、なおさら。おれだって人を殺したのは初めてだ。でもね、ここには人を殺すためにやってきたんですよ」

 国見は扉越しに言葉を漏らす。私としても、彼とは短い付き合いではない。全面的な信頼はないが、裏切り者としての可能性は低いと踏んでいた。もし彼が裏切り者なら、数年間かけて被害者の会に潜入していたことになる。有り得なくはないが、その間にひとつも襤褸を出さないことは難しいだろう。

「おれは姉さんを誘拐した野郎を許さない。なにがあってもあいつだけは殺さなきゃいけなかった。でも、この村の状況はどうだ? おれたちが太刀打ちできる状況か? 自分の標的を探すこともままならないじゃないか。おれたちが聞いていたのは犯罪者たちが、山奥に潜んで、野生児みたいな生活をしているってことだ。手作りのあばら家に住んで、自給自足している逃亡者らしい生活だ。それがどうだ、この有様は? 変な宗教団体の根城じゃないか。奴らはおれたちを容易く殺せるだけじゃない。洗脳して、操ることも意のままにできるだろうさ」

 この村の歴史的な背景を知っていても、山奥の生活と聞いて想像するのは、原始的な狩猟採集の生活だ。労働力も資材もなく、生活することが精一杯。病気や天災に対抗する術もない。その認識はおそらく間違っていない。だからこそ、この村をみれば怖れを抱かずにいられない。持ち込んだ拳銃が頼りなく思えたことだろう。

 ひとえに、この村が単純な犯罪者たちの根城でなかったことが原因だ。確かにこの村は犯罪者たちの駆け込み寺だった。事実として寺だったのだ。この場所は何百年間もの間、僧侶たちの住む寺院としてあった。技術は僧侶たちによって受け継がれ、時に独自の進化を遂げて、この村の秘密を守り続けて来た。

 ほんの10年前、西家都が支配するまでは。現在の村は、その残滓を食いつぶしているだけに過ぎない。だから、いつかは国見の言うような原始的な生活になるだろう。だが、それは今じゃない。

「簡単な取引だ。ひとり差し出す代わりに、こちらもひとり消す。そう言う取り決めだ」

「馬鹿な、犯罪者の口車にのったのか?」

「じゃあどうする? 銃で脅してみるか? あいつらだって武器を持っているだろう。あの人数でかかられたら、相手がこん棒でも太刀打ちできない。それに対しておれたちの持っている弾は何発だ? おれたちは標的以外を殺す予定はなかった。できるだけ殺さないことを考えてしまった。甘かったんだよ、なにもかも」

 山素はなにも言い返せなかった。それもそうだろう。彼の標的はまだ姿を見せていない。どこにいるかもわからないのだ。それにあれほどの人数を見せられてはぐらつく。被害者の会は犯罪者の集団ではない。兵士でもない。可能な限り人を殺したくないと考えるのが人情だ。

 加えて、裏切り者がおり、大学の調査という偽装ははじめから無駄になっていたわけだ。国見でなくとも取引しようと考える。交渉が通じる相手なら、という話だが。

 ただ疑問が残る。だれでもいいから殺せ、というのは西家都の思惑からはずれるのではないか。西家都は裏切り者を通じて、こちらの持つ外とのパイプを望んでいるはず。誰でもいいから殺せ、とはならない。村人側も一枚岩ではない。松丸聖が無知だったことにもその辺の事情が絡んでいそうだ。

「水をかけて熱を発する白い石、こいつは生石灰だ。これなら、消えた銃弾の弾頭にも説明がつく。水場が多いここなら、撃った後の弾丸を証拠も残さずに消してしまえる。弾をすり替えたとしても、猟師のおれは怪我で動けなかったし、山素さんは銃なんか持ったこともなかった。気付けるわけがない。国見さん、あんたならいつでもすり替えるチャンスはあったはずだ」

 那智が戻ってきた。隠し扉のことを確かめていたらしい。手が濡れているから、わざわざ水路まで調べたのだろう。

 最悪の指摘だ。私は後手に隠し持った拳銃の安全装置を解除する。撃つべきかためらう。一発で仕留めるなら、だれが最適なのか迷う。まだ潜んでいる裏切り者が誰かのか割れていない。

「おれが裏切り者だっていいたいのか?」

「事実そうじゃないか。消える銃弾の仕掛けと、遺体損壊の仕掛けが同じだ。どちらも可能な人間はあなたしかいない、国見さん」

 聖が声を上げる。彼の主張の根拠は貧弱で、手口が同じだと言っているに過ぎない。遺体損壊の理由を説明していない。それに先ほどまでの国見の話を聞いていなかったのか。国見の言い分を呑むなら、彼はこの村に到着したあとに村側の誰かと取引をしたことになる。はじめから潜んでいた裏切り者とはわけが違う。

 おそらく国見は被害者の会に潜む裏切り者に罪をなすりつけようとしたのだ。生石灰を使った遺体の損壊は、拳銃による接近射撃の痕跡を隠すため。肌に付着した火薬の痕を消す目的があったはずだ。猟銃による射殺の可能性を匂わせ、生石灰をあえて利用することで同一犯だと思わせたかった。しかし、それが仇になった。

 最初から西家都の意向で動いている裏切り者と、国見とは行動原理が異なる。もうひとり。もうひとりの敵はだれだ。国見が排除された今、二択になった。山素か、那智か。一発でふたりを仕留めることはできない。銃口は私の陰で敵意に迷う。

「なにを言っても信じないと思うが、銃弾をすり替えたのはおれじゃない。被害者の会で裏切っていたのはおれの他にいる」

「あなた以外に誰がいると?」

「田澤先生だよ」

 聖の問い掛けに、国見は予想外の答えを返した。

「今まで黙っていたけど、田澤先生はな、あっち側のひとなんだよ。善人面しているけどな、裏で汚いことに手を染めていたのさ。だから、殺すこともできたんだ。この村に流れ着いた犯罪者たちと知り合いでも何の不思議もない」

「なにを言うんだ。田澤さんがお子さん殺されたのは誰でも知っとることだ」

「別に被害者が善良な市民に限られるなんて決まりはないだろ。おれはな、あの人が大学で生徒相手にしている場面を何度もみた。気力を回復させる漢方だなんだってな。あのひとが吸っているのは煙草じゃない。おれたちが無知なのをいいことに、人前で大麻を吸うようなやつだ。教育者の立場を利用して、生徒を売人に仕立てることもあったみたいだしな」

 国見が田澤のもつパイプの情報を暴露する。

 私は判断を誤った。多少強引でも、国見の口を封じればよかった。ヤツが犯人だとわかった時点で、糾弾を挟まず撃つべきだった。

 裏切り者に手の内がばれた。私たちに生かしておく価値がないことがばれた。伏せて置いたカードが、私のもつ『手立て』が失われた。

「そうだったのか」

 誰かが呟いた。

 その瞬間、灯籠が撃ち抜かれた。複数あった灯りが弾け、室内が暗闇に落ちる。前後どちらから敵が迫っているのかもはっきりしない。複数の足音がする。

 隠れて監視されていたのだ。西家都は私たちを一気に殺すつもりだ。

 暗闇に落ちる寸前で、私はなんとか聖の手首を掴んだ。

 まだだ。こんなところで終わるわけにはいかない。私は聖を引き寄せ、暗がりに向かって拳銃を乱射した。いくつかの悲鳴が聞こえ、何度かフラッシュが瞬いた。私の耳が弾け、衝撃波で耳鳴りが襲う。温かな血の感触を確かめる暇はない。脳味噌がぶちまけられていないなら十分だ。

 姿勢を低く保ち、あえて廊下を前進する。扉に思いっきり体当たりして突き破る。金具は漆喰に緩く固定されていただけ。簡単に突き破れそうなことは確認していた。村側が簡単に私たちを襲えるようにするための配慮だ。いまはそれが、私を有利にする。

 足元には国見らしき影。すでに流れ弾に撃ち抜かれているらしい。

「穴に飛び込めッ」

 私は聖を蹴り落す。この時期なら水位が下がっている。低体温で死ぬことはあっても、呼吸できずに死ぬことはないはずだ。ここで撃たれて死ぬか。自分の体がもつ方に賭けるか。答えは明白だ。

 国見の体を盾にして、何発かの銃弾をやり過ごす。

 聖の頭が消えたことを確認して、私も穴に飛び込む。

 止まってくれるなよ、私の心臓。

 大丈夫だ。7年前は成功した脱出方法なのだから。

 私は胸を叩いて、凍える冷たさの水流に身を任せた。

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