15

 宿泊所に戻ると、みなで遺体の検分を終わらせたところだった。

 山素や国見は反対していたようだが、他に重要な手がかりも見つかっていないためにやむなしといったところだったのだろう。証拠の処分を防ぐため、複数人の立ち合いの元行われた解剖。折り畳みの小刀を手にした黒江が解剖役を買って出たようだ。

 遺体は田澤の部屋に運ばれ、その場で切り開かれたらしい。白い床には切り取られた肉片や、解凍され流れ出した血液で赤く染め上げられていた。狭い室内は灯籠の薄煙と血の匂いが充満する。ぼくは食べたばかりの林檎を吐き戻さないよう、やっとのことで喉を抑えた。

「散歩はもういいの? なにか収穫はあったかしら」

 手を血で染めた黒江がこちらをみて、皮肉っぽくなじる。

「いいや、特には」

 阿弥陀様こと、少女の西家都に会ったことは言わない方がいいだろう。

「呑気なもんだな。お前、状況は理解しているのか? それとも、村の連中からおれらを殺すよう指示でももらってきたか?」

「田澤さんを殺したのはぼくじゃない」

 国見に食ってかかられ、ひるみながらも視線で反抗する。ぼくはこの人たちのなかにいる裏切り者をみつけなきゃいけない。弱気に押されて、殺人者のいいようにされてたまるか。

「その辺にしておきましょう。ちょうど全員が揃ったところで、死体から得られた情報を改めて整理しましょう」

 上着の裾で血を拭う彼女。五指の指先を合わせる、独特な仕草で思考を整理している。

「田澤先生を襲った銃弾は正面の胸、胸骨のやや左から侵入し、背中側に抜けたようです。撃ち込まれた銃弾は胸骨と、そこから繋がる肋骨を巻き込んで破砕した。侵入孔が乱れていたのは、骨の破片が散らばり、胸がわずかばかり陥没していたことが影響していたようです。

 また、上半身は広い範囲で皮膚が剥がれています。単に切り裂かれて剥がされたわけではなく、何らかの薬剤で溶かされたようにも、火傷でただれたようにも見えます。皮膚は剥がれたというより、焼けただれてずり落ちた、という方がしっくりきます。腐りかけの熟れ過ぎた果物のように。発見時には、その皮膚が外気で凍っていたものと思われます」

 黒江が遺体の状況を、あまり気持ちの良くない感想も交えて詳しく説明する。

「銃弾は高速で撃ち出される。ライフルは秒速1000メートルに達することもある。物にぶつかった銃弾は一直線に抜けていくわけじゃない。銃弾のエネルギーはぶつかった地点から放射状に拡散する。ここを見てくれ。胸にぶつかったあと、肺と心臓を巻き込む大きな範囲をぐちゃぐちゃに破壊している。この銃弾はかなりのエネルギーを保持したままぶつかったんだ」

 黒江の所見を、那智が銃の知識で補う。

「ライフル銃で撃たれたのか。拳銃だとするなら、威力が減衰しない近い距離から撃たれたものだろう」

「けども、正面から撃たれたんだろ。そんな近くでど真ん中を撃ち抜けるもんか? ふつう逃げたり、避けたりするんじゃねぇのか」

 山素が青い顔に汗を浮かべていう。耳ざわりな呼吸を喉からこぼし、かなり苦しそうだ。切り開かれた死体をみたこと以上に、違う理由で体調が悪そうだ。

「銃で撃たれたのは致命傷である胸の一発のみ。そのほかに深い傷はありません。体の動きを阻害するような損傷はなかった。抵抗した傷があったのかは不明です。なにせ、体の表面はご覧の有様ですから、縛られて無抵抗のうちに撃たれたのか、油断したところを不意打ちで撃たれたのか、遠距離から狙い打たれたのか。いずれにしても、田澤先生をこの部屋から外出させる必要があります。誘い出したか、運び出したかの二択になりますが」

「誘い出して撃つにも、運び出して撃つにも、準備が必要だ。おれたちは誰も銃声を聞いてない。犯人はおれたちが目覚めるより、相当はやい時間に動けたことになる。やはり、ひとりだけ薬を盛られていなかったに違いない。田澤先生を殺したのは、どうあっても村人と通じている必要がある」

「やっぱり、裏切り者が犯人か。そんなら蔵を開けて、猟銃を使うのも自由だしな」

 国見の出した結論に山素も同意する。やはり裏切り者か。それに関してはぼくも疑いようがないと思っていた。しかし、ただひとり、黒江だけは異議を唱えた。

「裏切り者と田澤先生の殺害。それらはあくまで独立した事象であって、裏切り者が田澤先生を殺したとは思いません。ふたつの事柄を混同すべきではないと考えます」

「裏切り者じゃないなら、なんなんだ。おれたちの目的は一致しているだろ。そんな中で裏切り者のほかに、もう一人殺人鬼が偶然紛れ込んだとでもいうのかよ?」

「そうではありませんが……なにか、村側と利害の一致をみた人物がいるのではないか、と」

「何じゃそりゃ。この土壇場にきて旗色が悪うなったから、裏切って犯罪者どもにつこうって腹のやつが、裏切りもんがもうひとりおるっちゅうんかッ」

 山素が黒江に食ってかかる。彼の言う通りだ。想定された裏切り者と殺人者が別だとすると、ぼくも含めた5人中2人が敵だということになる。一触即発どころではない。人数が拮抗している。その場で殺し合いが始まってもおかしくない。

「私たちも一枚岩ではありません。あくまで利害の一致ですから。より有利な条件に鞍替えするのは当たり前のことです。私の言う通りだとするなら、犯人当てはとても危険です。私はここまでで推理の中断を提案します。犯人を見つけた所で、どうするべきかも決まっていません。隔離する術もありませんし、処刑でもしようものなら反撃で血を見るのは明らか。ならば、いっそ明らかにせぬ方がいい」

 彼女は自分の身の安全を確信している。ここで誰かが殺されるのは理に反すると考えているのだ。それは彼女がぼくに話した、村側にも利益のある『手立て』があるからだろう。『手立て』というのが何なのかわからないけれど、それが通じる相手なのだろうか。誰もが利害のみで動くわけではない。この異常な状況下で、いつまで理性的でいられるかも。事実、田澤は殺されたのだ。これ以上に重要なことはない。

「人殺しを放っておくのか? それには反対だ」

 那智が反対すると、山素もそれに倣い同意した。

「とはいえ、推理しようにも決め手がないのも確かだ。裏切り者が殺人犯だったとして、猟銃の銃弾をすり替えた人間も絞れないし、解剖でも犯人に繋がる証拠が得られたわけでもない」

 国見ははっきりと否定するでも、支持するでもない中庸な意見を述べる。感情面は別にしても、確かに犯人に迫る証拠はないように思う。黒江には、まだ隠した情報があるだろうけれど、表面的には見えてくるものはない。

 結局、その場は再び解散となる。皆一緒に居て疑心暗鬼になるよりは、と自分の部屋に引き上げた。那智は山素の隣、入り口から六番目の部屋を使うことになった。

 ぼくも部屋に戻り、自ら頭の中で状況を整理する。

 田澤を殺害するには、昨晩の夜更けに行動できたことが不可欠である。その限りにおいて、村側と通じて、一人だけ毒を盛られなかった人間がいたことになる。

 あの儀式の場でそれが出来た人間はいるだろうか。あの時食べた肉に毒が混じっていたとすると、どうだろうか。ぼく、国見、山素の三人は無理矢理食べさせられた。村側が毒か否かを選択することは十分にできた。自ら食べた黒江、田澤は言うに及ばず。あらかじめ、どれが毒で、どれが毒でないか見分けがつけばなんとでもなる。村側の協力があれば、だれにでも可能だったということだ。

 黒江は頑なに田澤殺人犯と消える銃弾の裏切り者が別だと考えている。いままで殺さなかったのに、田澤だけを殺してしまったことに納得がいっていないのだろう。しかし、それに関しては彼女自身も可能性の一つとして挙げた禁忌への接触が考えられる。というより、それしかないとすら思う。

 『みずのいくところ』と少女はいった。水の行先、水路の繋がる先に、田澤が指摘した『西』への手掛かりがある。あるいは目的地があるのだ。田澤はそれを偶然見つけてしまったのではないだろうか。それが村の人間にばれて、口封じのために消された。ぼくらがまだ生きているのは、黒江のいうところの『手立て』のおかげだろう。なぜ黒江が納得しないのかわからないが、筋は通っているように思える。

 もしかして、と脳をよぎる疑い。

 彼女が推理や犯人の断定を避けるのは、彼女自身がもっとも怪しいからではないだろうか。

 考えてみれば、彼女はやたらと強気な態度であったり、村の内情に精通している風だった。ほかの同行者にも隠した作戦があることも疑わしい。彼女は隠し事が多すぎる。それにぼくを松丸聖だと呼び、断定したのは彼女ではなかったか。彼女がぼくを松丸聖だと決めつけなければ、ぼくは松丸聖ではなかったのだ。

 ぼくの現在の立場や状況は、黒江純によって造られたもの。

 それがねつ造でないと、どうしていえる?

 黒江純は一体なにものなんだ?

 ぼくは隣の部屋に視線を向けた。そこにいるであろう彼女に、色濃い疑いの眼差しを。

 そっと壁に近づき、耳を押し当てる。なにか聞こえやしないかと息を潜める。瞼を閉じて、鼓膜に流れ込む振動にのみ集中する。自分の鼓動を無視して、意識を研ぎ澄ます。すると、少しずつ聞こえてくるものがある。空間に反響するような音だ。滴り落ちる、水滴のような。小さな小川のせせらぎにも似た。

『みずのいくところをさがすといいわ』

 少女の言葉が蘇ってきた。しかし、この音が聞こえてくるのは――。

「なにをしているの?」

「うわッ」

 驚いて壁から離れる。腕を組んだ黒江が扉にもたれかかっている。いつの間に現れたのだ。

「なに?」

「い、いや。なんでも……そ、それより、音が聞こえるんだ」

 さっきまでの疑いを悟らせないようにするため、さきほど耳にしたある音に話題を振る。

「音? どんな?」

「たぶん、床下から聞こえてくる。この裏に厠があるのは知っているけど、その水音とはまた違う。反響するような音が聞こえるんだ。どこかに空洞があるのかも」

 今度は床に耳をつけて、意識を研ぎ澄ませる。

 先ほどよりもはっきりとした音が聞こえる。水の流れと共に、なにか物音がする。遠くで転がるような、衣擦れのような。少なくとも、この床の真下に水路がある。

「なにか、聞こえる?」

 黒江の質問を制して耳を澄ませる。しばらくそのままの姿勢でいると、今度は明確に人の話し声が聞こえてきた。

「だれかの話声がする」

「そう……こんな所にもあったのね。どきなさい」

 彼女はぼくの肩を押してどける。床の隙間を探るように、取り出した折り畳みの小刀で突き刺していく。すると、つなぎ目もないと思われた場所に、深々と刃が突き刺さる。そのまま横に刃を動かしていく。石だと思っていた床に、四角く切れ込みが入るではないか。人ひとりが正座する程度の幅に付けられた切れ込み。彼女は隙間に小刀を差し込んで、慎重に床を剥がしていく。

 床に四角い抜け穴が現れ、水の流れる水路が顔を出した。ぼくの手首から肘ぐらいのまでの隙間を開けて水面がある。水路は想像以上に深く、そのまま地下水脈に繋がっているようにみえる。暗くて底までは見通せないが、水路には両手を広げられるぐらいの幅がある。覗き込むと、厠の穴らしき光がみえる。さらに視界を巡らすと、もうひとつ光の漏れる穴がある。その穴の向こうからは国見の声が聞こえてきた。

「大丈夫、大丈夫だ……やっと、やっとだ。あのひとは悪人だった。悪人だったんだ……」

 聞き取りにくいが、何事かを呟いているようだ。

「これは、一体?」

「声を落としなさい。私たちの声はあちらにも聞こえる」

 黒江が耳元で囁く。

 彼女は水路に手を突っ込み、指先を濡らす。滴る雫を、切り取った床石に垂らす。水を受けた白い石は蒸気をあげ、ぼろりと表面を崩した。

「水面に向いている方はビニルで防水してあるけれど、床側は酸化カルシウムでできている。水を掛ければ、熱を発して崩れる。この床は抜け道なのよ。この村のあちこちにある、脱出用水路のひとつ。この村が攻められたときに、逃げ出せるように。ほとんど塞がれたと思っていたけれど、まだ残っていたものがあったのね」

 ぼくは呆気に取られて、目の前の現象をみつめている。

 思い出していたのは銃弾が消えたときの現場だ。あのとき、水面から湯気が上がっていなかったか?

 池に流れる水は凍えるほど冷たい。間違っても湯気なんか上がらない。しかし、目の前で白い煙を上げて崩れる石はなんだ。しかも、湯気からはかなりの熱を感じる。

 阿弥陀様を撃った猟銃の弾丸はどこからも見つからなかった。

 田澤の体の表面は火傷でも受けたかのようにただれていた。ぼく自身は火傷をしたことはない。だが、火傷をすると水ぶくれになると教えられた。皮が体から染み出した液体で満たされて膨らむのだ。そして、これもまた教わったことがある。水は氷ると大きくなる。体液で満たされた袋は、中の水分が氷ったことで大きくなり、破裂したのではないか?

 そして、あの儀式の晩。国見はひとりだけ、先に阿弥陀堂へ行っていた。あのとき、彼はなにをしていたのか。西家都や村人と、打ち合わせをしていたのではないか?

 思い付きが、記憶の中でただの置物と化していた知識と結びつき、思考が加速する。

 そして、穴は。この穴がもうひとつ開いているのは。

「いい? このことはほかの誰にも言っては――」

 ぼくは黒江の声も聞かずに部屋を飛び出した。国見の部屋の扉を乱暴に叩きつける。何事かと物音を聞きつけた山素と那智も顔をだす。黒江が慌てたようにこちらへ駆けてくる姿が視界の端に映ったがもう遅い。何を言われようとも止める気はない。

 部屋の中で物音がする。おそらく穴を隠しているのだろう。そんなことをしても無駄だ。

 ぼくは国見が扉を開けるのを待たずに、言い放った。言ってやった。

「田澤さんを殺した裏切り者はあなただ、国見さん」

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