14

 黒江と別れ、そのまま戻らずひとりで行動することにした。田澤を殺した人間がいるかも知れないのに、なんの武器もなく戻って行くことはできない。黒江の話で分かったのは、内も外も危険な人間だらけだということぐらい。その矛先がいつこちらに向くとも限らない。誰も信用できないなら、かえって一人の方が安全だ。

 付き人の監視がない今なら、村人の視線を逃れつつ空洞内を調べることが出来る。ぼくは自分を生かすために、自ら行動しなくてはならない。ぼくの身を守るためにも田澤を殺した犯人を見つけ出すのだ。

 そうは意気込んだものの、ぼくの持つ手掛かりは少ない。死体をみて何らかの手掛かりを得るためのやり方や知識もない。唯一考えられるとすれば、彼女も示した通り、田澤が殺された理由を考えることぐらいだ。

 思い出したのは、田澤が話して聞かせたこと。かつて聖域と呼ばれたこの地にある『なにか』。そして、彼の明かした掟から読み取れる『西』という符号。

 田澤の死は村の秘密に近づきすぎ、口封じのために殺されたと考えることが自然にではないだろうか。村には犯罪者の隠れ家である以上の秘密があるに違いない。田澤がぼくに話したことは、ぼくが村の人間かもしれないと疑ってのことだとすれば、やはり彼はその秘密を探っていたのだ。手掛かりを得ようとして、ぼくは話し相手に選ばれたのだ。

 村の人間たちが犯罪者で、最後にはぼくらを殺してしまうつもりなら、秘密に辿り着くことは武器になるか。逆に彼らに脅しをかけ、身の安全を約束させられるかもしれない。

 危険な賭けだ。でも、自ら死地に飛び込まねば活路はみえない。

 ぼくは建物の陰を伝って、空洞内を西に移動する。

 大空洞は阿弥陀堂を中心に、入り口を南、果樹の生えた場所が北となっている。ぼくらの泊まる建物が阿弥陀堂からみて東に位置しているので、ちょうど反対の壁際に向かって歩く。全体が東西に延びた楕円の大空洞は、一周をぐるりと歩いてまわっても一時とかからない。高低差があるけれど、調べて回るのに骨が折れるというほどではない。

 おおよそ真西と思われるあたりを壁際に沿って歩く。なにか隠し通路や、隠し部屋があるかもしれないと目を凝らすが、継ぎ目ひとつ見当たらない。付近に建てられた家屋に忍び込んで調べてみたけれど、おかしなところはなかった。なにがあるわけでもなく、ほかの家屋と違いはみられない。地面になにかとも考えたが、硬くて白い石の大地。結局、空洞の西側ではなにもみつけられなかった。

 本当のところ阿弥陀堂が一番怪しいのだが、犯罪者の根城に踏み込んでいく勇気はない。阿弥陀堂までは橋を渡る一本道。忍び込むことは難しい。それこそ、すぐに見つかって殺されてしまうかも。

 ほかに調べられそうな場所といえば果樹園ぐらい。あそこだけが白い空洞内で、唯一の緑の生えた土地だ。椿という樹の花が咲いているらしく、池に流れて来る花びらを辿っていく。果樹園は空洞内でも高い位置にあり、果樹園から池に向かって水は流れ落ちている。

 果樹園内は土の地面が水路で区切られ、樹木は人の手による管理が行き届いていた。それほど広いものでもなく、一息で歩き回れる土地に様々な種類の樹木が植えてあった。水源を探してみるとおもしろいことに、水路の水は外から流れ込んでいるものではなかった。何段階にも分けて、阿弥陀堂の淵に繋がっている地下水をくみ上げているらしいのだ。ぼくの足首ぐらいの太さの管を伝って果樹園へ水が送られていた。

 水源を追い掛けて疑問が湧く。水源は地下水だった。果樹園から流れてきて、それぞれの池へと行き渡った水は何処に消えているのだろうか。淵に流れ込んでいる様子はなかった。それらしい排水溝も見当たらない。風景の美しさを損ねるから見えないようになっているのか。一面白で塗り固められているから、穴ひとつ探すのも容易ではない。

 樹木のなかに、鮮やかな夕焼けの色をした実をつけたものがある。そう言えば昨日よくわからない肉を食べさせられてから、なにも食べていない。腹に穴が空いたかと思うぐらいの空腹が襲ってきた。ひとつぐらい採っても構わないだろう。

 たぶんこれが林檎というヤツだ。食べるのは初めてだけど、絵では見たことある。食べ方も味の表現も知っている。瑞々しい酸味と果汁の爽やかな甘みだ。そういう風に表現するのだと教わった気がする。

 濡れていない土の地面に横たわって、皮のまま林檎を頬張る。

 外に出てはじめてのゆっくりとした時間。

 こんなはずじゃなかった。ぼくはぼくのことを知るために外に出た。はじめて目にする外が教えられた知識との落差を感じずにはいられない。もちろん、耳ざわりのいい事ばかりを教えられてきたわけじゃない。彼らとのつながりは、言葉と文字と絵だけ。そこには肌を刺すような敵意も、死が寄り添うような動悸は含まれていなかった。

 ぼくはなにも知らず、なにかを知っているだけだった。

 形ばかりの知識をあらんかぎり吸い込んで、林檎の味を知らなかった。瑞々しい酸味と爽やかな甘みはぼくの言葉じゃない。言葉は常に借り物の、実体のない影だった。今のぼくはその影に少しずつ肉付けをしていく。

 ぼくは疑っていた。自分の生も影なのではないか、と。

 肉体の経験を通して、知識が実体を持っていく。ほんの二日で何度も死が頬をかすったけれど、その度に生の実感を味わっていたんだ。そいつは、言葉だけの瑞々しい酸味と爽やかな甘みより、はるかに刺激的な味わいだった。

 物思いと生に触れた感慨にふけっていると、背後から土を踏む足音が聞こえた。

 振り向くと白い着物の少女、阿弥陀様が木陰からこちらを覗いていた。

「みつかっちゃった。みやこにはいわないで」

 彼女は悪戯っぽく笑うと、こちらにやってきた。ぼくはにわかに体を緊張させ、身構えた。少女といっても、犯罪者たちの仲間だ。

「いまね、かってにへやをでてきたの。たいくつなのよ。ほんとうはおどうから出てはいけないから」

 彼女は隣に腰をおろすと、ぼくの手にあった林檎に口を近づけ、ひと齧りする。

「ごめんなさい、勝手にとって。お腹が減っていたんだ」

「どうしてあやまるの? わたしはいつもすきに食べているのよ。それより、おなまえをおしえて」

 彼女は唇から垂れた汁を気にした様子もなく、無邪気に笑いかけてくる。村に対して警戒心を抱くぼくとしては、例え子供でも裏を疑わずにはいられない。

「どうかな。自分がだれかわからないんだ。呼ばれる名前はあるけれど、それが自分のものだとは思えないし……だから、名前はないよ」

「ふぅん。わたしはみやこっていうの。さいけみやこ、よ。あみださまより、みやこって呼ばれるほうがうれしい」

「みやこ? それって、あの西家都と同じだ」

 彼女は別にぼくを揶揄っているわけではなさそうだ。みやこと名乗る少女は、こちらに対してちらとも疑いを抱いていないようで、ふた口目を齧ろうと手を伸ばす。阿弥陀様として振舞っている時の、神秘的な雰囲気は感じない。年相応の幼い少女のままで接してきている。

「そうよ。ここではふつうのことよ。あみださまのみやこもさいけみやこ。あんしゅのみやこもさいけみやこ。ほかにもなんにんかいるわ。まぎらわしいから、みんなあみださまとか、あんしゅとか、やくわりで呼ぶの」

「変な感じだ。でも、弓場さんは西家都じゃないんだよね。ほかの名前を持っているひともいるわけでしょ。どうして西家都だけ沢山いるの?」

「ううん。さいけみやこはひとりだけだよ。あとはね、みんな、さいけみやこのなの。えぇっとね……あんしゅのみやこがで、わたしはあのひとの。みやこはあみだにょらいがこの地におりたったすがただから、わたしはあみだにょらいのけしん、なの」

 彼女は指さしをしながら、聞きかじった内容を一生懸命に話す。

 『ほんぢ』と『ごんげん』の関係はよくわからないが、少女は化身として阿弥陀様をやっている。そして、本体である阿弥陀如来は大人の西家都だということか。だとするなら、生き仏はこの少女の方ではなく、庵主である西家都の方か。

「その、『ほんぢ』と『ごんげん』はなにが違うの?」

「ごんげんはほんぢのかりのすがた、なんだって。わたしもよくしらない。みやこはべつにしらなくてもいいっていうし、ゆばはおしえてくれない。しっているのは、ごんげんはほんぢのみがわりだってことぐらいかな」

 身代わりと聞いてとっさに思い浮かんだのは、昨晩の宴の光景。あの肉の正体が本当に人間だったとするなら、阿弥陀様の肉としてこの子の身代わりになった誰かがいるのではないか。考えたくなくても、頭は勝手に物事を繋げてしまう。

「もしかして、身代わりっていうのは、昨日のことと関係あったりするの」

「食べられちゃった子のこと? うん、あの子もさいけみやこのごんげん、だよ」

 少女はこともなげに肯定する。あどけない笑顔のまま、地面に生えた草を千切っている。なんの感慨もなく、ぶちぶちと。だれかが死んでしまったことに、命が失われたことに、彼女らが殺したことにも、なにも感じていない。当たり前のこととして頷いた。

「きみもごんげん、ってことは、いつか殺されて、食べられちゃうかもしれないんだよ。怖くないの? 一方的に殺したり、殺されたりすることに怒りはないの? 命を奪うことが悪いことだとは思わないの?」

「あなた変なこというのね。ごくらくには悪いことなんてないのよ。あみだにょらいであるさいけみやこがそういう風につくったんだから。悪いことはぜんぶみがわりのごんげんがひきうけてくれるの。だから、にんげんの本体のほんぢはきれいなままだし、いたくも、くるしくもない。ごんげんはほんぢのつみをひきうけるためにあるんだから、当たり前なの」

 ぼくに彼女たちの論理はまるで理解できない。けれども、目の前の少女が、かつてのぼくと重なってみえた。箱の中に閉じ込められて自分や世界を知ることもできず、正しいのかさえ判断できない知識を与えられる。ぼくは外に出ることができた。この少女はまだ箱の中にいる。きっと、ぼくの言葉は届かない。

「あなたはこんな所でなにをしていたの?」

 急に黙り込んだぼくを覗き込んで、少女は屈託ない笑顔を向けた。

「探し物だよ。この村からどこかへ行く道か、通路がないか探していたんだ」

「いいこと教えてあげるわ」

 少女は立ちあがると、咲いていた椿の花びらを一枚千切る。

「おはなしにつきあってくれたおれい」

 彼女は花びらを水路に落とす。赤い花びらは流れに運ばれていく。

「みずのいくところをさがすといいわ」

 それだけ言い残すと彼女は阿弥陀堂へと駆けていく。白い着物は白い風景に溶けて、姿はすぐに見えなくなった。

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