(13)
とにかく私は苛立ちを抑えることで手一杯になりつつあった。
予定通りに行っていることと、予定外のこと。そして、予想外のことが起こった。なにごとも計画通りに進まないことは、痛みという経験をもって学んでいたはずだった。当初、仕掛ける側だったはずが、予定外の出来事による足止めを食らい、以降後手にまわされ続けている。
人知れず噛んだ親指の爪がぼろぼろになっている。
これは私の子供時代の指だ。苦汁を啜り生きながらえていた頃の、懐かしい指の形。
ああ、私はちゃんと覚えていたというのに。
こんなに時間が経っても。体が大人になっても。すこしだって許す気になれない。
感覚を閉じて、ほんのひと時、世界から心を隔離する。昔は苦痛から逃れるための術だった。今では集中力を尖らせて、思考回路を回すための力となった。頭中をかき回し、はじめから物事を整理しよう。
まず、予定通りのこと。松丸聖と合流したこと。村に潜入したこと。猟銃をあちらに管理させたこと。裏切り者が紛れていること。
次いで、予定外のこと。那智が毒矢に撃たれたこと。山素が先走り発砲したこと。宴の席で一服盛られたこと。田澤が死んだこと。
最後に、予想外のこと。松丸聖がなにひとつ事情を把握していなかったこと。
最大の誤算は松丸聖についてだが、今考えるべきことではない。無力であるとわかった今、彼については最後の瞬間になるまで、無視しておいても構わない。
現状最優先すべきことは裏切り者の特定と、田澤の死の原因を究明することにある。裏切り者がなにを、どこまで把握して、西家都に伝えているのか。その詳細を推し量り、事態を私のコントロール下に引き戻す。
これまで上手く行っていたではないか。私はとても見事に立ち回っていたではないか。田澤に取り入り、彼を誘導し、被害者たちの復讐心を焚きつけ、武器を取らせた。今さら後戻りはできない。撃ち出された弾丸は二度と戻ることはない。相手の脳みそをぶちまけるまで、一直線に飛び続けるしかない。私を撃ち出した炸薬は、もう何年も前に弾けたきりだ。
私は思考に一拍あけて、考えるべき点を絞る。
第一に裏切り者について。
大学の調査チームに偽装した被害者の会に、はじめから村側の人間が入り込むことは織り込み済みだった。そのために餌を撒いていた。山に隠れ籠っている西家らが、社会とのパイプを求めていることは知っていた。もともと隠遁生活に終わる様な性格ではない。西家が逃亡生活からの返り咲きを考えるのは無理からぬこと。十年以上の潜伏を経てなお、その火が失われていないことを確信していた。
こちらが選んだ情報を適度に与え、あちらは私たちを誘い込むために村の情報を流してきた。実際、村に到着するまで裏切り者が誰かなど、どうでもよい問題だった。松丸聖が村側からの内通者となって、裏切り者をあぶりだす予定だったのだから。
計画を破綻させられたからには、自ら裏切り者を暴かなければならない。
鍵となるのは消えた銃弾。これだけは裏切り者でなければ仕込むことができないもの。松丸聖が村側からの刺客となった可能性を考えて、村までの道中注意深く観察していたが、その限りにおいて彼は猟銃に触れなかった。彼は未だ西家都と通じた刺客である可能性を残しているものの、被害者の会に潜伏した裏切り者という可能性は排除できる。
田澤についても候補から除外できる。彼が裏切り者であった場合、私は出会った時点で殺されていただろう。彼には村が欲しがっている外部とのパイプ役を担ってもらう算段だったのだ。田澤にはそのための、西家都の興味を惹きそうな、特殊な人脈があった。田澤が既に西家都と繋がりのある者だったなら、すでに村は外との繋がりを得ていることになり、被害者の会を村に接触させる利点がない。前提が崩れるのだ。その点において田澤は裏切り者足り得ない。
もっとも裏切り者の可能性が高いのはふたり。猟師であり、ライフル銃の持ち主である那智。道中で銃を持ち続け、発砲した山素。ただし、国見にも猟銃に触れる機会があったため、候補から排除するには至らない。
村までの道を発見した那智を第一の容疑者としたいところであるが、簡単には決め付けられない。そもそも彼が村を発見できたのは、私が裏で手を回したことが大きい。はじめから村の位置を知っている私は、でっち上げた推理で指名手配犯の逃亡経路を絞り、残った候補地へとしらみつぶしに狩りに行かせた。道中から発砲までの過程では三人のうち誰か、というほとんど絞れていない状態だ。
消えた銃弾の仕掛け自体はさほど凝ったものではない。
那智が言った通りの弾頭が別のものへとすり替えられただけだ。発砲されたあと、池の水面から蒸気が上がっている箇所が見受けられた。また、水に浸かった銃口から発砲煙とは異なる煙が上がっていた。
また、山素の証言と少女の着物から、弾頭は確実に発射されたものの、着物を貫通して肌を傷付けるほど頑丈な物体ではなかったことが分かる。弾頭は着物を破いたのち、破砕して池に落ちたのであろう。しかし、周囲にはそれらしい破片を見つけることはできなかった。なぜか。
弾頭が着色された酸化カルシウムでできたものだったから。
酸化カルシウム、つまり、生石灰。水と反応して発熱し、気体を発生させる。反応後は水酸化カルシウムとなり、水に溶ける。発射された弾丸は池に落ちて、そのまま流れていったのだろう。
だが、実際には銃弾が消える仕組み自体はなんでもいい。誰が仕掛けたのかだけが問題なのだ。
残念ながら、現時点では裏切り者を確定のするための情報が足りない。
第二の問題は田澤が殺害されたこと。
この田澤の死に関しては不確定な要素が多い。
ひとつには
殺害時刻は宴の時間以降で、死体発見の数時間前まで。宴に呼び出されたのが日没後すぐの18時すぎであったので、殺害は私たちが昏倒する19時以降。死体発見が翌、午前7時前。死体は触った感触から、体表が凍っていただけで芯までは凍っていなかった。死体が外気に晒されていたとして、体温が下がりきり、体表が凍るのに少なく見積もって三時間はかかるだろうか。正確には判断できない。どのみち、犯人は夜中か早朝には動き回れていたことになる。盛られた薬の効き目から察するに、犯人は宴の席で薬を盛られていなかったことは間違いない。薬の効果を受けたか否かも自己申告でしか判断できないため、判断の材料にはならないが。
もうひとつは死因である。田澤の死因は銃器で胸を撃たれたことによるもの。
私たち被害者の会は猟銃の他に、荷物のなかにそれぞれ密輸ものの拳銃を所持している。あえて猟銃を管理させたのは、凶器を所持していないというアピールのつもりだったのだが。銃を隠し持っていることを知っている被害者の会ならば、だれでも犯人になり得てしまう。また弓場の管理する鍵を使える者――村と通じている者であれば猟銃を持ち出すこともできる。加えて、村に銃がないとは言い切れない。つまり、凶器が銃であるというだけでは犯人特定の手掛かりにはならない。
私たちの持つ拳銃はいわゆる9ミリ拳銃といわれるもの。対して猟銃の口径は7.6ミリでライフルの方が小さい。傷口で判断できるかと考えたが、体表の損壊によって穴が広げられていた。皮膚の剥離も同じく、犯人によるなんらかの偽装工作であると思われる。
なぜ偽装を施す必要があったのか。その方法と理由が今のところ、犯人に繋がる手掛かりであるだろう。
現在の情報では、どうやって殺したかははっきりしているものの、だれが殺したかということには結びつかない。死体損壊による偽装が手掛かりだが、こちらも情報が足りない。
残る要素は殺害の動機だ。
田澤は村側が私たちをひと思いに殺してしまわないための、いわば切り札だった。私は裏切り者に対して、田澤の持つパイプラインの情報を断片的にしか与えていない。被害者の会のうち、だれが村の欲しがるパイプラインを持っているのかわからないように隠していた。そうすることで複数人のグループで村に入り込むための命綱にした。村側もパイプラインを欲しがるからこそ、村に生かして迎え入れたのだ。そして、私たちが殺されていないということは、まだ誰がその役を担っているのか判明していないことになる。特定できるまでは殺さないはずだと踏んでいたのだ。
そんな中、当の田澤が真っ先に殺害されてしまった。
村側、西家都の意向で殺人が行われたとは思えないのだ。この殺人は村にとって、侵入者を殺した以上の意味を持たない。西家都にとっては損な行為ですらある。利益を得ることを諦めたならば、意識のないうちに全員始末されてしかるべきだ。
村側の意向による殺人でないとするならば、被害者の会のうちの誰かが犯人ということになる。しかし、被害者の会の同士を殺すことでどんな利益が生まれるというのか。それとも村内での意思統一が上手くいかなかった結果起こった事故的な側面の強い殺人なのか。
田澤殺しで煮詰めるべき点はここだ。
ひとつは死体の損壊による偽装の手段と理由を探ること。
もうひとつは田澤を殺すことで利益を得る人物を探すこと。
田澤殺しと裏切り者の件は、必ずしも繋がっていない。
ここから先は今まで以上の綱渡りだ。命綱であった田澤は死んだ。私は命綱を失くして、空中に張られたか細いロープを、この身一つで渡らねばならない。
慎重に、冷静に。
誰よりも狡猾な私でいろ。
奴らを出し抜いて、私の願いを叶える為に。
脳の整理を終え、瞼をあげる。
私は黒江純として再び目覚める。
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