11
それは人の死に様としてあまりにもむごいものだった。
田澤の死体は阿弥陀堂の正面、つまり前日に山素が阿弥陀様に銃を向けた場所にあった。死体は阿弥陀堂に向かって膝立ちの状態で固まっており、祈りや懺悔を捧げているようにもみえる。その死においてひときわ凄惨であるのは、彼の上半身の皮が剥がれて凍り付いていることだ。今朝の冷え込みは池の水に凍りを張らせるほどで、田澤の体から染み出した血液も地面に滴る最中に凍り付いたことが見て取れる。
皮膚は首から下、胸から腰までにかけての範囲で剥がれていた。上半身を裸とされたうえに、皮膚が散り散りに裂かれている。単なる冷え込みによるものとは思われない。彼を殺したものが、なにか意図的に皮膚を裂いたのだろうか。
そして、彼の胸のほぼ中心を貫いている血の詰まった赤い穴。出血が激しかったらしく、ひと際大量の血液が氷の氷柱を作っている。この穴が死の直接的な原因であると思われる。誰かに説明を受けずとも、それが銃弾によるものだと直感した。銃弾は貫通しており、胸側の赤い氷柱がより大きい。背側から撃たれ、胸側に突き抜けたのだと素人目にも理解できた。
最初に発見して、声をあげたと思われるのは那智祐介。池に尻もちをついたままの彼と合流する。腕には包帯が巻かれており、こけた頬は毒から回復しきっていないことを表している。
「那智さん、もう歩き回って大丈夫なのですか?」
黒江がまず、那智の体調を聞いた。
「そ、そんなこと聞いている場合じゃないだろ。田澤さん、人が死んでいるんだぞ。しかも、殺されている。こんな無残な方法で……常軌を逸している」
那智は池に尻もちをついたまま、頭を抱えた。彼の言葉はもっともだと思う。彼女の冷徹なまでの落ち着きは異常だ。でも、ぼくにしても余りの事に、目の前の出来事をまっとうに受け止められずにいる。なにを言うべきか、なにを聞くべきか。そんなことを考えて口に出せる状況ではなかった。
「田澤先生は死にました。この状態より悪くなりようがない。ですから、これ以上身を案じる必要はありません」
「田澤先生はあんたの父親だろう。どんな状況でも気丈なのは美徳だと思うけどな」
国見が気もそぞろに眼鏡に手を伸ばす。
「養父です。育ててもらった恩はありますが、愛情はありません。子というより、研究の助手としての扱いでしたから。苗字と名前は養母から頂いたものですし、愛情を返すなら彼女に対してでしょう」
黒江は感情の欠片さえもみせずに言ってのける。
「私たちが今気にすべきなのは、死者ではなく生者のこと。生きている私たちの身の安全について考えねばなりません。田澤先生は何者かによって殺害されました。犯人の凶弾が次、私たちに向けられないとどうしていえるでしょうか」
彼女は一同を見回す。その眼にははっきりと敵意が浮かんでいた。
「まさか、このなかの誰かを疑っているのか?」
「田澤先生は銃弾で撃たれた。犯人が私たちの誰かである可能性は十分にあります。例えば、私たちのなかに裏切り者がいる。そう考えることもできる」
裏切り者。その強すぎる言葉の響きに、この場の全員が身震いした。
「ま、待ってくれよ。そりゃ可能性はあるかもしれないけど、理由がないだろ。おれたちを殺す理由があるとすれば、この村の……」
国見はそこまで言いかけて口を噤んだ。阿弥陀堂に繋がる橋の向こうから、弓場が現れた。昨日と変わらぬ黒い着物姿で、険しい表情からは思考が読み取れない。少なくとも人死に驚いた様子はない。
「仏罰が下ったのです。彼は掟を破り、禁を犯したのでしょう。その証として阿弥陀様が現出させた銃弾により、その胸を撃ち抜かれたのです。これは仏により示された警告です。あなた方も、ゆめゆめ忘れませぬよう」
「田澤先生を殺したのはお前じゃないのか? 猟銃を管理していたのはあんただ」
「なぜ私がそのようなことを? 私共がその気なら、彼だけでなく全員死んでいたと思いますが。宴で気を失い無防備になったあなた方を殺すのに、銃など必要ありません」
「ほ、仏の力を示す為だ……あんたらわしらを騙していたんだ。奇跡なんぞ所詮は手品にすぎん。見破られそうになったから、より派手な手を使って騙そうとしたに違いない」
山素は黒江が伝えた奇跡の種を、自分が見破ったかのようにまくしたてる。
「おもしろい観点ですね。しかし、それはあなたの妄想では? 今から調べてもよろしいですけれど、あなたのいう仕掛けなど見つかりませんよ。仏の力はいまだ健在で、疑う余地などありません。仮になんらかの仕掛けがあったとして、我々があなた方に仏の奇跡を信じ込ませる必要があるのでしょうか? それこそ全員始末してしまえば、わざわざ手間暇かけて策を弄する必要もないでしょう。客人などと言ってはおりますが……あなた方は我々の領域を侵犯する外敵でしかないのですよ」
国見や山素に追及されても弓場は平然としている。それどころか、弓場の口ぶりはぼくらの命を尊重するつもりなど一切ないものだった。弓場もまた、西家都とはまた異なる方向で、人間のことをなんとも思っていないのだろう。
「こちらには阿弥陀様もおいでになります。不浄に触れられないとも限りません。穢れを広めない内に、あなた方で処分なり、埋葬なりしていただけますでしょうか」
弓場はそれだけを告げると背を向け、橋を引き返そうとする。
「ひとつ伺いたいのですが。猟銃を保管してある蔵の鍵、あれは弓場さんが持っていらっしゃるのですよね。昨晩から早朝にかけて、確かにあなたの手元にありましたか?」
黒江が弓場の背中に問いかける。
「今も私が肌身離さず持っております。誓って、私の手元を離れたことはありません。といっても、私共をお疑いのようですし、なんの説得力もないでしょうが」
弓場は懐から十字の鍵を出してみせた。
黒江は弓場の返答を聞き、指先を噛むようにして考え込む。
途方に暮れたぼくらだったが、那智があることに気付き声をあげる。
「もし銃弾が貫通したなら、弾がどこかにあるはずじゃないのか? さっきの女がいった、弾の消失とかマジックみたいな話はなんだ? そんなことはあり得ないだろ」
那智は山素が阿弥陀様を撃った現場にはいたが、毒の負傷で意識がなかった。手短に事情を説明すると、口をへの字に曲げた。
「その少女に向けて銃弾を撃ったと言ったな。どのぐらいの距離だ? 服は白かったんだろ、その時服に焦げ跡とかはなかったのか?」
「一発目は5、6メートルぐらい離れとったか。二発目は確実に当てようと思ったから、1メートルより近くから撃った。気が動転しておったから、詳しくは覚えとらんが、服に穴が空いておったのは間違いない。わずかに黒ずんでおったやもしれん」
「銃は撃つとき、弾だけでなく火薬やガスが飛ぶ。近距離から撃った場合、服や皮膚にそれらの痕跡が残るもんなんだ。動物なんかの毛皮がある生き物ならともかく、人間の服や皮膚のやけどの痕はわかりやすい。衣服に痕跡が残っていたということは、薬莢がさく裂したのは間違いない。細工がなされていたのなら弾丸自体がすり替えられていたのかも」
「すり替え?」
「弾頭がゴム弾になっていたとか、空砲やプラスチックの壊れやすいものだったとか。要するに弾が急に消えたり、現れたりすることはあり得ないという話。田澤さんの場合にしても、誰かがどこかから撃ったものであることは間違いない。弾だけが現れて貫通したなんてことはない。だから、この辺りをくまなく探せば銃弾なり、跳弾した痕跡なりが見つかるはずだ。少なくとも奇跡ではなくなる」
那智は銃に関して知識があるようだ。対して、山素は自分が銃を抱えていたくせに、取り回しに関してはほとんどわからないようだ。ぼくはここで自分の勘違いに思い至る。ぼくは山素の髭や粗っぽい風貌から、彼が猟師なのだと思っていた。那智が毒矢を受けたのは山歩きに不慣れな故だと考えていた。
「あの、もしかして那智さんが猟師なんですか?」
「そうだよ。おれが案内役のはずだったんだけど、山で罠に引っ掛かるなんて間抜けで悪い。独学で狩猟を学んで、始めたのも最近。ゲームハントというか、生活のための猟というよりは、楽しみのための狩猟を主に活動している。この村も熊を追ううちに偶然迷い込んだってだけで」
銃弾が那智の言う通りすり替えられたものだとすれば、ぼくらのうちの誰かということにならないだろうか。少女の奇跡を演出するために、誰かが一計を案じたのではないか。村と何らかの協力関係にあって、ぼくらを騙しているとしたら。何のためにそんなことをする必要があるのかわからないけれど。消える銃弾の仕掛けを問うたときに、黒江が言い淀んだのは裏切り者を気にしたからでは。
「銃弾の件ですが、田澤先生がこの場で殺されたとは限りません。皮膚の状態から考えて、死後に遺体を損壊したことは間違いありません。生前に施されたにしては、胸の弾痕以外の傷の出血が少なすぎます。体表の損壊は心臓が止まったあと行われたものかと。理由も含めて、皮膚の状態がどうやって引き起こされたのかが問題だと思います」
黒江が思考から戻ってくると、皮膚の状態を指摘した。
「氷点下数十度になる北海道では冷気で樹木の幹が裂けると言いますが、今朝の冷え込みは氷点下を下回ってもせいぜい2、3度。凍り付いたとしても皮膚が裂けることはない。わざわざ皮膚を剥がすなりして、犯人が何らかの細工を施した」
「なんのために? そこが重要なんだろう」
「まだわかりません。現状わかっていることは、致命傷となったのは胸の銃創であること。なんらかの細工によって皮膚が裂けていること。遺体が氷結していることから死後数時間経っているものと思われますが、正確な殺害時刻は不明であること。死体は運ばれた可能性があり、殺害現場がどこか確定できないこと。そして、私たちは昨晩意識を失い、西家都や弓場さん、付き人ら村人も含め、私たちの現場不在証明ができないということ。つまり、現場がわかっても犯人を特定するには至りません」
「要するに、銃殺されたぐらいしかわからないってことか。証明する手立てがない以上、誰にでも殺すことはできた、と」
国見は深いため息をつく。
「おれたちは自分たちも信用できないなか、殺人者から身を守り、なおかつ村のやつらと渡り合う必要があるわけだ。最初からそうだが、なにひとつ計画通りにいかない」
「引くことも考えにゃならんか」
今すぐにでも帰りたい様子の山素には、ぼくも同感だった。危険な場所にいつまでもいられない。ただ、ぼくにはここから出て行っても行く当てがあるわけではない。
「撤退だけはあり得ません」
そう言い切ったのは黒江だった。彼女の瞳に浮かんでいたのは異常なまでの執着。
誰かが死んでも成し遂げなければならない目的とは一体なんだ。
「生き仏の調査のため、じゃないよね……あなたたちは何が目的なんですか」
ぼくは耐えきれずにとうとう口に出して問い掛けた。
田澤の死の動揺から早くも立ち直った彼ら。現実感がないだけのぼくとは明らかに異なる。この人たちはなにかが、はじめからおかしい。
こいつらは、何者なんだ。
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