「イジン?」

 ぼくは聞き馴染みのない言葉に首を傾げる。

「異人とは『われわれ』に対する『他者』のこと。外国人、日本の外からやってきた人を異人と呼ぶこともありますが、必ずしも異なる人種を指す言葉ではありません。定住者の集落を訪れる漂流者に対しても使われます。来訪者としての異人。折口信夫などのマレビト――海のかなたからやって来る来訪神なども異人との共通点が伺えます。異人とはつまり、ひとつのコミュニティ――価値観や社会制度などの文化を共有する集団のことです――の外側の存在だといえるでしょう」

「えっと、例えば、ぼくらはこの村にとっての異人ってこと?」

「まさしくその通りですね。しかし、このままだと外からやって来るものだけが異人の定義になってしまいます。そこで、私はもうひとつ説明を加えたいと思います。

 例えば『わたし』が自らの属するコミュニティ――『われわれ』から離れて、別のコミュニティを訪れたとします。簡単にいえば旅行ですね。そのとき『わたし』は自らのコミュニティから抜けたわけではありません。その瞬間、『かれら』からみれば『わたし』は他者であり異人ですが、『わたし』からすれば『かれら』もまた自らと異なるコミュニティに属する他者となるのです。そうすると『わたし』が旅行から戻って、『われわれ』となり自らのコミュニティで『かれら』のことを話すとき、『かれら』は異人として説明されるのです」

「向こうから来た者だけじゃなくて、こちらから行った場合でも、外国人のことを異人と呼ぶってことだね。そうすると異人郷伝説っていうのは、東北地方の山の中で出会った変わった人の住む場所の話、ということになるのでしょうか。なおのこと、今のぼくたちの状況そっくりだ」

 田澤は満足げに二度深く首肯した。

「いやぁ、理解がはやくて助かります。松丸くんは優秀な生徒ですね。麓に戻ったら、ぜひ私の研究室の外部研究員として協力してほしいぐらいです。こういう研究は研究員も足りませんし、助成金も下りにくいですから……ああ、いや愚痴になってしまいましたね」

 気を取り直すように咳払いをひとつ入れ、彼は話の軌道を修正する。

「異人郷伝説の民話、伝承群とは、東北山中における秘境伝説のことなのです」

「その異人郷が、この村のことだと?」

「そう、それが私の疑問のきっかけでして。伝承に語られる山中の秘境には異人、つまり『われわれ』とは異なる文化に属する人々だったと示されているのです。この村には仏教の思想、浄土思想が広まっています。日本で浄土教は平安中期以降に盛んになったとされています。東北地方にも中尊寺金色堂が作られるなどして、平安後期には広まっていたでしょう。この村が浄土教徒によって開かれたとすると、平安後期以降ということになります。

 やはりこの場合、東北の人々は異人ではなく、熱心な仏教徒の住まう土地。浄土教徒の聖地だとして語り継ぐのが自然な流れだと考えられます。仏教は『われわれ』にとって、異なる文化ではありません。外側の価値観ではなく、『われわれ』と共通する文化の話者であります。異人ではなく、共通のコミュニティに属する『われわれ』の親戚筋になってしまうのです。

 弓場氏の言を借りるなら、長らく俗世とはかかわりを持っていなかったとのことでしたけれど、彼女らとの意志疎通になんら問題がありませんでした。現代人である私たちと言葉を同じくし、違和感を覚えなかったのです。言葉とは流動的なもの。長らくというからには十数年ということはないでしょう。彼女たちの言語、あるいはこの村が体現する仏教思想。これらは閉鎖的な異人の郷の環境としては、あまりにも開明的過ぎるのです」

「では、この村はあなたの探す異人郷ではない、と?」

「そう結論付けるのは早いでしょう。では、この疑問を解くために、私が蒐集した伝承をいくつかご紹介しましょう」

【ある山村の長老は語った。

 これは私の祖父から聞いた話だ。祖父はまたその祖父から。そうして伝えられてきた言い伝えだ。

 羊渓山の切り立った尾根の袂に暮らす猟師を生業とする集落があった。彼らのもたらす熊の胆嚢は質が良く高価な薬として珍重されていた。古くから付き合いがあり、この村とも毛皮を介して取引することもあった。

 村に年老いた母と山に入ったばかりの若い男児のふたりだけの家があった。あるとき、母親が重い病にかかる。羊渓山の辺りは険しく、当時は医学も発達しておらず、生薬と祈祷がせいぜい。庶民が医者にかかることなどなかった。男児は薬として熊の胆嚢を欲したが、村ではちょうど取引に出たあと。男児は成人を控えており、一人前の男として力を示すためにも、母の病のためにも、ひとりで熊を狩ることを求められた。

 男児は山に入り、熊を追い掛けて奥へ奥へと分け入った。山に入って五日、とうとう熊を見つけるが、焦りからか仕損じる。それどころか手負いの熊につけ狙われ、山中を追い回される羽目に。とうとう方角も分からなくなり、男児は足をやられ武器もなくしてしまった。途方に暮れて何処とも知れぬ山中を徘徊していたところ、強烈な甘い芳香を深山で嗅いだのだという。香りにつられて近寄ると、そこには人の暮らす集落があった。

 男児は山の禁を破って、山の中で村の言葉を使って話しかけてしまう。しかし、男児の言葉は彼らに通じなかった。彼らは言葉が通じないにも関わらず、怪我をした男児に手当を施した。とある薬を与えられると、痛みが急激に薄れていった。男児は驚き、熊の胆嚢以上の妙薬だと、その薬の原料である植物を何とかもらい受ける。彼らは身振りによって、朝日に向かって歩けと教え男児を送り出した。

 朝日に向かって歩くこと七日、男児はようやく羊渓山に帰りついた。無事母の元に薬を届けることが出来た。

 村では男児の出会った人々は山の神が姿を現したものだとされた。しかし、山の禁を破った男児は以来、山を下りこの話を行く先の村で残していったのである。】

 またある集落ではこう伝えられる。

【夕暮れが山容を染め上げる、逢魔が時とも言われる時間帯。その時間になると山から子供を攫う悪いものが降りて来るといわれていた。素行の悪い子供を連れ去り食ってしまうのだと。村の人間は悪いものをヤマガガと呼んだ。

 ヤマガガは必ず太陽が沈む方角からやってくるため、村へと近づくときには濃く長い影の後にやってくる。長く伸びる木々の陰に擬態して近づくのだ。そのため集落では、夕刻の動く木の陰には気を付けろ、との警句がある。ヤマガガ、子らを攫いにきたぞ、と。】

 田澤の説明によると示した伝承は、大まかに三つの特徴がみてとれるらしい。

 ひとつ、深い山中に住む、あるいは山からやってくる素性の知れない人々。人ならざる形容をされることもあれば、言語の通じないこともある。

 ひとつ、害を為すこともあるが、ほとんどが獲物や秘薬を授ける山神として伝えられていること。

 ひとつ、どちらの方角に存在するのか、方角が言い伝えられている場合が多いこと。

「私はこの東北山中に異人の住む地域が存在するのではないか、と考えました。伝承を採集した地域から、言い伝えられた大まかな場所、方角を地図上で重ねていき、ごく狭い範囲を割り出すことに成功しました」

「それがこの辺りだと」

「この空洞と周囲の森を含めた、ひと山分のけして狭くない範疇ではありますが」

「田澤さんは、はじめから生き仏の調査を考えていたわけではなかったのですね」

「ええ、元は異人郷の調査をしていて、あとから生き仏の噂を聞いたのです。面白いことに、生き仏の噂と異人郷の場所がどうやら近しいらしい。そして、種々集めた伝承のなかから、この森に関する奇妙なものを見つけましてね。それが黒江くんの言っていた森の呪いなのですが」

 伝承に語られた呪いとは、この森が元来聖域とされており、立ち入ったものには罰を与えるというもの。あるいは、森は死者の怨霊で穢れており、立ち入ったものを憑り殺すだとか。はたまた、人食い山人の棲家であり、近づけば獲物として狩られる、とか。

「助けてやったり、危害を加えたり、態度がよく変わりますね」

「そうですね。聖域と穢れという反対の表され方までされています。そこで私が考えたのは、これらの伝承は時期が異なるのではないだろうか、ということです。益をもたらす伝承と害をもたらす伝承の二種類に分類でき、それらは場所こそ同じだが、別々の集団を指しているのではないか、ということです」

「二種類……かつては異人郷で、今は極楽浄土になっている。途中で住んでいる集団が入れ変ったということ?」

 田澤は感情の読み取れない笑みをみせて、空洞中央の阿弥陀堂、その浮かぶ淵を指さした。

「すこし日本史の話をすると、八世紀から九世紀にかけて東北地方では朝廷による支配地域の拡大が行われました。次第に北上しながら蝦夷と呼ばれる人々と戦っていたのです。坂上田村麻呂が征夷大将軍となり、阿弖流為と呼ばれる蝦夷の族長を下しました。これらの出来事が平安時代の初期に起こりました。そして、平安時代中から後期にかけて陸奥国一帯を奥州藤原氏が支配しました。奥州藤原氏の藤原清衡は1124年、岩手県の平泉に浄土教の建築、先ほど話題にした中尊寺金色堂を建立します。

 この時代の蝦夷を今でいうアイヌ民族であるとは言えませんが、柳田の遠野物語にみるように、東北地方にはアイヌ語が起源とみられる地名が残っています。東北地方に住む和人と北海道のアイヌの境界は曖昧で、互いに交わりながら暮らしていたのかもしれません。しかし、どちらにせよ、中央から攻め登ってきた和人にとっては、東北に住む和人である蝦夷もアイヌも等しく異人。

 今から約千年前の平安時代という時期にあって、この地は蝦夷から和人へ。蝦夷の文化をもつ人間がすむ異人郷は、浄土思想をもった和人の支配地域へと塗り替えられた、と推測が立てられます」

「なら、呪いというのは聖域を奪われた蝦夷の恨みが原因にある、とか?」

「アイヌ語でトーは湖や沼を指します。そして、ライとは死を意味します」

 掟の最初の一語。『到来の地』がすぐに頭に浮かんだ。

 『到来』ではなく『トー・ライ』の地。死の湖。

 支配のための戦い、その痕跡の匂いを嗅いだ気がした。

「慰めの意味を込めて、彼の人々の言葉で地名を付けた、ということは考えられないでしょうか」

「蝦夷の人々の呪いがあったとして、でもそれが実際に人を攫ったり、殺したりするでしょうか。近づくな、というだけならわかるけれど。実際に他の村まで出向いて害を与えるとは考えられないのですが」

「かつて蝦夷の聖域とされたこの地には、苦痛を癒す秘薬があったそうです。その原料となる植物も。ここを支配し、入植した人々は、果たして善人だったのでしょうか。なにか目的があって侵攻してきた、と思いませんか? 例えば、聖域にある、なにかを奪うため。

 はじめの疑問に戻りましょう。西という方角に符合する掟。西に行くな、という彼女らなりの警告だと受け取れませんか。彼女たちは私たちに一体何を隠しているのでしょうね?」

 田澤の穏やかな笑みの下には、なにか、黒いものが渦巻いている気がしてならなかった。

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