弓場に案内されたのは、赤黒い阿弥陀堂を正面にみて左手に十分ほど登ったところにある白い建物。そのほかの家屋と同じく平屋で、四方を漆喰で塗り固められているところは共通している。横に長く、白い家々のなかではもっとも大きい。空洞内では阿弥陀堂に次ぐ大きさの建物になる。

「手入れはしてありますが、現在はだれも使っておりません。どうぞ、お好きな部屋をお使いください」

 なかは六畳ほどの広さの板間が十部屋、一本の長い廊下で繋がっている。天井から吊り灯籠がさがっているほかに飾りはない。これは華美な装飾を施された他の家々とは異なるところ。

 内開きの扉を開けた部屋の中には、灯籠と布団が一組あるほかはなにもない。窓はなく、床、天井、壁、どこを向いても継ぎ目や文様は見当たらない。質素なつくりというより、箱を家だと言い張っているようだ。

 染みひとつない、ほの白い空間に囲まれている。ひとりきりで部屋に閉じこもったら、方向感覚を見失いそうだ。

「こんな場所で生活したら、数日と経たずに気がおかしくなりそう」

 黒江は扉を入念に調べ、室内をくまなく見て回る。時には床や壁を叩いて、布団の中綿まで確認する勢いの彼女。

「内から閂をかけられるだけましね」

 家探しと勘違いする手際で点検を終え、不満げに及第点をあたえる。廊下側の壁際には閂をかけるための金具が打ち付けてあり、年季が入り角の取れた材木も置かれている。

「防犯対策というには心もとないけれど。大人の男なら、十分もあれば破れるわね。閂は折れなくとも、かすがいを力任せに外すことはできる」

「誰も押し入ったりなんてしないよ」

 誰かが襲ってくることを前提にした感想を否定する。ほかの人にも、心配し過ぎだと笑い飛ばしてくれることを期待したけれど、誰一人彼女の警戒心を笑ったり否定したりしなかった。

「最奥の部屋が蔵になっておりまして外から鍵を掛けることができます。猟銃はお帰りの際までそちらの方に保管させて頂きます。お手洗いはこの建物の裏手にございますので、ご自由にお使いください。監視と小間使いのために、こちらの付き人たちを玄関に侍らせておきますので、御用の際はお言いつけくださいませ」

 ぜんぶで十部屋あるうちの入り口から数えて十番目が蔵で、そこだけ扉のつくりが堅牢になっている。ほかの部屋は白塗りの木戸だったのに対して、蔵は金属製の鈍色な観音扉。おまけに壁は漆喰ではなく灰色の石材で造られている。十番目の部屋だけあとから増設されたもののようだ。

 観音扉の外側には鍵穴が十字になっている錠前がさがっている。弓場が袖から取り出した鍵も十字になっており、十字の金属板にはいくつもの小さなへこみが刻まれていた。

 扉は音もなく開く。蔵の内側には見回した限りなにもなくがらんとしている。ひんやりとした空間が広がっているだけだ。彼女はその中央に猟銃を安置し、再び蔵を施錠する。

「鍵は私が預からせていただきます。我々は猟銃のような凶器を持ちませんので、ご安心ください。夕刻、宴の準備ができましたら呼びにまいります」

 弓場は玄関の外に、覆面を被った付き人を残して去って行った。

 各々好きに選んだ結果、入り口から数えて二番目の部屋を田澤、その隣三番目に国見、ひとつ開けて五番目に山素、そして八番目に黒江、蔵の隣九番目にぼくの順で部屋を使うことになった。

「それではひとまず解散ですね。山道でみな疲れているでしょうから、一息つきましょう」

 田澤の合図でそれぞれ部屋に引っ込んでいく。ぼくも持たされていた荷物を部屋に置くと、建物の裏手にある厠へと向かう。玄関を通る際に嫌でも目に入る監視の付き人がふたり。玄関脇の左右を固めている。彼らは身じろぎひとつせず、うつむき加減で枯れ木のように立ち尽くしている。

「あの、ちょっと厠まで」

 首だけを動かしてじっとみつめてくる彼らに、そう言い残して裏手に回る。覆面で顔が見えないせいか、どうにも不気味だ。

 厠の扉を閉めてもみられているような感覚は消えず、居心地のわるいまま用を足す。

 厠は水路を跨ぐ形になっており、常に水が流れている。それらの水路は表の池とは繋がっていないらしく、汚水は地下に潜ってどこかへ消えていく。奥深い山のなかで、これだけの水がどこから来ているのか。これもまた、この空洞の不可思議なところであった。

 外に戻ると田澤がどこかへ行くところに出くわす。

「やぁ、松丸くん。散歩でもしようと思っているのだけど、よかったら付き合ってくれませんか。この年になると独り言も多くて。どうせなら誰かに聞いてもらった方が健康的だ」

「ぼくも話してみたかったから、一緒にいきます」

 田澤は柔和な顔に皺を刻んで頷いた。

 ぼくらは連れ立って空洞内を、樹木が生えている方へと向かって坂を歩く。その数十歩後ろから付き人の一人が、影のようについてくる。緩やかなすり鉢状といっても、常に上り坂だ。いくらも歩かないうちに、ぼくは息を切らし始めた。

「これはすいません。歩くペースが速いとは、よく妻に注意されたものです。上からの眺めを確認しておきたいと思ったら、自然と気が急いてしまって。せっかちなんですよ、私」

「いえ、ぼくの方こそ……」

 膝に手をついて、体を折り曲げる。山中で田澤はずいぶんと体調が悪そうにしていた割に、ここに着いてからはすっかり息を吹き返している。彼は懐から紙と枯葉を細かくしたような屑を取り出すと、紙に巻いて細長くしたあと火をつけて煙を吸い始めた。手慣れたもので、紙を巻くのに十数秒とかからない。鼻先を掠めた香りは、亀裂を通って空洞に入ってきたとき嗅いだ、あの甘い香りに似ている気がした。

「どうです、うまいものでしょう」

 そういって、彼は盛大に咳込んだ。彼の体調不良の原因は、その煙にこそありそうだった。

「大丈夫ですか?」

「ええ、わかっているのですが、なかなかやめられないもので」

 二度三度と咳込むと落ち着いたようで、以降は深く煙を吸い込んでは細長く吐き出すのを繰り返す。

「池中蓮華、大如車輪」

「え?」

「池の中に蓮華あり、大きさ車輪のごとし。阿弥陀経の一節です。御覧なさい」

 彼は空洞内に広がる池を指さした。不規則に区切られているように思われた池は、上から眺めるとなにを描いていたのか明らかになる。

「ひとは極楽浄土に生まれ変わるとき、蓮の花から出でるそうですよ。まさに極楽浄土を体現した土地といえます。美しい、大輪の蓮の花弁です」

 池を囲う白い畦道はいくつもの曲線を描き、阿弥陀堂の建つ淵を中心として、花びらのように外へ外へと広がっている。

「すごく、きれいだ」

 ぼくはその光景に、素直に感動していた。こんなに綺麗なものは初めて目にする。

「極楽浄土の体現。まったくその通りです。だからこそ、私は不思議に思ったのですけれど」

「どういうことです?」

「西家都さんのいう掟。あれを聞いて、おかしいな、と」

 田澤は付き人に聞こえぬよう、声の大きさをひとつ落とす。

 ぼくは彼に従って、西家の言った掟を思い返す。

『到来の地を暴くもの、びるばくしゃ来たりて打ち取り給ふ。汝いたりて、これより浄土を探してはならぬ』

 到来の地というのはこの村のことだろう。『びるばくしゃ』とは一体何かわからないが、浄土を探してはならぬとはどういうことか。極楽浄土を現しているのがこの場所だとすれば、ここより他に理想の地はないという意味だろうか。やはり掟というには、示している内容が曖昧だ。

「びるばくしゃ、というのは何でしょうか?」

「毘楼博叉……またの名を広目天とも。仏教における守護神で、東西南北を守護する四つの守護神のうちの一体で、西方の守護を司っています。本来はインド神話の神様で、仏教に取り入れられたもののひとつです」

「西を守る神?」

「はい、私もそのことに注目しました。実は、阿弥陀如来のおわす極楽浄土は、西方に十万億仏土、つまりいくつもの世界を越えた、はるか西の果てにある場所だと説かれているのです。西を守護する神と西方の極楽浄土。そして、その浄土を探してはならない。西という方角がなにかの符号のようではありませんか?」

「そんなの偶然なんじゃ」

「ええ、もちろん。私の勘ぐり過ぎもあるかもしれません。偶然の一致、思い込みによるこじつけ。発見を声高に叫びたいときに限って、よくあるものです。だからこそ、恣意的な資料の選択をせず、多くのデータを明示する必要があると考えます。それではまた別の角度から、この土地を見てみることにしましょう」

 田澤の話しぶりは慣れたもので、先生というのもあながち間違いではないようだ。彼らの大学の調査という目的に疑いを持ったが、またわからなくなってきた。

「私はこの辺りの地域、奥羽山地、東北地方の山村を巡って伝承を集めていました。つまり、柳田国男の後追いですね。知っていますか、柳田国男。日本の民俗学者の草分けとなる偉大な学者です。私は彼の取り上げた遠野地方から拡大して、東北各地で民話や伝承を採集、分析していたわけです。まあ、時代が下ってそれなりに難航したのですが、消えゆく文化を残そうという機運も強くてですね。東北マタギの方々なんかにも協力していただき、それなりの成果を得ることができました。そして蒐集した伝承のなかに、興味深い伝承をみつけることができたのです」

 そういえば、と思い出す。山中の穴倉で、国見や黒江が呪いがどうとかと言っていた気がする。そのことにも関係するのだろうか。

「私は共通する特徴をもった民話、伝承群を分類して、ある伝説を見いだすことができました。東北各地で語られる、共通の特徴をもった言い伝え。私はその伝説を総括して、こう名付けました。『異人郷伝説』と」

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