阿弥陀村

「青い水溜りに、白塗りの家屋。胸糞悪くなるぐらい、とっても美しい村だわ。まるでギリシャのサントリーニ島みたいね。行った事なんてないけれど」

 黒江の言い方は感動したというより、鼻につくという感じだった。美しい光景に何故か眉を寄せる。意識の定かでない那智を除いた、ほかの面々は呆気に取られて景色に見入っている。

 ぼくも自分の目を疑った。木々の生い茂る山中にあって、白と青を基調とした街並みは、場違いにもほどがある。岩穴を潜り抜ける間に、どこかまったく別の場所へと抜けてしまったのだろうか。

 村は山の頂上が崩落してできたようで、お椀を伏せた形の壁に囲まれた内にある。てっぺんに丸く穴が開いているほかは日光が差し込む余地がなく、村全体が陰に覆われて薄暗い。お椀の内側は元来、それほど広い空間ではなかったのだろう。この場所を見つけたこの村の先祖たちが少しずつ岩肌を削り、現在の内側に掘り進められたお椀型になったようだ。大空洞と表現したら適切だろうか。

 空洞内は浅いすり鉢状になっており、底には青い淵が広がる。淵には島が浮いており、空洞内で唯一白くない建物が建っている。建物は全体が赤黒く、左右に伸びた廊下で三つの建物を繋いであり横に長い。遠目にも手の込んだ作りであることが伺える。陸地から淵に浮かぶ建物に向かうには、一本しかない橋を渡る必要がある。

「池の中央に両翼を広げた丹塗りの寺院建築。十円玉の裏でみた光景だな」

「山の中にしてはずいぶん豪奢ですね。平等院鳳凰堂といえば宇治の、あれは阿弥陀堂でしたか。たしかによく似ています。他はすべて白い家ばかりのようですね」

 国見の感想に田澤が頷き返す。

 お椀の内側には白い壁の家屋が立ち並ぶ。柱や梁を見る限り木造建築で、壁を漆喰で塗り固められているだけのようだ。大きな天蓋に覆われて雨の心配がないからか、屋根は瓦葺ではなく、板の上に壁と同じく漆喰が塗られている。そうして、箱型の真っ白な家屋が出来上がっている。

「日中でも暗いから、こうして全体を白くして少しでも採光しようとしたでしょうか。東北地方でも石灰石が採れる地域は多いですから、理に適っているのかもしれません。あるいはこの付近にあぶくま洞のような鍾乳洞があるのやも」

 田澤がしきりに頷きながら村内を散策し始める。みな、あまりのことに当初の目的を忘れてしまっている。

「確かに建物はギリシャ風日本家屋といえなくもありませんが、地形全体をみるとトルコ、パムッカレのようでもあります。ご覧なさい、水路に白い鉱物が結晶化しています。おそらく炭酸カルシウムが水に溶けたものでしょう。この辺りの地質が石灰石で構成されているのは間違いなさそうです」

 田澤が指さしたのは村全体に張り巡らされた小さな池の連なり。足首ほどの深さの池が小区画ごと、不規則な形で区切られ、階段状に広がっている。家々は敷き詰められているわけではなく、こうした池の間に点々と白い家屋が立てられている。田澤が水路と表現した通り、水には流れがあり、池に開いた穴から次の池へと入り込み、どこかへと流れていく。水は透き通り、池はわずかに青みがかって光を発しているようにみえる。

「この棚田になっている水路にはなにか意味が? 花びらなんか流して確かに風流ですが、何かを栽培している風でもありません」

 国見が所在なさげに見回して、田澤に問うた。

「さて、水利の技術は見事ですが、その理由は住人に聞いてみないことには」

 黒江が白い花びらを手に取って観察する。

「沙羅双樹の花の色、か……季節的に考えて椿の花弁のようですね。おそらく、あそこから流れてきたのでしょう」

 彼女が指をさしたのは、お椀型空洞の内側にあって、唯一日光の差し込んでいる場所。そこには背の低い果樹らしき樹木や、白や赤の花をつけた樹もみてとれる。

「管理されていますね。外の植生とはまるで違う」田澤は感心したように頷く。「山中の隠れ里ですから、原始的な暮らしか、貧しい村落を想像していたのですが、なかなかに高度な暮らしをしているようです。おまけに独自の文化まで持っている。この集落の歴史は想像以上に長いようだ」

 ぼくらが街並みや景色にうつつを抜かしていると、那智が苦痛をうめきで主張した。

「早いとこ村人に協力を仰ぎましょう」

 ぼくらは池同士の境目の、白い畦道を通って家の戸を叩く。屋内も徹底して壁と床、天井が白塗りにされてある。柱や梁で区切ってなければ方向感覚を見失いそうだ。室内は至るとこに手の込んだ装飾が施してある。植物の図像を模した四角の吊り灯籠がずらりと並ぶ廊下。水の流れの文様が床に刻まれている部屋もある。

「これは鳳凰でしょうか、見事な欄間彫刻ですね。灯籠は蓮華のモチーフですか、美しい。まさに仏の意を表した空間です。天井も火を焚いているのに煤汚れがない。管理が行き届いていますが、生活感が全くありませんね。祈りのための施設……寺院でいう講堂のようなものなのでしょうか」

 田澤は咳をすることも忘れて建物の美しい景観に考察を重ねる。

 日が昇ってから数時間、朝は過ぎて昼に差し掛かろうとしている。そんな時間帯だというのに、村内に人気は感じられない。村の入り口から数件回ったが、どれもがらんとして生活の匂いはまるでない。上がり込み家の奥まで見るべきかと、田澤が呟いていると国見があることに気付く。

「おい、山素はどこだ? いつからいない?」

 振り向くと最後尾でついてきていたはずの山素の姿が見当たらない。

「まずいわ。彼は猟銃をもったまま。早まったことをしないといいけれど」

 ぼくを除いた三人の顔が険しくなる。

「どうしたの? 手分けして探しにいっただけじゃ」

「そういう意味じゃ――」

 炸裂音が立て続けに二発。丸く覆われた村に響き渡った。

「発砲音だ、あいつッ」

「国見くん、黒江さん、先にお願いします。那智さんは私と彼で。急いでください!」

 頷いたふたりはすぐさま家の外へと駆け出していく。

「なんてことだ……とんでもないことを。これじゃ、台無しだ。台無しだぁ」

 ふたりが立ち去ったあとで田澤がぶつぶつと呟く。

「ぼくたちも追い掛けないと」

「あ、あぁ……そうですね。急がないと」

 どこか虚ろな返事をした田澤が担架の前を持ち上げ、ぼくとふたりで那智を運びつつ先行したふたりに続いて発砲音のした方へと向かう。道中にも田澤は「台無しだ、台無しだ」と繰り返し呟いていた。

 美しい村に、どこか恐ろしい空気が漂い始めた。

 黒江の口にした「呪われている」という言葉が、ぼくのなかで渦を巻いていた。予感だ。なにか、とてつもなく嫌なことが起こる予感がする。その正体がつかめないことが、なにより恐ろしかった。

 国見と黒江に遅れること十数分。ぼくらは大空洞の中央、浅いすり鉢状に下った村の最深部に辿り着いた。赤黒い建物と青く広がる淵を背景に捉え、四人の人影がみえる。

 国見と黒江は困惑した様子で、腰を抜かした山素を見下ろす。その山素の視線の先にはひとりの少女がいた。この村と同じく純白の着物を身にまとう、青い血の透き通る白い肌の幼い少女。年のころは十を過ぎたあたりだろうか。鮮やかな口紅が顔の中で強烈に目を惹く。微笑を湛えた、あどけない少女だ。

「わしは撃った……確かに撃った、確かに当たった。この目で見た」

 山素は目を見開き、唇から唾を飛ばして叫ぶ。彼の足元に落ちる猟銃からは細い煙が上がっている。地面にも弾だとして見せられた細長い金色の金属が、ひとつ転がっている。撃ったという言葉の通り、少女の着物の胴にはふたつ、焦げた穴が開いている。しかし、そこから血は流れていない。

「あなたたちはだあれ?」

 少女は着物の穴を引っ張り上げ、弄びながらぼくらに問う。

「下に防弾チョッキか、鉄板でも入れとるんだろッ! わしは撃った、生きとるはずがない」

「おい、やめろッ」

 国見の静止も聞かず、山素は少女に掴みかかり着物を引き剥す。とても正気とは思えぬ状態に、ぼくらも慌てて引き剥す。

「おかしい、なんで死なん。なんで死んでおらん!」

 男三人がかりで山素を抑えつけるが、彼は目の前の光景が信じられないと拘束のしたで暴れる。一方、服を剥かれた少女は自分がなにをされたのかもわかっていないのか、首をかしげてきれいに微笑んだ。

「わたしと遊んでくれるの?」

 無邪気な声がころりと笑う。

「ば、馬鹿な。お前らは死なねばならぬ。死なねばならぬ!」

 山素は半狂乱で、なおも少女へ敵意をむき出しにする。憎悪の呪詛を口から吐き飛ばし続ける。気でも狂ったのか、尋常ではない。一体何が彼を凶行に至らせたのか。目の前の少女がなんだというのだ。足を抑えたぼくは何度も蹴りつけられた。がむしゃらに暴れ、自分が傷つくことを厭わない。力任せの抵抗だった。

 そんなぼくらを少女は物珍しい遊びでもみるように、じっと眺めている。

 山素の様子が急変したのもおかしいが、目の前の少女はもっと根っこの方に異質なものを抱えている気がした。

「阿弥陀様に下賤の身で触れるなどあってはならぬこと。そこな男には必ずや仏罰が下りましょう」

 凛とした声が水を打ち、波紋となって広がる。

 赤黒い建物に繋がる橋から女性が、数人の供を連れて歩いてくる。黒い着物の長い裾を供の者たちに持たせて、しゃなりしゃなりと優雅に歩み出る。顔は白く塗り重ねられた仮面のように無表情で、冷たい声色からも感情を読み取ることはできない。

「あ、みやこっ」

「勝手に外に出てはなりませんよ、阿弥陀様」

 阿弥陀様と呼ばれた少女は、女のもとへと駆けていく。みやこという名らしい女は、少女の着物を整えてやる。

「みやこ、あのひとたちわたしとあそびたいって」

「左様で……阿弥陀様のお望みどおりに」

 みやこはこちらを一瞥すると、何事かを供の者に指示を出す。

 供の者たちは那智の元へやってくると、担架を担ぎ上げる。どうやら村で手当てをしてくれるらしい。

「お客人方、阿弥陀様はご寛大であらせられます。一度の無礼はお許しになるとのこと。なにやら怪我人もいらっしゃるご様子。これ以上の狼藉を働かないというのであれば、こちらへ逗留をなさっても構いません。この地は現世の苦しみから解放するために阿弥陀様の造られた楽土。極楽浄土を体現した世界なのですから。生の苦しみから解き放たれなさい。俗世の罪過を洗い流しなさい。阿弥陀様はあなた方を救ってくださいます」

 底冷えするような目線で、ただし、と女は続ける。

「極楽浄土の掟に背けば、その身の罪に相応しい罰を受けるでしょう」

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