第2話 厘音と幻無

 厘音りんねという人は、とてものびやかで瑞々しい、だけど非常に思慮深くて真摯な文章を書くウェブ作家だった。

 はやりのライトノベルではなく文芸よりのスタイルだったこともあり、大人気とはいかなかったけれど、奥ゆきのある繊細な物語は、すくなくない読者の心をつかんではなさなかった。


 しかしあるときから連載はストップし、新作が公開されることもなくなった。厘音のページに動きがなくなって、確か一年ほどだ。

 つまり――そういうことなのだろう。死んでしまったから、更新できなくなった。そして誰にも内緒であったがゆえに、退会処理がなされることもなく、今もそのまま残されている。


「ぼくが見てもよければログインしてみますか? 突然更新が途絶えてしまって、厘音さんを心配するコメントがたくさん届いてますよ」


 ぼくはほとんど無意識のうちにそういっていた。確信のこもったその口ぶりを訝しく思ったのだろう。きゅっと眉間にシワを寄せて視線で問いかけてくる。『厘音わたしを知っているのか』と。


「ぼくはゲンム。まぼろしに無視の無で幻無げんむです」


 彼女とおなじ小説投稿サイトにぼくもいる。そして厘音の書く物語に心をつかまれたひとりでもある。


「え……えっ? えええええええぇえ!? うっそお! 幻無って、あの幻無さん? 不思議っていうかあやしいっていうか、なんか人を煙に巻くような話ばっか書いてる幻無さん?」

「え、ええ。そうですね。たぶんその幻無で間違いないです」

「ええええ……」


 誰にも理解してもらえない『見える』ストレス。その解消法としてはじめたのが、物語にするということだった。現実ではなかなか認めてもらえない経験も『物語』でなら受けいれてもらえるのではないかと思った。そしてそれは叶った。

 やはり大人気とはいかないけれど、多少なりとも固定の読者がついてくれている。そのことにどれほど救われているかわからない。


「そんな……」


 厘音は未だほうけたような、ぼやっとした表情でつぶやいた。


「私、幻無さんは女性だとばかり思ってました」


 さすがに驚きすぎではないかと思っていたら、そこか。

 ぼくは年齢も性別も明かさずに活動している。コメントなどを書くときの一人称は『私』にしていたし、どちらともとれる中性的な言葉づかいを意識していた。特別に男であることを隠そうとしたわけではないのだけど、公開している物語に、ぼく個人の性別とか年齢とか、見えるとか見えないとか、そういうフィルターをかけたくなかったのだ。なんていえばカッコよく感じるけれど、本音をいえば怖いだけなのかもしれない。『ぼく』をおもてにだして否定されるのが。

 創作の世界でくらい差別されたくない――というのが、たぶんほんとうのところだろう。ものはいいようというやつである。


「そういえば、彼はどうなったんです?」


 新婚旅行で事故にあったといっていたが、彼の安否と彼女の幽霊化になにがしかの因果関係があれば、そのへんが突破口になるかもしれない。


「一緒に死にました」


 そう答えた厘音はむすっといきなり不機嫌になった。


「そうですか。彼は――こっちには残ってない?」

「ないですね。彼、そそっかしいから。私を置いて自分だけさっさと成仏しちゃったんですよ、きっと」


 不満げに唇をとがらせる。どうやら不機嫌の理由はそれらしい。

 彼女は自分たちの葬儀も見ていたという。そして、彼の魂がどこかにいないかしばらくの間あちこち探しまわっていたのだとか。それで、気がついたらこのマンションまできていて、ひとまず空き部屋に落ちついたということらしい。

 しかし幽霊になった彼女と、成仏したと思われる彼。この場合、そそっかしいのはどちらなのだろう。


「あ、そうだ!」


 生者であればパンと音がしただろう。いきおいよく両手のひらを胸のまえであわせて、厘音は瞳を輝かせた。ずいぶんとイキイキした幽霊である。


「幻無さん、私のこと書いてくれませんか」

「……はい?」

「私、幻無さんのつかみどころのないお話大好きなんです。答えがないのが答えっていうか、結局どうなったのかわからない感じが」

「はあ」


 ほめられているのか貶されているのか、ぼくもわからない。


「それって、幻無さんがふつうの人には見えないものが見える人だったからなんですね」


 否定はできない。ぼくが書いているのはすべてぼく自身が見てきたもの、見ないふりをしてきたものが元になっている。それゆえにか、彼女が指摘したとおり、あいまいなぼやけたラストが多いのだ。


「ね、ね? 幻無さんに書いてもらえたら、死んでよかった! って思って成仏できるかもしれないし!」


 いや、どんな理屈だ。

 しかし現状打つ手がないのも事実だ。

 なにが彼女をこの世にとどまらせているのか――


「それなら、ご自分の連載を書いたほうがいいんじゃないですか。ぼくが代筆しますから」


 ぼくの提案に、彼女はわかりやすくしゅんとうなだれた。ほんとうにイキイキした幽霊である。


「無理ですよう」

「なんでです?」

「だって私のは彼とのエピソードが元になってるんですよ? あれは、彼と私の物語なんです。彼がいなくちゃつづけられません」


 そうだった。完結させるにしても、死んでしまった事実をどうするかという問題がある。彼女のこのようすでは、まだそこに向きあえる段階ではないだろう。


「だから、ね? 幻無さんが書いてくださいよ。本物の幽霊に取材し放題です。こんなチャンスめったにありませんよ? ね? ねっ?」


 思いのほか押しが強い。

 しかたない。乗りかかった船……というより、いつのまにか乗せられていた船という感じだが、ぼくも厘音ファンのひとりだ。


「わかりました。厘音さんをモデルに一作書きますよ」

「やった!」


 パッと笑顔になってガッツポーズをする厘音。

 しつこいようだが、ほんとうにどこまでもイキイキした幽霊である。



     (つづく)

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