狂イ世界のパラメータ
かなぶん
狂イ世界のパラメータ
『――――』
その問いかけは、どこか違和感があった。
問いの対象を呼んだ割に、自問のような独り言にも似ていた。
しかし、少年はこの時、違和感に気づきながらも真っ直ぐに答える。
勇者として、剣に倒れた魔王へ。
「当たり前だろ」
死に逝く聴覚に届いたかは知れないが、その瞬間、合せたように変わった魔王の表情は、見下ろす勇者しか知り得ず。
――それから幾年月。
夜の帳が下りた暗い部屋に、男が一人立っていた。
嵐の到来を予感させる雷が時折部屋を照らすが、遠い暗雲の中では届く光は僅か。
それでも男の堅い表情を読み取るには十分であり、これを厭うように男は片手で自身の顔を覆った。
洗う動きで数度撫で、大きく息を一つつく。
そうして項垂れては、己の亜麻色の前髪をくしゃりと握りしめる。
「……何故だ? 何を、間違えた……?」
思い返すのは、男自身の遍歴。
女神に選ばれ、勇者として世を脅かした魔王を討ち果たした。
そして、乞われて大国の姫と添い、勇者から王となった。
旅の仲間はそんな彼を、あるいは臣下として、あるいは国の垣根なく支え、彼も同じように、かつての仲間たちを受け入れ、支え、頼った。
いつしか勇者としての名声よりも、名君としての実績が世に知れ渡っていけば、彼は元より、家族、臣下、民、縁する者全てが、
――それなのに。
ある時を境に、王は悪夢を見るようになる。
それまで夢は勇者をよく助けるものであった。
神の身では過剰に手出しはできないと、女神がしばしば神託を寄せることもあれば、未来の危機を知らせることも、迷いを断ち切る機会になることもあった。
常にそうであった訳ではないが、それでも助けられた分、夢への信頼は厚い。
だからこそ勇者――王にとって夢は素晴らしいものであり、その分だけ、悪夢の衝撃は強いものとなった。
勇者を讃えるものであれば、なおのこと。
ある日の夢では恰幅のよい男が言う。
「ああ、勇者様は何と素晴らしい。あの方が憎き魔王を討ち滅ぼし、街道に近寄る魔物の数が激減したからこそ……儂もようやく”商品”を捌けるというもの」
卑しく笑う男が「なあ?」と向けた先には、檻の中にいる子どもたち。
服とも呼べない布きれを纏い、鎖に繋がれた顔に精気はない。
「街道に魔物が来なければ、忌々しい衛兵たちとて、そうそう荷にたかることもない。本当に、勇者様々……いや、さすがは我らが国王様! 万歳!」
高らかに笑った男は、掲げた杯を飲み下し、血のように赤い液体を肥えた唇の端から滴らせた。
ある日の夢ではギラついた目の女が言う。
「ああ、勇者様は何と素晴らしい。あの方が憎き魔王を討ち滅ぼし、森に棲みついた魔物を追い払ってくれたからこそ……アタシも”愉しく”生きていられる」
うっとり微笑む女は、妖しい小瓶に頬を寄せる。
女の周囲にも同じ顔つきの者がおり、辺りには細い煙がたゆたう。
「森に魔物がいなけりゃ、”薬”の材料にゃ事欠かない。まあ、たまには合わずにどうにかなる奴もいるが……そのまま極楽行きなんてうらやましい限りじゃないか」
クククと喉を鳴らした女は、小瓶の蓋を開け、恍惚に酔いしれる。傍らに狂ったように笑い続ける者がいても、ピクリとも動かない者がいても、見もせずに。
奴隷商も違法薬物も、彼の国で許されていない。
それなのに悪夢の中の賊は、勇者を讃え、王を讃え、己が悪事を誇る。
――彼が信頼する者たちの姿、声で、見たことのない笑みを浮かべて。
とはいえ、この程度であれば、彼は自分の頭を疑うだけで済んだだろう。
あまりに悪趣味だと、信頼する夢ではなく、自分が問題なのだと言えた。
王の地位が確固たるものとなるにつれ、疎遠となっていった者たちが、悪夢の登場人物として出てきても、ただただ未だ慣れない治政に疲れているだけなのだと。
だが、それから程なく、悪夢の内容をなぞるように、奴隷商や違法薬物の存在を匂わせる証拠が、悪夢の登場人物として出てきた者たちの生活圏から出てきた。
以降も、悪夢の内容をなぞるように、幾度となく。
極めつけは、悪夢の登場人物に全く知らない者が現れた時だった。その人物はよりにもよって、彼が悪夢を見るようになってから初めて現実に、悪夢通りの悪事を犯して捕らえられた。
それ以前の悪夢の主犯格は、誰一人として捕まっていないというのに。
疑念は新たな思考へ彼を誘う。
すなわち、他の主犯格が捕まらないのは、それが周囲の信頼が厚い者たちだからではないか。衛兵たちが探ろうとすら思わないほど、たとえば、彼らが仕える王の、かつての仲間では――
思考を断ち切るように雷鳴が轟く。
先ほどより近い音だが、暗雲で留まったためか、照らす光もない。
「…………」
現実に引き戻されたところで、見るもののない目はぼんやりと宙を仰ぎ、誰に向けてでもなくぽつりと呟いた。
「……この頃思い出す、あの魔王の最期を。あれは……あの言葉は――」
閃光が走る。
一瞬だけ、王の足下から闇が去り、尾を引く鋭利な輝きが、佇む部屋の中で抜き身の剣を持つ姿を露見させる。
その異様さを、誰あろう王自身が窓に見つけ、目を見開いたなら届く声。
『王よ。久しいな』
「……女神……様……」
更に驚き、のろのろとそちらを向けば、光り輝く白衣の美しい女神がそこにいた。
誰もいなかった空間に突如として現れた女は、自分の他には何も照らさず、緩やかに微笑む。王が勇者として託宣を受けた時と、何一つ変わらない姿で。
ゴクリと鳴らすと同時に気づく喉の渇き。
見せる姿ほど性別がないという神、現れたこのタイミング。
『息災か?』
「!」
柔らかく尋ねられて王の心臓が嫌な跳ね方をした。
(
王の中で、これまで遭った全てが繋がった。
垂れたままだった手に力が籠もる。
揺れていた瞳には、すでに迷いは見当たらず、近づく女神を無感情に射る。
女神は告げる。
『私はな、この世界が愛おしいのだ。この世界に住まう者たち、全てが愛おしい。幸いにして、彼らも神を愛してくれる。そして願うのだ。”この世界が永劫に続くように”、と私に祈りを捧げる』
舞台俳優のように腕を広げ、慈しむように両手を胸で組んだ女神は、虚ろな瞳に王の姿を映す。
『お前はとてもよい働きをしている。この世界の永続には欠かせぬ存在だ。蹂躙された地を癒やし、繁栄を促し、永遠を約し……』
王が一歩身を引く。
「……世界の永続…………つまり、これは、そういうことだと?」
戦慄く唇で問えば、ふわりと微笑んだ女神が、恋人へそうするように抱きついた。
『そう……そして、お前は壊すのだ。次の勇者のために。次の繁栄のために。お前こそが次代の魔王――狂王よ』
甘い声に雑音が混じり、苦痛の呻きが女神の唇を震わせる。
(神に流せる血はないのか……)
抱いたのは、味気ない感想だけ。
その瞬間、今までにない雷が部屋を隅々まで照らした。
つまびらかになる状況は凄惨。
女神の背には王が携える抜き身の剣。
部屋に倒れ伏すのは、いつかの悪夢に見たかつての仲間たち。
同じ血の海に沈む、何の関係もない従者たち。
真偽の是非はなく、疑いのままに斬り殺した骸の数々。
(確かに、狂王と呼ばれても……いや、間違いなく狂王だな)
大しておかしくもないのに、勝手に笑う顔。
つまりは全て、この世界のためなのだ。
この世界を永劫に存続させるために、勇者も魔王も存在する。
繁栄が生む枯渇を回避するために魔王が。
破壊で迎える終焉を防ぐために勇者が。
そして神もまた――
『時は来た。我が死をもって、次代の神が生まれ、次代の勇者が選ばれる。全ては愛しきこの世界のために。それまで……破壊に努めよ、狂王』
肩を押し、血に伏した神が絶え絶えに紡ぐのは、新たな使命。
(ご丁寧に神殺しまで背負うことになるのか。……なんということだ。何一つ間違っていなかったということか、魔王……いや、先代の魔王にして先代の勇者よ)
今度は腹の底から笑いが起こる。
慕う神さえも世界を永劫に続けるための道具に過ぎないのだと気づいて、知って、どうして笑わないでいられようか。
殺したかつての仲間たちへ目を向ける。
魔王が手にかけた事実だけのために死んだ者たち。
真偽はすでに問題ではない。いや、最初から何の問題もなかった。
世界は正しく進んでいる。正しく、狂い、永劫に――続く。
『――勇者よ、この世界が続くことに意味があると思っているのか?』
かつての魔王が死に際にかけた問い。
あれは恐らく、いつか勇者だった自分に向けてのものだったのだろう。
そして、「当たり前だろ」と答えた時に見た魔王の死に顔は……。
「あんなに安らかな死に顔まで逝けるかは、さて、分からないが……今しばらくは新しい役割に興ずるか」
悪夢に悩まされた時とは打って変わり、晴れやかな顔で独り立つ狂王は、すでに動かない女神の首目がけて、剣を叩きつけた。
狂イ世界のパラメータ かなぶん @kana_bunbun
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