朧守閑話 其ノ一「橋の向こう側」

夜白祭里

橋の向こう側 -五色橋 望編-

 赤く燃える鳥が蒼い塊を掠めて川面に突っ込んだ。

 間髪入れずに振り下ろされた刃が水面を割り、激しい飛沫を立てる。

 揺れ動く夜の水面に映る赤い光に縁取られた少年の姿が、刀が作った波紋に呑まれて消えていく。

 掬い上げるように、望は刀を振り上げた。

 水飛沫に混じる邪気に目を細める。

(……無傷か……)

 左手で腹を軽く押さえて息を吐いた。

 手袋ごしにわかるほど、黒いシャツが生温く湿っている。一週間前に他の邪物にやられた傷がまた開いたらしい。

(最近、回復が遅いなあ……)

 霊気を集中しても上手く塞がらず、激しく動くとすぐに開いてしまう。

 霊符を併用しているのに直りが遅いということは、霊体が弱っているのだろう。

 今夜の邪鎮めだって、そうだ。本当なら、先程の霊符で決着が着いていたはずだった。

 暗い水の中で濁った蒼が動いた。

 突き刺した切っ先を交わし、それは魚のように夜の川の中に隠れた。

(厄介だな……)

 火属性の望にとって、相克の関係の水を帯びた川は力を削がれるばかりか、感覚が鈍る危険地帯だ。特に、今のように不調の時は近づきたくない場所でもある。

 さらに悪いことに、今回の邪物は水属性。水中に逃げられると気配が紛れてしまって上手く捉えられない。

(……早く済ませて霊符を足さないと……)

 川から立ち上る水の気に霊気が相殺されているのか、いつもより出血が多い。

 ついに手袋の内側にまで染み始めた温い液体を押し返すように手に霊気を込める。

 ひらりと邪物の気配が過り、突き立てた刃が水を貫く。

(……遠くへ逃げない……。これに引き付けられてる……?)

 左手首の水晶に触れる。

 水晶の中の印玉から邪気が漏れている様子はない。

(へえ……、賢いや……)

 邪霊のように本能のままに襲ってくるタイプが大半だが、たまに知能を持つ邪物が存在する。

 少なくとも今夜の邪物は、片割れを封じた相手を理解し、報復を考える程度には知能を持ち合わせているらしい。

 それは望にとっても好都合だ。

 ――怪異を引き起こす前に封じてやる……!

 意識を集中し、水中の邪気を探る。

 何度も邪が通り、邪気が強くなっている場所。そこを狙えば――!


「後ろ!!」 


 背後からの声に咄嗟に振り向く。

 黒いアメーバが視界を覆った。

 ――怪異……!

 至近距離から撃ち出された水が右肩を撃ち抜き、薙いだ刀の軌道が外れる。

 刃は、アメーバの中央部で鈍い蒼光を放つ邪物に僅かに届かず、アメーバの上部を切断して空を斬った。

 肩から赤が散り、刀を握った右手がダラリと垂れる。

 すぐさま再生したアメーバが急激に広がり、蝶の羽のように左右へと伸びた。水壁は橋に届くほどに高く、二、三人くらいなら、余裕で呑み込めるだろう。

(これが……)

 展示されていた資料館を破壊し、警備員を昏倒させた能力だろう。

 倒れていた警備員達は、溺れたように大量の水を飲んでいたと聞いている。

 右肩に霊気を集中しながら踏み込み、邪物に向かい左手を振るう。

“十二天が一、白虎!”

 左手に出現した白く輝く刀がアメーバを貫いた。

 邪気と刀身が鬩ぎ合い、濁った水の気が蒸気のように溢れ出していく。

 貝殻がこすれ合うような耳障りな音が川原に響き、ボコリと左側で水がせり上がった。左肩に切り裂かれたような痛みが走る。

「これで……っ」

 邪気が散った。

 右手から突き出された刀が邪物の真ん中を正確に突く。

 先ほどよりも耳障りな音を立て、周りで水が大きく波打ったが、そこまでだった。

 望の肩に食いつかんばかりに大きく伸びたのを最後に、水壁がバシャッと崩れた。

 川の水へと戻って行く水の内から抜け落ちた邪気が、結界の天井で赤い幕に阻まれる。

 刀の先でヒラリと邪物が川面に落ちた。

 大きな蛤の貝殻が一枚、揺れ動く川の中でクルクルと回転し、雅な絵が描かれた面を上にして静止した。微かに残った邪気が貝殻に貼られた金箔の上で蒼く瞬く。

“十二天が一、太常!”

 オレンジの光が貝殻を内に封じ込め、川は元の静けさを取り戻した。

 漂うビー玉のような光の球体を拾い上げ、左手首の水晶の中に仕舞う。

「回収終了……、てこずったなあ」

 一息つき、望は臨戦態勢を解いた。

 空色に戻ったパーカーの左肩は裂け、左右の肩から袖にかけて、真っ赤に染まっている。一時的に霊気が強まっていたのか、右肩は動かせるようになったが、左は暫くかかりそうだ。

「さっきの声は……」

 五色橋の上には人影はない。

 意識を凝らしても結界の向こう側にも気配を感じない。

 もうどこかへ行ってしまったのだろう。

 補佐の誰かではない。

 町内の紋付隠人や覚醒の兆が出ている隠人は把握しているが、たぶん、違う。

「先に着替えなくちゃ……。これはもう洗っても落ちないなあ……」

 血まみれのシャツとパーカーに顔をしかめた望の頭上を碧の風が過って行った。

 

― 閑話 其ノ一「橋の向こう側」 完 ―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

朧守閑話 其ノ一「橋の向こう側」 夜白祭里 @ninefield

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ