会社で完璧主義な先輩の秘密時間と俺の裏の顔。
月島日向
第1話
「おはようございます」
俺は自分のデスクの隣で朝から誰よりも早くパソコンに向かい合っている先輩に一声かけた。
ぴしっと決めたスーツと、一つに束ねられた髪。頬の化粧はナチュラルで、銀座の真面目なOLと言う印象の人。
その彼女が俺の方を振り向いて目を合わせてくれた。
「菅田君。おはよう」
彼女は必要最低限の挨拶を交わすとまたパソコン画面を凝視し、タイピングする指を加速させた。
■■■■■
俺がこの会社に来たのは2か月前。今年の4月。
大学3年のインターン、いわゆる就職活動をすっぽかしのらりくらりと趣味に没頭していたせいで不採用通知ばかり受け取っていた俺を唯一拾ってくれた都内の広告会社。
社員は15人ほどの小さな会社。手がける仕事は広告会社の看板を挙げてはいるがほぼ『何でも屋』に近い。駅のパネル展示からWebのホームページデザイン、地域の自治体の情報誌までなんでもござりだ。
そんな会社で社長の次に偉い席に座っているのが隣にいる彼女である。
彼女の名前は
入社5年目にして上位階級に上り詰めた凄い先輩である。
見た目はとても美人で、俺的に少し垂れた目が好きだ。
そんな彼女が今、俺の教育係だったりする。
「菅田君、来週の打ち合わせも兼ねて挨拶回りに行きたいんだけど今、手、空いてるかな?」
良ければ一緒に行きたいのだけれど.....。
水津先輩が俺のデスクを覗き込むように体を倒してきた。
昨日頼んでた資料作成まだだよね。忙しいかな?
水津先輩は先輩という権力を振りかざすことなく遠慮がちに眉を伏せた。
「や、全然余裕っす」
半分くらいはもう完成してるんで。
行きますよ。
俺は起動したばかりのパソコンをスリープ状態にして先輩の顔を見た。
「ほんと?」
じゃ、支度してくるから菅田君はここの資料を5社分コピーしてこの茶封筒に分けて入れておいてくれるかな?
「了解っす」
先輩は外回り用の車の調達に行き、俺は受け取った資料をコピーするべく椅子から立ち上がった。
■■■■■
会社の地下駐車場。
会社のロゴが入った黒の軽自動車。
俺は資料が入った手提げ袋を持ち、先輩の後に続いて乗り込んだ。
「菅田君って自動車の免許もってたっけ?」
「あー、一応ありますね。高校卒業した後に地元で取り合えず取りました。けど、大学はこっちに出てきたんで.....マジの初心者と変わんないです」
俺は運転席に座る先輩に申し訳なく思いながらも、自分がペーパードライバーである事を言う。
「そっかぁ。そうだよねー。ここじゃ、電車あればどこでも行けちゃうしね」
「ですね」
俺は助手席で少し緊張していた。先輩のドライブテクに不安があるわけじゃない。先輩と2人きりなのが気まずいだけだ。
「菅田君って何か趣味あったりするの?」
突然ハンドルを握った先輩から尋ねられた。
「読書っすかね.....」
俺は無難な返答をする。
「読書かぁ。なんか入社した時そんなこと言っていたような.....?」
「そうですね.....」
「どんな本読むの?」
「あー、わりと純文学好きっすよ」
「そうなんだぁ。私、こう見えて活字苦手なんだよねー」
先輩は少し恥ずかしそうに照れた顔をした。
「そうなんっすか?」
意外だった。
先輩の学生時代はバリバリの文学少女を想像していたから。
「じゃ、逆に先輩の趣味ってなんすか?最近はまってるものとか.....」
質問返しされちゃったかぁ。
「んー、そうだなぁ。最近、最近かぁ」
特にはまりものがないのかそれとも仕事に生きがいを感じすぎているのか先輩は何かに悩んでいるようだった。
「うん。菅田君には言ったっていいかな?」
先輩は少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら言った。
「私、最近、配信者さんにはまってるの」
30前の私が何言ってるんだってかんじだよね。
先輩は笑て眉を垂らした。
は、配信者?
俺はある意味背筋の凍る思いをした。
■■■■■
昔はただの廃人として馬鹿にされる風潮があったネット界隈だが、最近はネットを極めし者と言う新しい考え方が世の中に出回ってきた。
配信者とは所謂ネットで声などを使ってゲーム実況や雑談をする人の事である。
そして、俺は驚き慌てて先輩の顔を見た。
「菅田君。配信者って知ってる?」
私だけ盛り上がっていたら恥ずかしいなぁ。
そう照れた笑みを浮かべる先輩に俺はどんな反応を返せばいいのか分からなかった。
知っていますでも、知っていませんでも嘘を付くことになるから。
苦し紛れに俺は返答する。
「ちなみに.............。お気に入りの配信者っていたりするんですか?」
俺はチラリと視線を流す。
「んー。私が昔から好きなのは◯◯キャスっていうサイトで顔を出さず声だけの雑談ゲーム配信をメインにしている『腕時計くん。』って人なんだ」
ぶっ!!!!!!
俺は持っていた紙袋を落としそうなった。
なにも飲み物を持っていないのに噎せそうにもなった。
よりにもよって『腕時計くん。』かよ.............。
「先輩。ちなみに、そいつのどこが好きなんですか?」
「んー。ちょっとヤンキーっぽいイケボ声でかっこいいんだけど、ゲーム実況とかしているとキャラが変わったように甲高く楽しそうにしているところかな?」
顔は見えないんだけど、声だけで「楽しそうだなぁ」って言うのが伝わってくるから。
彼女はその配信者の事を思い浮かべているのか耳まで真っ赤になっていった。
「そう言えば、話し方の雰囲気、ちょっと菅田君に似てるかも........?」
ふと真顔になって先輩は顔を近づけてきた。
「な、そ、そんなことありませんよ.........!」
全力で首を振り否定する。
「ねぇ.........」
ハンドルを握ったまま、先輩がじーっと俺の目を見つめてくる。
「せ、先輩?」
困った事に赤信号になり、車は止まっている。
まずい。バレる.............。
俺は背中に一筋の汗が垂れるのを感じた。
「ねぇ。菅田君.........」
「はい...」
■■■■■
「『どうもこんにちは。こんばんは。最近腕に付いてないとそわそわしてしまうほどに腕時計中毒になりかけてませんか?』って言ってみて!」
先輩は俺の顔を凝視した後にそんなことを言い出した。
は?
俺の思っていた言葉と違ってつい素っ頓狂で裏返った声が出てしまった。
「菅田君の声、私の好きな配信者さんの声に似てるんだ。良ければ、いつも彼が配信始めに言う決まり文句を言ってほしいなぁって」
お願い。こんなこと菅田君にしか頼めないもの。
手を合わせお願いされる。
「いつも、仕事で疲れたときに彼の配信を聞いて元気をもらっているの!」
お願い!
そこまでお願いされては、どれだけ脳が抵抗を示しても心が動かされる。
「まぁ、良いっすけど...........」
「ホント?!」
「それ、言えば良いんすよね?」
俺はさっき先輩が言った言葉を確認する。
「うん。なにかに文章打ち込もっか。覚えれないよね?」
気を使うようにスマホを胸ポケットから取りだしメモ帳の機能を開く。
「ああ。良いっすよ。だいたいさっきので覚えたんで」
正直、そのくらいなら頭を動かさなくとも口から出る。
「わかった。ごめん。無理なお願い聞いてもらって..........」
先輩の頼みなら全然良いっすよ。
「じゃ、お願いします!」
いつものクールな顔でパソコン画面を見ている先輩を違って、今はすごく期待に溢れたキラキラした視線を向けられる。
大人っぽいと言うより、ライブ会場前のファンみたいだった。
「んじゃ、いきます」
そうして俺はいつもの一言を口にした。
■■■■■
「ありがとう!!すごい似てた!」
スマホに声を録音させてほしいと言われさすがにそこは断った。
それでも、その後の外回りはいつも以上に気合いが入っているようだった。
そのおかげか、5社中5社全部の依頼を取り付ける事ができた。
「菅田君。ありがとう。今度その『腕時計くん。』のライブが武道館であるんだ。お礼に...........」
今まではバーチャルライブで素性が分からなかったんだけど、今回は本人の顔を拝める事が出来るんだ。
そう興奮気味に提案してくれた。
「..........ライブ、いつっすか?」
俺は自分でも白々しいと思いながらも聞き返す。
「7月21日の日曜日なんだけど.........」
「あー、すんません。俺その日、ちょうど外せない予定があって..........」
「そっか」
「あ、別にお礼とかいいですから。ただ台詞しゃべっただけだし.........。先輩が喜んでくれたならそれでいいです」
俺がそう言うと、少し申し訳なさそうに困った顔をしてくる。
別にそんなにお礼言われなくとも.............。
「じゃ、今度、ご飯おごってください」
俺は最大の譲歩を提案し、その代替案で妥協してもらった。
■■■■■
7月21日日曜日。東京武道館。
最大収容人数の14471人の観客が満員御礼で押し寄せる。
その中の中央で視線を集める人物。
「今日は俺のワンマンライブに来てくれてありがとな。東京武道館!!!楽しんでいってくれよなー!」
どこかの国の王子さまのような衣装に身を包み、マイクを握り、観客にチャームポイントの八重歯を見せ手を振る。
今日は『腕時計くん。』初の顔出しライブの日。
「お前ら!準備は良いか?いくぜ!『
俺は拳を突き上げ眩しいくらいの照明を肌で感じていた。
(今日、水津先輩来てっかな.............。)
この中で先輩が目を丸くしているのを想像し、俺は少し笑ってしまった。
これが広告会社で社会人をしている
会社で完璧主義な先輩の秘密時間と俺の裏の顔。 月島日向 @038408891160
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