悪夢(夜光虫シリーズ)

レント

第1話

 人が溢れる街中で、どこからかいつも賑やかで楽しげな音がしていた。

物売りも景気のいい顔で、道行く人に声をかけ、それに応える人も多い。

俺は両親に手を引かれて、そんな道を歩いていた。

ただ、不思議に思い、俺は母に声をかける。



「おれは京劇の学校に行くんじゃないの?」



 母は笑って違うわ、と頭を撫でた。

今から京劇を観に行くだけよ。そう、背後の音と混じるような声。

ただ優しい声なのは確かで、俺は父に担ぎあげられ、その腕に収まった。

なんの演目だっけな。なんて父の声もやはり、うまく判別のつかないものだった。

けれど、力強く笑っていることだけは分かる。


 俺たちは舞台の前に設置されたイスに腰掛けた。

小さな舞台で、その壇上に上がっているのも大人ではなく、どちらかと言えば子供に見える。

その中に額や目の周りを紅色に塗り、目尻を力強く描き足した化粧の子供、武生ウーションが舞台に躍り出た。


 あ、と俺は気がつく。あれは俺だ。

豪華な衣装に身を包み、しなる槍で打ち合いをしている。

客席を見渡す余裕などなくて、その目はずっと劇の中にいた。


 母さん、あれ、俺だよ。

急に自分の声が掠れ、喉が締り、発声が出来ないことに気がつく。

でも、それでも無理をして、両隣の二人に声をかけた。


 父さん、生きてたならどうして、会いに来てくれなかったの。母さんが毎日泣いてたよ。

母さん、俺のこと観に来てくれてたの?今どこにいるの?

あれ、俺なんだよ。二人とも気がついてる?


 頑張って声を出してもふにゃふにゃとした声になり、二人はそれに気が付かず、舞台ばかりを見ていた。

舞台上の俺も相変わらず気が付かない。

俺は本当の自分がどちらなのか分からず、体の感覚も薄くなる。


 すると突然、体が揺らされる感覚があった

後ろの席かどこかから、俺をゆさぶる手がある。

なんだかは分からない、でも、その手に負ける前に、二人に俺を、ただ、俺を。



「ね…ぇ…母…さ…」



 ハッと目を開けた。自分の妙にしわがれた声で、目を覚ました。

いや、それだけじゃない。

隣に寝ていたチョコが、俺のことを揺らしていたようだった。



「ジャンボ……」



 俺は数秒だけ放心して、今の出来事は夢なのだと、そう頭の中で整理した。

そして、目の前のチョコの存在もハッキリと認識し、ここは現実なのだと、自分に言う。

俺は夢の内容が勝手に頭の中を回っていたが、チョコの頭を撫でた。



「ありがとな」



 今度は声をしっかり出せた。当たり前だ。

ここは現実なのだから。



「……ねぇ」



 立ち上がって水を飲もうとする俺に、チョコは呼びかける。



「ジャンボも、寂しい時ある?」

「ん?」



 チョコは暗がりのなかで、ひと通り迷った顔をして、やっぱり覚悟を決めたらしい。



「みんなで、三人でいるのに。それすっげー楽しいのに。俺、たまに凄く寂しくなるんだ。

酷いかな……って思って、せっかく二人といるのに、そんなこと思うの。だから……黙ってたんだけど」



 チョコはまとまりのない言葉をそのまま吐き出した。

俺が今日見たような夢を、チョコも何度も見たのだろう。

けれど、本人から告げられたことはなかった。

珍しくぐっすり寝ているバニラだって、今まさに似たような夢を見ててもおかしくない。


 俺はひとまずコップに水を張り、一気に飲んだ。



「全然、あるよ。今見てた夢も、両親が出てきた。二人とも俺のことを見てくれない夢だった」



 いい大人がかっこ悪いだろうか。

なんて思うも今さらで、それなら本音で話した方がマシだと思った。

どうしても心に空いてしまった穴を、埋めることは難しい。



「ジャンボは……ジャンボは大人だけどさ。もし、お父さんとお母さんが迎えに来たら、一緒に行きたい?」



 俺はコップを置いて、寝台にのぼりチョコの横に腰掛けた。



「ないな。両親には悪いけど、やっぱり俺はもう大人だから。それにお前たちといるの楽しいし。

もし会ったら食事くらいはしたいけど」



 もう一度チョコの頭を撫でた。チョコは無言のままだ。

俺は促すように言った。



「でもお前らは子供だから、迷っていいと思うぞ。俺だって6歳だったら……まずは泣くよ、たぶん。

そんでもしかしたら親のほうを選ぶ。でも絶対、お前らに会いに来る。

……そんなとこかな」



 チョコは俯いていたが、そっか、と小さな声で言って、少し頷いた。

そんなチョコを俺は抱きしめる。



「悲しい夢だったんだ。今日はお前に抱きついててもいい?」



 ちょっとふざけた声で聞いてみると、チョコは頷いた。

そして俺たちはまた横になり、うとうとと眠りのふちに辿り着いていたのだが。



「うわぁー!」



 ガバッと二人で起き上がる。同時にバニラも起き上がった。

俺たちは三人で顔を見合わせる。



「……今の、バニラの声だよな?」



 バニラは顔面蒼白で、肩で息をしていた。どうやら自分の叫び声で起きたらしい。

俺とチョコはなんとなく視線を交わした。

やはり、バニラも悪夢を見るのだと。分かっていたけれど、互いに触れたことはまだなくて。



「悪い夢でも見たのか?」



 ジャンボは慎重に聞いた。

バニラは泣きそうな目でジャンボを見て、布団をギュッと両手で掴み、か細い声で答えた。



「ジャンボが宇宙人に乗っ取られて……UFOをいっぱい呼んで……チョコが包子バオズにつられてUFOに乗って……俺のことも呼んでた……」



 ジャンボは笑わないようものすごく我慢した。

当人にとってはとてつもない悪夢だろう、分かる、分かるよ。

でも、チョコはそれを聞いてためらうことなく吹き出していた。



「俺、包子で呼ばれんの。バカじゃん」



 自分の扱いが面白かったようで、チョコは笑い転げてた。

俺も肩の力が抜けて、そっと笑う。



「大丈夫だよ。宇宙人じゃないからUFOも呼べないし」



 バニラはチョコに大笑いされて少し照れながら怒っていた。

その頭をわしわし撫でる。



「もし俺がまた宇宙人に洗脳されても、お前が助けてくれるだろ?」



 ついこの間、二人の前でうった三文芝居を思い出す。

小さな子供にとって、あれはちょっとやりすぎだったのだろう。

多少の反省をしつつ、まだ笑ってるチョコにチョップをした。



「助けるよ。絶対助ける」



 バニラは真剣な顔で俺に言う。

チョコも慌てて、俺も俺も!なんて言っている。

俺は二人を抱きしめた。



「ありがとう」



 そのまま横になり、また悪夢を見たらお互いに助けような、なんて会話をした。

ふとさっきの夢を思い出し、6歳の俺が泣きべそをかいているところに、チョコとバニラが乱入するのかと思い浮かべる。

きっと二人は、俺の姿が違って子供でも、俺を見つけてくれるだろう。

彼らはきっと俺の事を見てくれるのだろう。


 エゴだろうか。でも、そんな気がした。

しばらく三人でくだらない話をして、やっぱりうとうとして、そのまま眠った。

こんな日々も悪くない。三人が三人の命綱になっている、そんな毎日だが、だからこそ得られるものもあると思った。


 今はそれだけで充分、幸せだと思った。



終わり

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悪夢(夜光虫シリーズ) レント @rentoon

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