根本的な問い

「うまく隠して……先生は気づくのかしら」


 その一言は、雫が水面に落ちて波立たせるように、僕の頭の中で浸透していった。

 千日紅さんは言った、見つけた人は誰だっていたずらだと思うと。そこに先生が含まれない道理はない。

 相手が国語教師だから、少し捻った伝え方をする。それはいい。

 僕が知っているのは「月がきれい」で告白に代えるとかだ。はたして実際伝わるかはともかく、洒落ている。

 だけどこの方法は、あまりに隠されすぎている。

 漢字五つの並びの違和感からそこに告白の意味が込められている、というだけでも伝わるかわからないのに、それを新入生へのメッセージの中に紛れさせるなんてすれば、先生だっていたずらだとしか思えないだろう。

で告白するつもりなら、直接は言えないにしても、いたずらに見えるようなやり方ではしないと思う」

「……確かに」

 千日紅さんの言う通りだ。


「……伝わる可能性は薄くなっても、誰かに知られることだけは避けたかった?」

 言ってみるが、それはないと自分で首を振る。

「あれだけ綿密な計画があって伝わらなくてもいいなんておかしいよね」

 それのどこがの告白だろう。

「わたし、ずっとどこか引っかかっていた。何に対してなのか、自分でもわからなかったのだけど……」

 隠されたメッセージを愛の告白だと明かしたあと、彼女がしばらく思案顔だったことを思い出す。

「いまやっとわかった」

 千日紅さんが自分でも確かめるような声で話す。

「わたしなら、秘めた思いがあったとして……そもそも伝えることすらできないけれど、もし伝えるなら、人の目に晒すなんて言語道断。新入生へのメッセージに隠しても安心できない。それを書くなんてすれば、もっと安心できない」

「……そうだね」

 人の目につくところに、恋文を置く。それは衆人環視の下で告白をしているようなものだ。直接伝える勇気がなかったのに、そんな大胆なことはできないだろう。

「花のフレームにしてもそう。座席表を装飾してメッセージを残すなんて、まるで見てくださいと言っているようなものよ」

 いくら白黒で目立たないと言っても、装飾をすれば注目は集まりやすい。事実、僕らはこうしてその人のメッセージを読み解いてしまった。

 他人に知られる危険を冒しながら伝わるかわからないような告白をするなんてどう考えてもおかしい。

「告白がしたいのなら、どうしてもっと普通の手段を選ばなかったの。どうしてその人は、ドアの前なんて場所に花のフレームでメッセージを残そうと思ったの」

 その根本的な問いを前に、振り出しに戻された気分だ。

「……文字の解釈が間違っていたのかな。告白じゃなかった」

 僕らは見当違いなことを考えてきたのだろうか。

 千日紅さんが小さく言う。

「……他に、読み方があるのかしら」

「…………」

 答えに窮する。


「……告白」

 そう言ってみて、告白の形も一つではないことに気づく。

 例えば罪の告白がある。その場合伝わることよりも吐露することに重きが置かれる。

 これも同様に考えられないか。

「北山先生への思い、それは伝えられないものだったんじゃないかな」

 生徒が先生に恋をする。それは世間一般認められるものではない。

「伝えられないけど、どうしても抑えられない。だからこういう形で思いを曝け出した。見つかってはいけないから、それとわからないよう隠して」

 いわば一方的な告白だ。

 筋は通るはず。

 しかし千日紅さんが縦に首を振ることはなく、押し黙っている。

「……違うかな?」

 彼女は拳の形を作って、視線を落とす。

「……そうだとは、思えない。その人には、もっと強い目的意識がある気がする」

 一応筋は通っていたはず。しかし自分でも当たっている自信が持てなかったのか、否定されて胸がすいた。

「確かにね。ただ曝すだけにしては、いろいろと手間がかかりすぎているか」

 座席表に合うフレームを作って、入学式に出向いて聞き耳を立てて。

「衝動的なものだとは思えないね」

 千日紅さんがこくりと頷く。

「……全て、意味のあることだって気がする。入学式の今日、花のフレームをつけて、そこに隠した思い。誰にもわからないように、けれど誰に見られても構わない、その矛盾。どうしてそうしたのか、きっと、そうする必要があったのよ」

 彼女は手のひらを開いて見つめる。

「柿原くんの言うこともすごく大事なことだと思う。先生への恋心なんて本当は隠さないといけないもの。でもそれを伝えようとした。……どうして伝えようと思えたのかしら」

 千日紅さんが問いかけるも、いたたまれない気持ちになって目を背ける。


 僕には、わからない。

 中学のとき慧が言っていたことが思い出された。

「国語で登場人物の視点に立って考えろとよく言われるが、よく知りもしない相手にお前はこう考えているんだろうなんて突きつけるのはおこがましいことだと俺は思う」

 それは下校時のただの雑談に過ぎなかった。慧がそうやって屁理屈を並べるのはいつものことだ。

 しかし、それがいまになって重くのしかかる。

 僕には好きな人がいない。

 まったく異性を意識したことがないわけではない。恋に憧れはする。しかしこの人と特別な関係になりたいとまで思ったことはない。

 はたしてそんな僕が、その人の気持ちを理解できるだろうか。

 さきほど自分の推論を否定されて溜飲が下がった理由がいまわかった。

 僕には秘めなければいけない思いを伝えたその人の心情がわからない。ただ口先で言い当てようとしただけだ。

 千日紅さんは、どうだろう。その人の気持ちがわかるだろうか。


 いつの間にか雲が多く立ち込めていて、陽光が遮られる。生徒のほとんどが下校し、静けさを取り戻しつつある校舎からは、幕が下りていくように彩りまでもが失われていく。

 偶然同時に顔を向けた。

 僕を捉えた彼女の目が、少し大きく見開かれる。そして、わずかに憂いを滲ませた。

 何かを、悟ったように。

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