入学式の参列者

 入学式に上級生がいるのは不思議ではない。吹奏楽部、在校生代表の人、生徒会がいたのは間違いないし、もっといたかもしれない。

 しかしその人が入学式にいたと考えるのはおかしい。

「体育館で担任発表を聞いてから、僕らが、もっと言うと一組が教室に戻るまでに校舎に入って五組の座席表に貼りつけないといけないわけだけど」

「式の最中に、校舎に行けたと思う?」

 首を振る。

「入学式にいる在校生には何かしら役割があるはず。それを放棄することはできないよ。第一、入学式に参加してる人は最後までいるのがマナーだ」

 きっちりと退席のタイミングは定められている。止むに止まれぬ事情でもない限りできない。

「途中退席って相当勇気がいるし、目立つと思う」

 いまでもまだ肌に感覚が残っているほど、あの場の空気は特有の静寂に包まれ張り詰めていた。座りなおすのが躊躇われ、体が強張るほどに。

 そうしようものなら周りの視線が痛いほど集まっただろう。そんな様子はなかった。

「後ろの扉も、ずっと閉まってた」

 千日紅さんがそう付け加える。

 退場するときの扉の音を思い出す。閉めた音は頭に残っていないが、開いたということは入場が終わってからそれまで閉ざされていたことに他ならない。

「あれが式の中で開いたなら、絶対音が響いたはずだよね。でもそれもなかった」

 入学式は、執り行われた。

「あと、横の扉も幕に覆われていて使えない」

 本当だ。体育館の周囲には紅白の幕がかけられていて、両側にある非常口からも出られない。

 物理的にも心理的にも、入学式の場から離れることはできなかったはず。

「ならどうやって北山先生が一年五組の担任だと知れたんだろう」

 考えをそのまま口に出す。

「中にいた人に協力してもらったとか? 携帯で伝えてもらって……いやだめだ」

 首を振る。

「教員の目もあって、あの場でそういうことはできない」

 それに先生が告白の相手ならそんなマナー違反の手段を取ってはいけないだろう。

「でも外と連絡を取るには携帯を使うしかない」

「……なかなか難しいわね」

 千日紅さんが風になびく髪を押さえながらそう言った。


 その様子を見て、思い至る。

「外だ。その人は入学式を体育館の外から聞いていた」

 千日紅さんは少し目を見開いて、それから首を傾けた。

「聞こえるかしら。弾幕があるし、騒音を懸念して扉は全て閉めていたんじゃない?」

「完全に締め切りだったなら、そうかもね。でもそうはなってなかった。たぶん足元に小窓があって、それが開いていた」

「どうしてわかるの?」

から」

 非常口が開いているほどの大きな揺らぎではなかった。そっちは千日紅さんが言うように近隣への配慮で閉まっていたのだろう。換気目的に小窓が開いていたんだ。

「それでも遠くからなら聞き取れるまではいかないだろうから、そばで聞いていたんだと思う。あと、マイクも良かったし」

 担任発表を行った教頭のマイクは、明瞭で耳に残りやすかった。

「それなら、聞けそうね。納得」

 ようやく僕も謎解きに貢献できた。

「ただそうなると、その人が誰かってことはわからなくなるね」

 入学式の参列者ならかなり絞られるけど、外なら誰でもありえる。

「それは構わない。知りたいだなんて思ってなかった」

「そっか」

 僕は知れると思っていなかった。

 それに内容が内容、誰がしたのか辿ろうとしては傍若無人だ。

 いままで話してきたのもその人が誰かを突き止めることではなく、その人が何をしたのかだ。

「これでそれ以外のことはわかったね」

 整理しながら話す。

「その人は北山先生が好きで、気持ちを伝えるつもりでいる。掲示板で二、三年のクラス発表があったのち、北山先生が一年の担任を持つことが予想された。それが発表されるタイミングが、入学式。そこで『おめでとう』に隠して伝える手段を思いつく」

 隠れた五つの文字、漢字。

「当日、体育館の外に息をひそめ、北山先生がどのクラスの担任かを聞く。すぐに校舎に入り、先生が教室に戻る前に飾りつけを済ませた。そして、僕がそれを発見した」

 息をつく。

 千日紅さんは無言で頷いた。

「……何というか、すごい執念を感じるね。それだけ本気ってことかな」

 始まりは、面白いお花見の話だなんて言っていた。それが、用意周到に創意工夫を重ね実現された告白だったとわかるなんて。

 はたして僕にも、誰かにそれだけの情熱を捧げるときが来るだろうか。


「本気……でも見つけた人は誰だって、いたずらだと思うでしょうね」

 千日紅さんが浮かない様子で言う。

「いたずら……うん、確かに」

 いたずらといっても、先生が見つけて「けしからん」と破り捨てるようなものを指したわけではないだろう。

 けれど的を射た表現だと思った。

 僕は面白いことだとこの話を持ちかけた。千日紅さんが指摘しなければ、ずっと誰かの愉快なサプライズだと勘違いしたままになっていたに違いない。僕のあとで見つけた人も、こうしてじっくり読み解こうとまではしないはずだ。

 そして告白の方法としても、新入生への祝言に見せかけて、実は自身の思いの丈を綴るなんて、さながらトロンプルイユやステレオグラムに通じるような遊び心を感じさせるものだ。初見で事の真剣さに気づけはしないだろう。

「うまく隠されているよ、これは」

 感心する僕の隣で、千日紅さんは足元に視線を落としていた。

「うまく隠して……先生は気づくのかしら」

 そう呟く千日紅さんの横顔に、表情に、知らされる。

 まだ謎は、解けていないのだと。

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