第37話 将来のこと


「陽古は……結婚したいって思わないのか?」


 答えは想像できるが、話の流れで訊く。


「思わないな」


 案の定、キッパリと即答した。

 だろうな、と返して次の質問をする。


「恋人もいたことがないのか?」


「それもない。恋とか愛とか、そういうのはよく分からなかったし、必要性も感じられなかった」


「まあ確かに、別に生きていく中でどうしてもっていうほど必要じゃないよな」


 世の中、恋をしないと生きていけない、と豪語する人がいるらしいが、時雨はそういう気持ちが分からない。


 愛だって、親の愛が分からなくてもこうして生きているので絶対に必要だという考えに行き着かない。


 それだな、と陽古が神妙に頷く。


「昔、ある神にお前は愛を知るために女子と付き合えと言われたが、恋も愛も分からないのに付き合っても相手に失礼だと私は思った」


「かえって相手を傷つけるかもしれないし、それが無難だと思う」


「時雨もそう思うか。経験は大事だというが、相手を傷つけると分かっているというのに、どうしてそうも気軽に言ってのけるのか」


 陽古がブツブツと愚痴を言い続ける。

 珍しい様子に時雨はマジマジと陽古を見つめた。


 陽古は滅多に悪口を言わない。あまり人や他の神に関わったことがないから、悪いところを見つけるまでには至らない、というのもあるかもしれない。


 よほどそのある神が無神経な奴だったのか、あるいは嫌味な奴だったのか。陽古は嫌味に気付かないタイプなので、もしかしたら前者かもしれない。


(そもそも、陽古は色々と無頓着だし、相手が可哀想だと思っていなくても、付き合わないだろうな)


 距離感がないように見えて、距離感がある。抱きつかれることはあるものの、たまになんともいえない距離感があることに気付くことがある。


 出会ったときと比べると距離感はなくなってきているが、種族の差以外のことでどこか一歩引かれて見られている感がたまにある。


 付き合うということは、片思いであれ両思いであれ、ある程度は距離感を縮める努力をしないといけないことだと時雨は思っている。


 思い出したかのように距離を少し置こうとする男が、相手を気遣っていなくても、お試しで付き合うことはしないだろう。


(そもそも、陽古は恋愛に向いていないというか。そういうことに感情を向けられないというか。基本的に他人に無関心だからな)


 陽古は怒りっぽくもなければ、嫉妬深くも独占欲も強くない。


 その理由は誰かに期待していない、というより人間不信によるものではないか、と最近そう思うようになった。


 人間不信、というより神不信による無関心。これがしっくりくる。


 陽古の過去は触りは知っていても、詳しくは知らない。


 父親に捨てられたと言っていたので神不信になる要素はある。小さい神に関しては名前は出ていないもののよく話に上がるのだが、他の神に関してはほとんど語っていない。先程の蛇神の話がかなり多いほうだ。


 ずっと引き籠もっていたというのも、そういう神不信によるものかもしれない。人間に対しては人間不信とまではいかないものの、やはり距離感がある。


 神と比べると人間は短命だ。だからあまり情を移さないように、距離を置いている可能性がある。


(いや、もしかして神不信の延長か……?)


 もしそうだとしたら、どうして時雨の家に住みたいと思ったのだろうか。時雨の家に住むということは、それこそ距離を縮める行為だ。


(むしろ距離を縮まっても構わないって思ってくれているから、住みたいと言ってきたのか?)


 そう思うと、少し、いやかなりの優越感が込み上がってくる。


「それはそうと時雨よ」


「な、なんだ?」


 いきなり話しかけられて、声が裏返る。そんなのお構いなしで陽古が訊ねた。


「そういう時雨は、恋人とやらは作らんのか?」


「おれ? 作る気ないけど」


 別に突拍子でもないが、意外性のある質問に時雨は胡乱げに首を傾げる。


「時雨は人間なのだから、将来のことを考えてきちんと考えないといけないと思うぞ? 人は一人では生きていけないとよく言うから心配だ」


「別に恋人は必要ないだろ? 陽古も同意したじゃないか」


「しかし時雨はこれから人の世を生きていくのだろう? あわよくば孫を抱かせてもらいたい」


 真顔で言いのけるものなので、時雨はうんざりした面持ちで陽古を見据えた。


「お前はおれの親か」


「心情的にはじいさんに近い。ん? なら時雨の子供は曾孫になるのか?」


 表情を崩さず陽古は首を傾げる。


「そもそも、陽古はおれのじいちゃんじゃないだろ」


「そうだが、私を安心させてほしい気持ちが強くて」


「…………」


 完全に保護者の視点だ。


 少し、いやかなり複雑な気持ちになったし突っ込みたいところがあったが、それを呑み込んで盛大に溜め息をつく。


 恋人だとか、結婚だとか。そういうことを夢見る前に先に見るべきものがある。


「そんなことより、おれは進路を考えないといけない」


 もうすぐ高校三年になる身として、真っ先に考えなくてはならない。


「しんろ、とは就職か進学か決める、ということか」


「そう」


「時雨はどちらか決めたのか?」


「就職、かな」


「進学はせんのか?」


「このへんは女子大しかないからな」


 前はもう一つあったが、既に廃校の準備が進められており、来年から応募しないらしい。


「けんちょうしょざいちとやらには大学はないのか?」


「あるけど、ここからあまり出たくないというか」


「何故だ? 大学卒のほうが世間的には受けがいいのではないか?」


「高卒でもメリットはあるぞ。その分社会経験を積めるとか、大卒だと基本給上がるところあるけど人件費の都合で高卒のほうが安いから採用しやすいとか」


「後者はやるせないな」


「不景気だから人件費を削るところが多いらしいぞ。おれはばあちゃんを一人にしとくのは心配だし、それに」


 陽古を一人にさせたくない、と言いかけて口を噤む。


 祖母は隣の町に伯母がいるので、毎日ではなくても様子を見に来てくれるだろう。


 だが、陽古は誰も来てくれない。時雨がいなかったら、また一人で過ごすことになってしまう。


 それが堪らなく嫌だった。陽古の気持ちなどを考慮せずとも一人にさせたくはなかった。


 それを伝えるのも気遣われるのが目に見えているので、黙っておこうとしていたのだが。


 陽古はじっと時雨を見据えた後、真剣な声色で訊ねてきた。


「時雨や。もしかして私のことを気にしているのか?」


 疑問形だが、やけに強い口調だった。


 確信をもって訊ねてきていることを察し、気まずくなって堪らず目を逸らす。

 すると陽古は、呆れたように溜め息をついた。


「子供がそういう気遣いをするではない。そういう気遣いは大人になってからしたらよい」


「別に陽古のために残りたいわけじゃ」


 珍しく陽古が時雨の言葉を遮る。


「なんだかんだで私のことを心配してくれているのは、分かっておるよ。だが今は、将来困らぬようにするために大事な時期なのだろう? 高校生の進路は人生の岐路だと本に書いてあったぞ」


「その本に書いてあることが正しいってわけじゃ」


「承知の上で言っている」


 また遮られ、ぐっと言葉を呑み込む。


 強めの口調で言ってきた陽古だったが、一拍だけ口を止める。そして、穏やかで優しい声色で諭してきた。


「私が言いたいのはな、心配してくれているのは嬉しいが、それで時雨の将来を狭めてしまうのは心苦しい。それならば年寄りのことは気にせず、時雨がやりたいことをやってくれたほうが嬉しい、ということだ。


地元でやりたいことがあるのなら地元に残るのもいいが、時雨は地元愛があまりないから、別に町おこしをしたいとも思ってもいないのだろう?」


 酷い言い草だが、その通りなので否定はできない。風景に対して愛着はあるが、小学生時代に良い思い出がないからなのか、地域おこしをしたいと思えるほどの地元愛はない。


 反論したくても、珍しく陽古がまともなことを言っているので、戸惑いもあってやりづらい。


「やりたいことが、ないし」


 言い返す言葉が見当たらなくて、辛うじて言えたのはそれだけだった。


「それならいっそう、もっと外の世界に目を向けて、自分の世界を広げてほしい。外に行けない私の代わりに、色々と見て回ってほしい。私はそう願っているよ」


 陽古を一瞥する。その顔は慈愛に満ちていて、それなのにどこか遠くの景色を見ているような、眩しい目で時雨を見つめている。


 なんだか痛まれたくなって、すぐ視線を逸らした。


「時雨~」


 階段の下から祖母の声が響き渡る。


「夕食の時間になったようだな。いってこい」


「あ、うん」


 内心ほっとしながら、さっさと一階に下りていった時雨に、陽古はぼそっと呟く。


「むむ……このままだといかんな」


 眉を顰め、考え込んでいると机の上にあるノートが目に入った。朝に今日はいらないから、と出掛け際に置いていった国語のノートだ。


 それをしばらく見た後に、陽古は閃いた、といわんばかりに輝いた。

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