第31話 陽古の心配

「すまない」


「なんで、陽古が謝るんだ?」


「私の神通力に触れたばかりに、時雨は恐ろしいものを視えるようになってしまった。今は黒い靄だけだが、いずれは完全に視えるようになってしまうだろう」


「……陽古が気にする事じゃない」


「時雨は危機感が無さすぎる」


 悲壮ひそうしきった顔で、陽古は時雨をめつける。


あやかしも人間と同じように、良い妖と悪い妖がいる。この辺は良い妖が比較的多いらしいが、悪い妖もいるのだ。視える、ということは妖を惹きつけてしまう要因の一つだ。今までは私しか視えなかったから無事だったが、これから悪い妖が時雨に危害を加えるかもしれない」


 時雨はいまいちピンッと来なかった。幽霊は先程見たが妖怪は視たことがない。


 妖怪のことも詳しくは知らない。妖怪が出てくる小説も読んだことがあるが、そこまで深堀していなかったものが多数で、おどろおどろしいものに手を出していなかった。


「時雨」


 珍しいとがめた口調に、時雨は首を傾げる。


「昨日までそちら側の者だったが、今の時雨はこちら側に片足を突っ込んでいる状態だ。認識を改めないと、こちら側に引っ張られて取り返しの付かないことになる。これから神や妖について学んだほうがいい。人間の書物は真実との誤差がところどころあるみたいだが、それでも全く知らないよりかはいい」


「はぁ」


 気の抜けた返事に、陽古はもっと強めな口調で言ってきた。


「時雨。他人事ではなく自分事のことだ。すぐにでも認識を改めるように」


「わ、わかったよ」


 今まで一番真剣かつ低い口調にたじろぎながら、時雨は神妙しんみょうに頷いた。


「うん、今度妖怪の辞典みたいなのを買うよ。正直今はまだ実感ないけど、これから色々と調べてみる」


 宣言すると、陽古は幾分か表情が和らいで、それがいい、と囁く。


 陽古がまた黙り込む。


 しばらく逡巡しゅんじゅんした後、陽古は自らの首の後ろに手を回した。ゆっくり腕を上げて、取り出したのは、翡翠色の勾玉まがたまが付いているネックレスだった。


 根付けのような赤い紐を勾玉の穴に通しただけのシンプルなものだが、勾玉は微かに光を帯びていた。


「それは?」


「これは神器じんぎの一種だ。私の力が宿っている。これを付けていれば、妖の類いは寄って来ない。魔を退ける力が備わっているはずだ。これを肌身離さず持ってくれ」


 陽古は肩をすくめながら、付け加える。


「本当はそのおばあさんをあの世へ送り返せたらいいが、残念ながら私には強制的に除霊する力は備わっていない。浄化する力も残っていない。出来るのは退けるくらいだ」


「神って除霊できるものだと」


「妖を滅するは出来ても、除霊はできんよ。追い払うことはできるが。まあ、魂そのものを滅することは出来るには出来るが、あまりよろしくない方法だな」


「さらっと怖いことを」


 魂を滅する。それは輪廻りんねも叶わず、存在そのものを消されるということくらい、時雨にも想像ができた。


 それを表情を変えず、さぞ当たり前のようにけろっと言いのける陽古に、時雨は改めて陽古が人間ではないことを実感した。


「あくまで最終手段だ。神を激昂げっこうさせたら、色々とすっ飛ばして消される可能性もある。だからあまり神と関わることを避けたほうがいい。私のように人間に対して特に何もしない神もいれば、短気な神もいる。用心に超したことはない」


「ああ、うん。つまり、この勾玉は効果お墨付きの魔除けのお守りってことだな」


「平たく言えばそうだな。分かりやすく例えると、熊鈴みたいなものだ」


「熊鈴」


 分かりやすい例えだが、有り難いもののはずの物が一気に庶民染みた物に見えてしまった。


 けれど、それを語る陽古の目があまりにも真剣だった。その眼差しから逸らしたくて、勾玉のネックレスに視線を移す。


「神器って言っていたけど、大事な物じゃないのか?」


「大した物ではないよ。だから、受け取ってほしい」


 躊躇ちゅうちょしながら、時雨はそれを手に取った。ここでやっと、陽古は安心したような微笑みを浮かべる。


「あとは」


 そう呟いた直後、陽古が時雨の後頭部に手を回した。


 時雨が何かを言う前に、陽古はそのまま時雨を引き寄せて時雨の額に自分の額を当てた。


 顔が近かったことは何度もあったが、こんな眼前に迫るほど近かったことはなくて、咄嗟とっさに身を引こうとするが思いのほか強い力に阻まれて叶わなかった。


「ひ」


「少しだけ黙っておくれ」


 名前を呼ぼうとしたが制され、時雨はドギマギしながらも口を閉ざした。


 今まで見たことのない陽古の姿を連続で見たからかもしれない。頭が今の状況に追いつかない。


 とりあえずこの顔面偏差値が高い男から顔を離して落ち着きたい。けれど、陽古は離すつもりはないらしく後頭部に添えられた手の力が強い。


 狼狽うろたえていると、額が温かくなった。最初は陽古の温もりが移ったのだと思ったが、そこから徐々に全身が温かくなってきた。


 額から頬へ、胸へ、手へ、足へ。温もりが優しいスピードで全身を巡っていく。


 さすがにただの温もりではないことを察した。こんな感覚、初めてで。


(はじめて……?)


 疑問にぶち当たる。


(前にも、こんなことあったような)


 思い出す前に後頭部から陽古の手が離れ、ゆっくりと身体も離されていった。


「これでしばらくは大丈夫だろう」


 満足げに呟いた陽古に、時雨は戸惑いながら訊いた。


「なにを、したんだ?」


「なに。おまじないを掛けただけだ」


「おまじない?」


「永久的ではないが、時雨が私以外視えないようにした」


「は?」


 時雨は思わず頓狂とんきょうな声を上げる。


「だったらわざわざ妖怪のことを知っておく必要なんて」


「永久的ではないと言っただろう。気休め程度にしかならんがやらないよりかはいい」


 けろっと言いのけた後、陽古は申し訳なさそうに眉を八の字にする。


「すまない。今の私には、これが精一杯だ」


「いや、心配してくれたんだよな。ありがとう」


 慌ててお礼を言いながら、時雨は額に手を添えた。


「その言葉は私には勿体ないよ…………すまない」


 今にでも泣きそうな顔で項垂れる陽古に何かを言おうと口を開いたけれど、どんな言葉を掛けたらいいか分からなくて、結局口を閉ざした。


 しばらく沈黙が続く。


 どうしたらいいか分からないでいると、遠くの方でからすの声がして我に返った。


「あ、門限」


「ああ、なんだかんだでもうそんな時間か」


 陽古も顔を上げて、空を見上げる。時雨も釣られて空を仰いだ。


「時雨のおばあさんが心配するな。今日はこれでお開、き」


 直後、ドサッという音が身近で聞こえた。


 視線を戻すと、そこにいるはずの陽古がいない。おそるおそる下に視線を移すと、そこにはうつぶせで横たわっている陽古の姿が。


「陽古っ!?」


 慌てて陽古の傍でかがみ、肩を掴んで身体を揺らす。だが、意識を失っているのか反応が全くない。


「陽古、陽古!」


 さらに揺さぶるが返事がない。


 救急車、と頭に浮かんだがすぐ候補から外す。呼んでも無駄だ。


(ていうか神様の構造ってどうなっているんだ? 人間と一緒か?)


 人間と一緒なら応急処置ができるが、違ってたらどうなる?

 いや、そもそも倒れた原因が分からない。


「どうすればいいんだよっ……!」


 対処方法が分からず、時雨は途方に暮れた。

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