第26話 送り火②
「陽古」
「なんだ?」
「陽古ってさ、昔会った人のことを覚えているのか?」
「それは、私が視えていた人だけのことか?」
「まあ、そうだな。視えなかった人の中でも覚えている人がいるのか?」
「印象深い人は覚えているよ。とんちんかんな事件を起こした人とか、微笑ましい事故を起こした人とか。さすがに顔は覚えていないが」
「とんちんかんな事件も気になるけど、微笑ましい事故ってなんだよ」
「妊娠したと妻から聞かされた男が、浮かれすぎて
「それ、どちらかといえば悲惨な事故じゃないか?」
「そうか? なんだかんだで周りも本人も笑っていたが」
きょとんとした顔で、まあかなり臭くてしばらくの間奥さんが近寄らなかったが、と付け加えたがもうそれでいいと投げた。
「話は戻して、その……今まで視えていた人って何人いたんだ?」
ドキドキしながら、ずっと気になっていたことを口に出す。
気になっていたけれど、訊いたら思い出して悲しい思いをさせるかもしれないのと、過去の人たちに対してモヤモヤしそうで逆に知りたくなくて、訊くのは
口に出して、やはり訊くべきではなかったか、と少し後悔していると。
「時雨を合わせて四人だな」
さらりと言いのけたものだから、時雨は目を瞠って口をポカンと開いた。
「え、は」
「どうしてそう驚いているのだ?」
「あ~……思っていたより少なかったのと、思い出したら悲しくなるかな、とか気になってて」
「ああ、そういうことか」
陽古が得心したように呟いた。
「交流してきた人の数であって、私のことが視えていた人はもっといたぞ」
「そうなのか?」
「実際には口を交わしたことはないが、目が合ったり遠くから見られていたり、
「みどりごって?」
「赤ん坊のことだ。幼い子はそういうことに聡い子が多いから、よく幼い子にじっと見つめられたな」
「あー。確かに小さい子ってそういうところある」
店で三歳も満たないような子と擦れ違うと、こちらを窺うように無言で凝視してくる。ああいう目で見られると何だか気まずくなる。
「さて、過去の友を覚えているか、という質問だったな」
時雨は目を丸くした。
話を戻すのはいつも時雨の役割で、陽古が自ら話を戻すとは珍しい。
陽古は時雨から送り火に視線を移し、のうのうと語り始めた。
「全部は覚えていない。なにせ最初の人が神代時代の頃だ。すぐ病死してしまったから、そんなに長いこと一緒にいなかった。まだ七歳の少年だったよ」
「七歳……」
「まあ、それは時代だ。仕方のないことだ。次は平安時代というのだったな。そのときに出会ったのは彼女だった」
「源氏物語の?」
「そうだ。父親が貴族で、仕事についてきたとかで会ったが任期が終わったら帰って行った。それ以来会っていないから、これも短いな」
淡々と語る陽古の顔に、悲しみがないように見える。
「じゃあ」
前の人は、と訊こうとして口を噤む。
その人のことはなんだかとても訊きたくなかった。
「その二人のことは、思い出すことはできるが事細かく覚えていない。三人目はつい最近のことだったから、まだ覚えている。が、それでも忘れていることはあるよ」
陽古が目を細める。メラメラと燃えている炎の光が目に反射して、仄かに揺らめいている。
ゆっくりと言い聞かすような、優しい口調で陽古は言い紡ぐ。
「声も、顔も、ぬくもりも、一緒に食べた食べ物の味も、匂いも、いずれは思い出せなくなる。話した内容も忘れてしまう。それは当たり前のことだが、やはり寂しい。だが」
言葉が途切れ、おもむろに陽古が空を仰ぐ。時雨もつられて空を見上げた。
空は藍色に包まれつつあり、薄らと星が見え始めていた。その空に向かって、送り火の煙がモクモクと吸い込まれていく。
「そこにいたことだけは、ずっと覚えているよ」
時雨は視線を下ろして、陽古を見た。
涼しい風が通り過ぎる。炎に照らされた横顔が、ただただ綺麗だった。
「それが記憶の中……いや、心の中で生きている、ということだと私は思うよ。いや、思えるようになった、だな」
陽古が時雨に振り返る。視線が絡むと、目元を柔らかくして笑んだ。
「時雨のおかげだ」
「お、おれは別になにも」
「時雨が色々と小説を持ってきてくれたおかげで、こんな風に考えられるようになった。ありがとう」
恥ずかしげもなければ
パチパチと火の爆ぜる音が、二人の間に流れる。
「時雨」
陽古が話しかけてきた。
「なんだよ」
「焚き火を見ていると、焼き芋が食べたくならないか?」
「はぁ?」
先程までの雰囲気とか打って変わりすぎる台詞に、
「焼き芋食べたい」
「……」
トウモロコシを食べたばかりだというのに、何を言っている。
「…………今は旬じゃないから、秋になったらな」
マイペースなのはいつものことなので、すぐに持ち直した時雨が告げたのはそれだった。
「約束だ」
「はいはい」
盛大に溜め息をつきながら返事をした。
(そこにいたことは覚えている、か)
送り火を眺めながら、陽古の言葉を反芻する。
(おれが死んでも、陽古はおれがいたことは覚えてくれるんだな)
忘れられるよりか嬉しいのに、何故だろう。チクチクと胸が痛んで、切ない。
それを振り払うように、時雨は隣にいるクロを撫でる仕草をした。
ひぐらしの他に、虫の鳴き声がする。それに耳を傾けて、夏が終わりに向かっていくのを感じた。
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