第24話 祖父の話


「おじいさんはどうして亡くなったのだ?」


がんだよ」


「がん、は最近の病気だったか」


「最近なのかは分からないけど、そう」


「では最後は苦しかったのだろうな……」


「だと思うよ。おれは立ち会っていなかったから、どんな最期だったか分からないけど」


 その時、時雨は珍しく自分の家で過ごしていた。母が珍しく家にいたからだ。


 母が鳴り響いた電話の受話器を手に取り、少し話して受話器を戻したと思ったら、鼻をすすって。


 どうかしたの、と訊いたが母の口から出るのは嗚咽おえつ混じりの言葉で聞き取れなかった。聞き返すのもなんだか悪い気がして、ふーん、としか返せなかった。祖父が死んだと知ったのは、翌日。お通夜の時だった。


「隣町の病院で死んだんだ。発覚した時はもう手遅れで、入退院の繰り返しだった」


「退院しても、出かける身体ではなかったのか?」


「ああ。家の敷地から出なかったな。本人は行きたそうにしていたけど。ほら、そこ」


 時雨は離れの玄関の前に指をさす。そこは二人が敷地内に入ってきた場所であり、ちょっとした広場になっている。


「家にいるときは決まってそこに突っ立って、遠くの山を見てた」


「山? どの方向だ?」


「あっちのほう。本当に山を見ていたかどうかは分からないけど」


 あの頃の記憶が蘇り、きゅぅっと胸が締め付けられる。


 癌に冒された祖父は家に帰っても、怠そうに家のソファに座っていた。


 時雨のことを放っていた両親に対してあんなに怒っていたのに、病魔に侵されてから怒ることもなくなった。


 祖父は覇気はきがある人だったけれど、覇気がだんだんとなくなっていった。どんどんと弱り切って死に向かっていくのが幼かった時雨も怖くなるほど分かった。


 体力もどんどん減っていき、家から出ることも少なくなっていった。出ても家の敷地内から出ず、ただ静かにたたずむだけ。


 一度だけ、佇んでいる時の顔を見上げた事がある。祖父は何かを見据えていた。その先を見ても、あるのは山だけ。けれど、祖父の目は何かをとらえていたような気がした。


 視線の先を問う事は出来なかった。とても入り込めない壁があった気がしたからだ。


(もう、答えを知る事はできないけど)


 ただ、瞼に焼き付いて離れない。祖父の佇む背中を。昔はたくましかった背中が頼りなさそうに揺れ、憂いをまとったその背中が。

 

どうしても、忘れなれない。


「……彼は幸せだっただろうか?」


「さあ、分からない。病気は苦しかったし辛かったっていうのは分かるけど」


 厳しい人だった、と母から聞いた事がある。祖父が幼い母を叱る際、鯉の池に放り込んだことがあってその時に出来た傷がまだある、と母が苦笑していた。


 だが、時雨には厳しかった祖父の記憶はない。両親の代わりに面倒を見てくれて、優しかった印象しか残っていない。怒っているときは確かに怖かったけれど、親代わりであったからやっぱり好きだった。


 ランドセルと勉強机や本を買ってくれたのも祖父だった。


 今思い返すと、余生を時雨の世話で潰してしまって申し訳なくなって罪悪感が浮上する。


 罪悪感を無理矢理振り払って、陽古のほうに振り向く。


「ていうか、なんでそんなことを訊くんだよ」


 祖父が幸せかどうかなんて、陽古には関係ない話なのに。


 陽古はふっと笑った。


「なんとなくだ」


 そう言って踵を返す。


「ところで時雨のところは、トウモロコシを育てていないのか?」


「じいちゃんが生きていた頃は育てていたけど」


 そこまで言って、また記憶が浮かんだ。


(そういえば、あそこは昔トウモロコシ畑だったな)


 母屋の向こう側には、芝生が敷き詰められた小さな庭があって、向かい側には元犬小屋があって、その間に下の畑に続く道がある。その畑が昔、トウモロコシ畑だった場所だ。


 夏になると従兄弟達が集まって、祖父に教えてもらいながらトウモロコシを収穫していたものだ。あの頃はまだ小学高学年もいっていなくて、祖父と祖母に手伝ってもらって、ようやく収穫できた。


 祖父が死んでから、いや、それ以前から畑仕事を徐々に止めていき、トウモロコシ畑も枯れて、今では雪乃が趣味として育てているくらいだ。


「どうしたんだよ、いきなり」


「いや? トウモロコシを食べたくなっただけだ」


「唐突すぎるぞ」


「時雨は食べたくないのか?」


「別に」


「本当に食べたくないのか? 七輪しちりんで焼いたトウモロコシ」


「七輪で……」


 思い出がまた脳裏のうりかすめる。


 収穫が終わると、小さな庭で祖父が七輪でトウモロコシを焼いてくれて、従兄弟たちと一緒に食べていた。ああ、そういえばあの頃クロはまだ生きていて、じっとこちらを見ていたっけ。


 炭火で焼いた香ばしい匂いが、鼻を擽る。


 そのままでも美味しかったが、醤油を掛けるとまた香ばしい匂いが漂ってきて、食べるとトウモロコシの甘さと醤油のしょっぱさが絶妙に絡んで、これまた癖になって。


 途端、大きな腹の虫が鳴った。ついでに口内が唾液で溢れかえる。


 陽古は悪戯に成功した子供のような顔で、時雨の顔を覗き込んだ。


「時雨も食べたくなったようだな?」


「…………喜べ。ちょうど冷蔵庫にトウモロコシがある」


「七輪は?」


「ある。炭もある」


 祖父が使っていた七輪は今も現役で、たまに魚を焼いたり焼き肉をしたりと大活躍している。だからすぐ出せる場所に置いている。


「ばあちゃんが帰ってくる前に焼くぞ」


「時雨、最高だ」


 陽古がグッと親指を突き立てる。


 その仕草、どこで覚えたのか。小説か。


 地味に影響されているな、と思いつつ時雨は七輪を出すために離れと母屋の間にある勝手口に入っていった。

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