第23話 陽古と家へ

 一六日の三時頃、時雨は陽古を迎えに神社に向かった。


「時雨とこうして並んで村を歩くのは、はじめてだな」


 ウキウキした様子で横で歩く陽古を見て、小さく笑む。


「そういえば今日は小さくならなくてもいいのか?」


「ん? ああ、短距離だから問題ないよ。それにたまにはこれくらいの距離を歩かんとな」


「陽古って一日どれくらい歩くんだ?」


「山の中をふらっと散歩するくらいだな」


「山の中って、この前の山のことか?」


「ああ」


「それ多分、うちまで歩くよりも運動量が多いぞ」


 あの整備されていない山を思い出す。道と言えば獣道のような細くそこそこ勾配こうばいがある坂道しかなく、地面は凸凹で時々大きめの石が転がっている。あの山を歩き回るだけでも、足腰を鍛えることができるのではなかろうか。


「そうかもしれんな」


 神社に続く道を抜け、車道に出る。


「時雨の家はここから左の方向か?」


「そうだよ。あの橋を通るんだ」


 指を指すと、陽古がその方向に目を見やる。すると小さく、あ、と呟いて橋を見据えた。


 その呟きが何かに気付いたように聞こえ、時雨は首を傾げる。


「なんか変なところがあるのか?」


「いや、なんでもないよ」


 陽古が首を横に振る。


 怪しいと思ったが、問い詰めるほど気にしてなかったのでそれ以上追及せず先に行く。


 橋の真ん中まで行くと、陽古が橋の高欄に手を添えて川を覗き込んだ。


「改めて思ったが、川の幅がだいぶ広くなったな。底も深い」


「昔は狭かったのか?」


「大雨のたびに川沿いの田んぼが全部浸かって、稲が全部流されたものだ」


「相当な被害だったんだな」


「ああ。川が広くなって、その田んぼは削られたみたいだが。昔はこの辺り一面田んぼだったよ。開拓されたか、川が広くなっても当時よりも村が広く見えるな。あ、魚がいる」


 興味津々と川を眺める陽古をそっとしておきたい気持ちになるが、さすがに影のないところで突っ立つのは辛い。


 気が引けるが声を掛けた。


「陽古、行くぞ」


「ああ」


 素直に高欄こうらんから手を離したが、周りをキョロキョロと見回している。


 近所なのに本当に村へ下りていなかったんだな、と改めて実感しながら陽古に話しかける。


けるからちゃんと前見て歩け。ここら辺は人が通るから、おれは話さないよ」


「ああ」


 頷いたが見回すのを止めない。


 手を繋いだ方がいいのではないか、と思ったが人と擦れ違ったとき変な目で見られそうだ。遠くで子供達のはしゃぐ声もするし、これ以上ここで突っ立って話すのは危険だ。


「陽古」


 強めに言うと陽古は肩をすくめた。


「わかった」


 とてとてと時雨の横に移動する。少し申し訳ない気持ちになったが、心を鬼にしなければ。


 その後はたまにキョロキョロと辺りを見回す陽古の歩幅に合わせ、家に向かう。


 周りの気配に注意しつつ、国道沿いを歩いて家に続く逸れた道に入って肩の力を抜いた。


「陽古、とりあえずいいよ」


「あ、もう話しても大丈夫なのか?」


「ここから先は行き止まりだから、滅多に車は通らないんだ。小学生もこの区域にはいないから、わざわざ来ない」


 実際に家の近くで、小学生が通ったのを見かけたことがない。小学生ではないにしろ、この辺りで人と擦れ違うのは皆無に等しい。強いて言えば、道沿いの畑で作業している同級生の祖父母か、その畑の向かいにある橋で犬の散歩をしている中年くらいで、遭遇率は低い。


 家の近くに行けば、近所の老人が畑と田んぼで作業しているかもしれないが、それは遠目で分かることだ。


「時雨の家はすぐそこなのか?」


「正確にはばあちゃんの家に居候しているんだけど。ほら、あれ」


 見えてきた家を指さす。


「あの大きな家がそうか?」


 雪乃の家はこの辺りだと一番大きい家だ。時雨は頷く。


「今はばあちゃん、畑仕事で家にいないから家の周りを案内できる」


「ほう、それは興味深いな」


「人間の家に行ったことはないのか?」


「ない。初めてだ」


「最初に言っておくけど、ばあちゃんちは昭和の初期くらいに建てられたものだから、現代の家とは違うぞ」


「わかった」


 誰も見かけることなく家に着く。


 家に着くなり、陽古は時雨から離れてしげしげと家の前を見る。


 雪乃の家はこの辺で一番大きいが、立地上細長い家だ。家の前には車を停められるスペースがあり、家の向かい側には簡単な物置き場と農具が置いている倉(元牛小屋だったらしい)に続く小道がある。その途中には今は使われていない竈の小屋がある。


 さて、まずはどこを案内しようと考えていると、どんどんと陽古が奥のほうに進んでいった。


「時雨、家の出入り口が三つもあるぞ!」


 確かに離れた場所にだが、引き戸の出入り口が三カ所ある。


「元々あった玄関と勝手口と、増築した離れ用の玄関だよ。離れっていっても母屋おもやと繋がっているけど」


 離れにはかつて曾祖父母が住んでいたらしい。二人とも時雨が物心つく前に亡くなった。


「あれは池か?」


 母屋の玄関の前の坂道を見ている陽古の許に歩み寄る。陽古が言っているのは、下にある小さな池のことだろう。


「じいちゃん手作りの池だよ。山から水を引いているんだ」


「時雨のおじいさん、か。その人は今はどうしているのだ?」


「亡くなったよ。七年くらい前の、ちょうど今の時期に」


「そうか……」


 一瞬だけ黙り込んで再び口を開く。

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