第22話 猟犬クロ

 山の中と言っても、道路からかろうじて見えるくらいの距離だった。


 あの猟犬は雑種だったが、とても賢い犬だった。賢い犬故に猟をよくサボる、と祖父がぼやいていたが、時雨の傍にいるときは良い兄ちゃんぶりを見せてくれていた。


 時雨が危ないところに行こうとすると、裾を引っ張って止めてくれたり、物陰に隠れるとすぐ見つけてくれる、本当に出来た黒い犬だった。


 クロ、と安直な名前を付けるほど真っ黒な犬で、暗いところにいると見つけることができなかった。


 クロの死で初めて死というものと向き合った。


 あのときも、祖父は狸たちに掘り起こされないようにと、深く深く墓穴を掘り続けていた。


(あのとき、どれくらい掘っていたっけ)


 思い出しながら、深く深く掘り続ける。


 記憶の中ではとても深かったと思っていたが、それは時雨が小さかったからであり、実際は時雨が思っていたより浅かったかもしれない。


 けれど、あのときは底が見えないほど深いと感じて、穴の奥が暗くてジトジトしていて、ゾッとするような恐怖を覚えたものだ。


 あのときの恐怖心は、今でも心に根付いている。


「時雨、もういいのではないか?」


 陽古に呼ばれ、現実に戻る。穴の深さを見ると確かに充分そうだった。


「そう、だな。それじゃ、埋めようか」


 陽古がいそいそと、手で抱いていた小鳥の亡骸なきがらを穴の中にそっと入れる。その後は二人で掘り返した土を亡骸に落としていった。お互い無言だった。


 鳥の亡骸が土に埋もれていく様子を眺めていると、この鳥と関わったことはなかったというのに、何故だか悲しい気持ちが少しだけ溢れてきた。


 土を元に戻し、その上に少し大きめの石を置く。手を合わせて冥福を祈っていると、横から視線を感じて横目で陽古を見やる。


「なんだよ」


「そういえば、今はお盆とやらの時期か」


 脈略があるようでなさそうな言葉に、一瞬何を言われたか分からなかったが、陽古の視線の先が合掌している手だと気が付いて、ようやく要領を得た。


「そういえば合掌って仏教からきているんだっけ」


 陽古は仏教ではなく、神道側の神なので合掌が珍しいのかもしれないと思ったが、陽古は首を捻った。


「一概にそうとは言い切れないな。神道にも一応手を合わせる習慣がある」


「あったか?」


「参拝するときに最後手を合わせるだろう?」


「ああ、二拝二拍子の。けど、あれってどちらかといえば、拍子叩いた後にしばらく手を合わせるから、合掌とは違うような……じゃなくて、なんでお盆だって思ったんだ?」


 話が逸れてしまう気配がし、軌道を修正する。


「ひぐらしが鳴くようになったから、そういう時期なのだなと」


「ああ、ひぐらしか」


 この辺では、ちょうどお盆の辺りからひぐらしが一斉に鳴き始める。


 山からカナカナカナ、と梅雨の蛙並みに鳴き声が山火効果も相俟あいまって響き渡る。


 ひぐらしの鳴き声は蝉の中でも綺麗なので、鳴き声はあまり気にしない。ミンミンゼミやクマゼミよりかは、耳障りがいい。


「お盆は仏教の習慣だから、陽古はあまり馴染みがないか」


「キリスト教とやらよりかは馴染みはあるぞ。すぐそこに寺があるから、昔はよくこっそりと出向いたものだ。何と言っているか分からなかったが、お経も聞いた」


「神道側の神様が寺に行ってもいいのか」


「神それぞれだと思うが、私のようにあまり気にしない神も多いと思うぞ」


 そういうものなのか、と首を傾げたくなる。


 何せ自他共に認める引き籠もり神だ。神々の間の常識を知るわけがない、とこの前宣っていたのでこの辺の話はあまり信用しないほうがいいのかもしれない。


「お盆明けには送り火、とやらをやると聞いたが」


「ああ、うちは毎年やっているけど」


 この辺は老人が多いのでやっている家が多いが、やっていない家も当然ある。


「時雨、お願いがあるのだが」


「なんだよ、改まって」


 珍しいお願いに首を傾げる。


「送り火、私も参加したい」


「なんでまた」


「送り火とは、死者を送り出す意味があるのだろう?」


「まあ、そうだけど…………ああ」


 合点した。つまり陽古は、今まで関わってきた人たちを見送りたいのだ。


「死者が帰ってくるか分からないぞ」


「ん?」


 キョトンとしていたが、時雨が言いたいことが分かったのかすぐ笑んだ。


「そういうのは気持ちの問題だ。別にすごく会いたいとか思っていない。ただの気持ちの整理だ……駄目か?」


「駄目じゃないけど……」


 お盆の日程を思い出す。送り火をする頃には、親戚は帰っているはずだ。比較的近くに住んでいる親戚も今年は送り火に参加しない、と言っていた。


 それなら変に気を遣うこともなく、陽古ものびのびと送り火に参加できる。


「うん、大丈夫だ。じゃあ、送り火の三時くらいに迎えに行くよ」


「送り火は夕方に行うのだろう?」


「迎えに行っている間に、ばあちゃんが一人で火熾すかもしれないから念のためにだよ」


 最近は火を熾すのは時雨の役目になりつつあるが、雪乃が時雨がいない間にやる可能性がある。いつだったか、家にいたのに呼びかけることもなく、いつの間にか一人で送り火をしていたことがあったので、用心したほうがいい。


「ふむ、そうか。では、よろしく頼むよ。ありがとう、時雨」


 あわく微笑んで、陽古は暮石に視線を移す。


 もしかして小鳥が死んだから、人間のほうではなく小鳥のほうを見送りたくて送り火に参加したいと言ったのだろうか。


 改めて訊くタイミングを逃し、なんだか胸がモヤモヤしたが、保冷バックの存在を思い出して立ち上がった。


「スイカを持ってきたんだった。戻って食べよう」


「おお、そうか! では、その前に手を洗おうか。近くに湧き水があるから案内しよう」


 ちなみにこの神社、普通はあるはずの手水舎ちょうずやがない。


「頼むよ」


「その手提げ袋の中に入っているのか? ずいぶんと入っているように見えるが」


「大きなスイカの半玉分が入っているからな」


「なんと。それは豪勢だな」


 淡い笑みは消え、代わりにワクワクした表情を浮かべる陽古に、時雨は内心ホッと胸を撫で下ろした。

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