第14話 傷を包んで
「話が逸れたな。ごめん」
「いや」
陽古が緩く首を横に振った。続けてくれ、と言われたので話を戻した。
「先生に言われたんだ。親御さんと面談したいって」
正確にはそこまでハッキリと言われていない気がするが、遠回しにしろつまりそういうことを言われたことには変わりない。
「県外に単身赴任だから、今から話しても無理だし。単身赴任じゃなくても、二人が家庭訪問のために休んでくれるわけがないから。今までずっとそうだったし」
「説得はできなかったのか?」
「最初はしていた。その頃は周りの目を気にしていたから、皆に色々と言われるから家庭訪問の日は休んでほしいって。でもダメだった」
――ごめんな、都合の良い日がなくて
――忙しいから無理なの。おじいちゃんとおばあちゃんにお願いするから
いくらお願いしても二人は承諾してくれなくて、お仕事が忙しいからあまり我が儘言わないで、と叱られた。
そういうことじゃない、と訴えても聞いてもらえなくて。
旅行とお出掛けなら尚更のことで、仕事で疲れているから、と適当にあしらわれて。
そんな二人に対して期待するのは無駄だと、だんだんと悟っていき、遂には二人の近況すら興味が湧かないほどにどうでもよくなった。
二人がいないことに対して寂しいと思った時期が確かにあったのに。期待することを止めてから、そんな感情が湧くこともなくなった。
「今思うと説得できるわけないよな。おれ、二人の誕生日も好きな食べ物も知らないし、二人がどんな性格でどんなことで怒るのかさえも分からない。あまり知らない相手を説得するのは無謀だったよ」
そもそも母のことをよく知っている祖父母さえ、母すら説得することができなかったのだから、あの二人を説得することは無理なのかもしれない。
思わず
一応愛されているとは思っていた。お金だけは不便させないようにと、高校生のお小遣いとしては高いお金を時雨名義の通帳に振り込まれているし、時雨の面倒を見てくれているからと、二人はかなりの金額の金を雪乃に仕送りしているらしいから、そう思っていた。
けれどこうして思い返してみると、昔言われた通りやはり自分は親に愛されていないのかもしれない。義務的にそうしているだけだと言われても仕方ないほど、二人との思い出がない。
「そうかそうか」
陽古がしきりに頷いた。いつもの穏やかな口調で、言い紡いだ。
「時雨はずっと我慢していたのだな」
ハッと目を見開く。
「ち、違う。ただ色々と諦めただけで、我慢なんか」
「だがしてほしかったことを最終的には我慢したのだろう? 時雨はえらいなぁ」
頭にぽんっと何かを置かれた。それが陽古の手だと気が付いた頃には、陽古がぴたっと時雨に寄り添っていた。
「えらい、えらい」
まるで幼子をあやしているように、優しい手つきで頭を撫でられる。
そこまで小さくない、と突っぱねることも出来ず、それ以前にほぼ経験したことがない、慣れない感覚に硬直した。
けれど、それもだんだんと馴染みだして強張っていた身体の力が少しずつ抜けていった。
我慢が当たり前だった。我慢してもそれが当たり前だからと両親は褒めないし、埋め合わせもしようともしない。
我慢しなくていい、と祖父は言ってくれたけれど、えらいと肯定はしてくれなかった。
両親には我慢しろと言われ、祖父からは我慢しなくていいと言われて。
だったら自分はどうしたらいいんだ、と叫びたかった。本当にどうしたらいいか分からなかった。
(そういえば、父さんと母さんから、撫でてもらったことなかったな……)
少しだけ荒っぽい手つきだったが、最後に頭を撫でてくれたのは祖父だった。
そのことを思い出して、胸が締め付けられた。それと同時に目頭が熱くなって、鼻がツーンとしてきた。
やばい、と思って下唇を噛んで
「どうした? 頭を撫でられるのは嫌だったか?」
違う、これは、なんだかんだで自分のことを真剣に想ってくれた祖父を思い出して泣きそうになっているわけで、頭を撫でてくれたからではない。
首を横に振ると、そうか、と安堵した声で呟き、そのまま撫でられ続けられた。
「人の世は我慢の連続だと聞いたが、ここでは我慢せずともいい。時雨が泣きわめこうと罵声を上げられても、私は時雨を嫌いにならんよ」
そんな優しい言葉がジクジクとしている胸に染みこんで、とうとう涙腺が緩みきってしまい、温かい滴が零れ落ちた。
(父さん、母さん……)
瞼の裏で二人の顔を思い描くが、なかなかハッキリとした顔を思い出せない。それくらい、二人の顔をじっくりと見てなくて久しい。
本当は二人ともっと話をしたかった。
熱を出したときは、傍にいてほしかった。
年に一度だけでいい、近場でもいいから一緒にどこかへ出掛けたかった。
本当は祖父母じゃなくて、二人にもっともっと甘えたかった。
それを我慢したことを、二人に気付いてほしかった。
次から次へと、幼い頃に抱いていた思いと、叶えてもらえなかった願いが、溢れては嗚咽と共に流されていく。
言葉にしなくても、そうかそうか、と撫でてくれる存在が隣にいる。その温もりに、幼い自分が救われたような気がした。
夏の風が頬を通り過ぎていく。滴が流れ落ちた跡がやけに染みてしまい、時雨は隠れるように膝を抱え込んだ。
暑いのに、隣の陽古の体温がやけに温かく感じる。陽古はずっと何も言わず、ただそよ風のような力加減で時雨の頭を撫で続けてくれた。
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