第13話 心の傷
不味い、嫌なことを聞いてしまった。
「その」
ごめん、と告げる口を陽古が遮った。
「ああ、謝らなくてもいい。別に捨てられたことに関しては気にしていない」
「でも」
「そういう時代だったから仕方ない、と割り切ったというのもあるが」
平坦な口調で陽古は言い紡ぐ。
「一緒に過ごしたことがないから、御二方のことを親だと思ったことはないのだ。風の噂で御二方のことを耳にしたことはあるが、なんの感情も抱かなかったくらいだ。ただ、家族というものが分からないから、時雨の気持ちに沿えるかどうか、と少し不安になっただけだ。時雨は気にしなくてもいい」
「ああ、うん、そうか」
両親のことを御二方、と呼ぶほど陽古にとって親は遠い存在だということだろうか。
(一緒に過ごしたことがない、か)
時雨も両親と過ごした時間が少ない。そこに少し共感しながらも、孤独の差が違うと別の自分が囁く。
陽古は生まれた直後に捨てられたのだと言ったから、本当に一緒に過ごした時間は皆無といってもいいのだろう。
(なんだろう……おれが思っている以上に陽古は寂しいやつなのかもしれない)
自分でさえ……自分で、さえ。
ダメだ、それ以上は考えたくない。
「そういえば、時雨の両親のことはあまり聞いたことがなかったな。どんな人なのだ?」
「どんな人……」
返答に詰まる。
普通の人なら、こんなにも息子を放任することはないだろうし、かといって虐待を受けているというわけでもない。無関心でもない。それは分かるのだが。
「あまり知らない」
これに尽きる。
「二人ともおれが小さい頃から仕事仕事で。あまり一緒に過ごしたことがないんだ」
「共働きというやつか。どんな仕事をしているのだ?」
「それも知らない」
小学生の頃、親の仕事というテーマで作文を書かされたことがあるがよく覚えていない。
ただ覚えているのは、作文を発表したあとに同級生たちに絡まれたことだけ。変なの、とか、嘘つき、だとかそういう言葉を投げつけられた。
当時のことを思い出して、ジクジクと胸が痛み始めた。
俯いてそのまま続ける。
「仕事を知らなくてもさ、周りの同級生は、シングルマザーもいたし共働きしていたところもあったし、それだけだったらよくあることで浮かなかったんだけどな」
田舎だから新参者は滅多に来ない。だが、出戻りでこちらに帰ってくる人はいる。親が仕事でなかなか一緒にいられない、という子もいた。
「シングルマザーの子も共働きの子も、親が出来るだけ時間を作ってくれていたらしいんだけど、おれのところだけ違っていたんだ」
「違っていた?」
「父さんも母さんも仕事優先で、おれとの時間を取らなかったんだ。じいちゃんが生きていた頃は、じいちゃんがそんな二人を説教してくれていたけど」
ああそういえば、と思い出す。授業参観に来てくれたのは祖父しかいなかった、と。
祖父の説教があっても、二人は授業参観も家庭訪問も対応してくれなかった。
祖父の説教は静かに
親がそんなだから仕方なしに、祖父が来てくれていた。けれどそれは小三の頃までで、小四になってから祖父は病気の影響で授業参観に来られなくなりその年の夏休みに亡くなってしまった。
雪乃はもう大きくなったし行かなくてもいいだろう、と来てくれたことがなかった。時雨も雪乃に負担を掛けさせたくなくて、何も言わなかった。
「シングルマザーのところも共働きもところも、家族との時間を取って、休みが合えば遊びに行ったり、旅行に行ったりとかしていたけど、おれのところはそういうのなくて」
あるとしたら祖父が軽トラで、少し遠い町へ連れて行ってくれたことくらいだ。
こう思い返してみると、現在進行形で生きている両親との思い出よりも、小四の頃に亡くなった祖父との思い出のほうが多い。思わず失笑した。
「同級生なんか家族と一緒に旅行に行ったとかそんな話をするけど、おれは行ったことがないからなにも話すことがなくて。
学年が一クラスしかないほど人数が少なかったから、一応クラスメイト全員にお土産くれたりとかしていたけど、おれは旅行に連れて行ってもらえないからお土産も誰かにあげたことがなかった。
みんなの話についていけれなくてどんどん疎外されていったんだ。おれも貰うばかりであげることができないことに、ちょっと罪悪感があって居心地が悪かったよ」
これが本に逃げるようになった切っ掛けだった。本を読めば他人から話しかけてくることはないし、本に集中すれば周りを気にしなくてすむ。
中学生になればクラスが増えて、一クラスの数が倍以上になったから周りの家庭と比べてしまう機会も減って、精神的に楽になったことに安堵したものだ。
「周りの大人たちもおれの親について、陰でコソコソ話していたよ。その陰口をその大人の子供が聞いて、わざわざおれに言ってきてさ……」
先生達が自分の親に対して、陰口を言っていたのを聞いたこともある。先生が祖父母に対して、両親のことで苦言を申したこともある。
その中で一番心を
――普通、自分の子をあそこまで放置するのはあり得ないわ
――もしかして、浮気に夢中だったりして
――シッ! 薄々そんな気がしているけど、心の中に仕舞っておきなさい
傷付いた。本当に傷付いた。今すぐ物陰から出て保護者に抗議したかったが、完全に否定するには材料が足りなさすぎて飛び出すことができなかった。あの後、悔し涙を流し、見つからないように声を押し殺した。
あの屈辱と惨めさは今でも忘れられない。
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