第12話 気が付いたら

 町内バスに乗っても、時雨の心は晴れないままだった。


 たまに見知らぬ老人から親しげに話しかけられるが、時雨が放つ重い空気を察してか、誰も話しかけてこなかった。たまたまそういう日だっただけかもしれないが、今の時雨には有り難かった。


 誰とも話したくなかった。できれば雪乃とも話したくないほど、心の中がグチャグチャになっていた。


 善家に関してはバスに揺られている間に、どうせあちらから関わってこないからいいだろ、と半ば強引に納得したからいい。


 けれど家庭訪問に関しては、いくら自分に言い聞かせてもグチャグチャが収まらない。


 家庭訪問から連想して授業参観のことを思い出すので、尚更グチャグチャが酷くなって叫びたくなる。


 そのグチャグチャな感情に名を付けられるほど、時雨は自分の気持ちの整頓ができなかった。


(このままじゃ陽古にも八つ当たりしてしまう)


 バスから降りても足取りが重い。とぼとぼと歩きながら、重苦しい溜め息も吐き出した。


(今日はもう、陽古のところに行くのはやめよう)


 今日はもうすぐ読み終わるだろうから、と新しい本を持ってきたというのに、すっかりえてしまった。


 もうこのまま雪乃とも顔を合わせず、モヤモヤが晴れるまで部屋に引き籠もろう。


 そう思っていたのに。


「あ……」


 気が付けば、すっかり見慣れた鳥居の前にいた。


 自己嫌悪に陥って歩いたからか、周りの景色が見えていなかった。


 それでも、無意識で足を運んだ場所が家ではなく、ここだということに愕然がくぜんとした。


 いくらバス停から近いとはいえ、これではまるで。


(……………………帰ろう、うん)


 陽古に八つ当たりしたくない。こんな弱り切った姿を見せたくない。


 きびすを返そうとしたそのとき。


「時雨やー」


 聞き慣れた弾む声に硬直する。


 おそるおそる階段の上を見ると、陽古が笑みを浮かべ時雨に向かって手を振っていた。


 その笑みを見ると無視なんてできない。時雨は諦めて、おもむろに階段を上がった。


「そろそろ来る頃合いかと思ったぞ」


 上がりきると、陽古が嬉しそうに時雨を出迎えた。なんだか罪悪感が胸によぎって、視線を逸らす。


 時雨はきょとんと時雨の顔を覗き込もうとするが、うむ、と呟いてそれを止めた。


「ここで立ち話もなんだ。あっちに行こう」


「いいよ……すぐ帰るから」


「もう帰ってしまうのか?」


 悲しげな声に、うっとなる。すかさず陽古が重ねて言い続けた。


「せっかく来たのだから、少しだけでも喋ろう。さあ」


 陽古が時雨の腕を握って、軽く引っ張る。口調は仕草は強引なのに、時雨の腕を引っ張る手はそれに反して優しい。


 もう少し強引ならその手を払いのけるのに、どうしてこうも優しいのか。


 引かれるまま、いつもの定位置まで連れてこられて無言で座る。


 陽古もいつもの場所に腰を下ろした。


「さて」


 一息ついたところで、陽古が口を開いた。


「どうしたのだ? いつもより暗い顔をしている」


 いきなり本題だ。時雨は顔ごと逸らした。


「別に……ただ、学校で嫌なことがあったから」


「嫌なこととはなんだ?」


「それは……」


 口をつぐむ。別に誰かに酷いことを言われたということはない。ただ、しゃくさわっただけだ。


 言うのをはばかっていると、陽古が優しい口調で告げた。


「時雨はなんでも溜め込むから、せめてここでは吐き出してほしい」


「溜め込む? おれが?」


 言いたいことは言っていると思っていたから、そう言われて目を丸くする。


「何かを言うのをぐっと我慢しているのが多い。最初は気のせいかと思ったが、最近は分かりやすくなったから確信した」


 時雨はハッとなった。


 確かに今日は何度か表情を読まれて、それを指摘された。人とあまり接してこなかった、というのもあるが、感情をあまり面に出さないからだと時雨は自負していた。


 今までそんな指摘をほとんどされたことがなかったのに、どうして最近になって。


「あまり人と衝突したくないのは、なんとなく分かっている」


 サァサァと風が青葉を撫でる音が聞こえる。その度に木漏れ日が陽古の身体を波のように揺らしている。


 陽古がさらに言い続ける。


「けれど私は人ではないし、この通り社会不適合者だ。人の世に関知しない分、時雨がここでどう言おうが人間の社会には影響せんよ」


 時雨はクッと小さく笑った。


「…………陽古の場合、社会不適合者じゃなくて世捨て人だろ。もしくはご隠居」


「あ、それだ。だが私の場合は、神だから世捨て神になるのだろうか? ご隠居のほうがしっくりくるような」


 むむむ、と考え込む陽古に時雨の気分は少し晴れた。


 冗談染みた、でもなく真面目に言っているのが少し可笑しくて気付かずに気張っていた肩の力が抜けていった。


「今日、家庭訪問と授業参観の案内の紙をもらって……」


 気が付けば、口を開いていた。


「かていほうもんと、じゅぎょうさんかん、とはあれか。がっこう、とやらの行事だったか。それがどうしたのだ?」


「先生に家庭訪問についてちょっと言われて」


「そのちょっとが時雨にとっての嫌なことだったのだな」


 黙ったまま頷くと、そうか、と陽古が相槌を打つ。


「なあ、神様って親はいるのか?」


「いる神もいればいない神もいる」


「陽古はどうなんだ?」


「いるにはいるが…………」


 珍しく答えづらそうに、言い淀む陽古に時雨は目を軽く見張った。


「生まれた直後に捨てられたから、あまり知らんのだ」


「あ……」

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